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29話 決心
しおりを挟む自宅の両親の寝室は、とっくに日が落ちているのに相変わらず電気がついていなかった。今日もママの調子は悪い。
半開きになったドアを軽くノックする。
「ママ……入るよ?」
ママは浅い眠りに就いていたのか、私が入ったと同時にピクっと身体を震わせた。もぞもぞと鈍い動きで身体を起こして、顔にかかった髪をぐしゃりと掴む。
「……どうしたの? 杏梨」
「ごめん、起こしちゃって。明日……学内コンクールがあるの。来てくれる?」
「え……? だって杏梨出ないんでしょ……?」
廊下からの明かりだけでは、ママの顔はよく見えない。電気をつけようと一歩踏み出せば、床に転がっていた薬の包装シートがカシャ、と音を立てた。
今のママは光が苦手で、電気をあまり点けたがらない。……少し荒いけど、私は電気のスイッチに手を伸ばした。ピッと小さな電子音とともに、部屋全体が明るく照らされる。
荒れた部屋、埃っぽい臭い、直した形跡のない、ベッドのずれたシーツ。そして抜け殻のようになったママが浮かび上がる。
あのフェイク動画のせいで私以上に世間から攻撃を受けたママは、部屋にこもりきりになってしまった。
一日中カーテンを閉めたままで、会話するのは私と、ママのマネージャーさんだけ。
家にあるピアノも触れず、暗い部屋の中で譜読みをするか眠るかの生活を送っている。
そんなママに外へ出てコンクールに来てくれなんて、かなり難しい要求なのはもちろんわかってる。でも、私もママも、このままじゃダメだと思う。
「出る。……私コンクール出るよ、ママ」
ぼんやりとしていたママの瞳が開かれる。私の発言に間違いないのかと、疑いに眉間の皺が寄る。
ママの隣に座って、やせ細ったその手に触れる。
「ママ。……私、いい加減四年前のことから解放されたい。いつまでも囚われてたくない。もう一度ピアノを……弾きたいの」
「杏梨……」
乾いた唇を薄く開いて、ママは私の手を握り締めた。驚きと不安が混ざり合った眼差しは、徐々に波紋を広げていく。
ママは私がまた傷付けられないか心配なんだろう。きっと今、四年前に私がスクリーンの前で立ち尽くしていた姿を思い出しているのかもしれない。
……私も、不安がないと言えば嘘になる。でも、私は前に進みたい。もうこれ以上、逃げていたくない。
「明日、パパも呼んで。……お願い」
不倫のフェイク動画のせいで、ママとパパの仲に亀裂が入った。
ママは不倫なんてしてないと必死に訴えたのに、パパは動画が真実だと思い込み、ママの無実を信じてくれなかった。
フェイク動画だとわかってから、パパはすぐママに謝罪したものの、信じて欲しかった時に信じてくれなかったと、ママは失望してしまったのだ。
離婚こそしなかったけど、ママとパパは別居状態が続いている。私はパパとたまに電話するくらいの交流はあるけど、多分ママとパパは互いに連絡もほとんど取っていないと思う。
「……無理強いはしないけど。でも……待ってるから」
私の願いに、ママは俯いて何も言わなくなってしまった。急にこんなことを頼まれて、当然困惑するだろう。
ママの肩にそっと触れて、私は部屋を出た。
その日、ママの寝室から電気が消えることはなかった。
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