亡き少女のためのベルガマスク

二階堂シア

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28話 味方

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 礼拝堂から出たその足で、私は指導室へと向かう。

 一か月前、礼拝堂の罰を与えられた時、告解室に綾瀬恭平は最初からいた。
 ヒステリック教師が綾瀬恭平に情報を流したのはわかっていたけど、当時はあんまり興味がなくて深く考えていなかった。
 でも彼の懺悔を聞いた今、その事実は看過できないものになった。
 あの教師は『何かしらの思惑』を持って、私に礼拝堂へ行くよう仕向けたのだ。

 指導室の扉を開ける。教師は棚の中にある資料を片付けている最中だった。


「……春若さん」
「先生、教えてよ。綾瀬恭平のこと」


 少しの怒りを声に混ぜて言えば、教師は察したのか、「座りなさい」と私に促した。
 いつも指導される際に座る椅子に腰を下ろすと、教師は立ったまま話し始めた。


「……綾瀬さんは四年前のあの日から今まで、ずっと苦しんできました。あなたがピアニストとしての生命を絶たれ、表舞台から消えたのと同時に、彼は再び脚光を浴びた。今まであなたが立っていた場所に、綾瀬さんが成り代わったのです」


 私が一切コンクールに出なくなってから、綾瀬恭平が一位の座を守り続けた。私に付いていた『天才ピアニスト』の肩書きも、綾瀬恭平に移し変えられた。

 私のママに対する疑惑を連日取り上げていたメディアは、くだんの不倫動画がフェイクだと判明するや否や、フェイク動画の危険性に話をシフトした。まるで騙された自分たちは悪くないのだと主張するように。
 そして世間の批判を恐れたのか、私の存在をなかったことにし、綾瀬恭平にスポットを当てたのだ。


「彼はコンクールで賞を取るたび、虚無感に見舞われたそうです。あなたのいない場で賞を貰っても、なんの価値も見い出せないと」


 彼もそう言っていた。私というピアニストがいる限り、自分は生涯二位のままだと。
 私が消えたあとも、綾瀬恭平はコンクールへ出ることを辞めなかった。罪の意識が自分を苦しませるとわかっていたはずなのに。
 もちろんピアニストとしての実績を残すのは大切だし、そこに疑問があるわけではない。……でも彼がコンクールへ出続けていたのは、自分ヘの戒めの意味もあったのだろうか。


「あの時ピアノを捨ててでも彼女を守るべきだった。僕は選択を間違えたと。彼は、何度もそう口にしていました」


 話を聞きながら、それは結果論でもあると心の中で思う。
 あの時もし彼が犯人に仕立て上げられ、ピアノ人生を潰すことになったのなら、助けなければ良かったと後悔していたかもしれない。

 ……どちらにせよ、フェイク動画を作った奴らが憎い。彼らが馬鹿な行動を起こさなければ、私たちがここまで苦しむこともなかったのに。


「綾瀬さんは有名高校の音楽科に通っていましたが。やはりあなたのことが忘れられず、お父様の友人である我が校の校長へあなたをスカウトするように頼み込んだのです。自分が転入することを条件にして」


 ……ああ、なんだ。この高校に私が呼ばれたのは、綾瀬恭平の手が回っていたからだったんだ。

 その事実はもちろん驚くものだったけど、簡単に納得も出来てしまう。
 いくら春若美影の娘だからって、人前で弾けなくなった私に『ぜひ我が校に来て欲しい!』と声がかかるなんて、変だと思っていた。しかも『ピアノを弾けなくても構わない』と高待遇の条件付きで。

 ピアノへの未練を断ち切れていなかった私はその話を受けたものの、学校側に何のメリットがあるのか疑問には思っていた。
 でも綾瀬恭平の転入と私の入学が引き換えになったのなら腑に落ちる。学校側にとって綾瀬恭平の在籍は大きな価値があるだろうから。

 綾瀬恭平は何とかして私をピアニストとして復活させるために、そこまでしたんだ。
 例えそれが自分のためだったとしても、……それでもそんな行動を起こすほど、彼は追い詰められていたのかもしれない。
 教師の話は続く。


「そのことはあなたが入学してくる時に、校長から話がありました。綾瀬さんは、あなたをピアニストとして生き返らせるためにここへ来たと」
「それで今回……私と綾瀬恭平を接触させるために、礼拝堂の罰を与えたの?」


 私が入学してから約半年、ずっと機会を窺っていたんだろうか。
 尋ねれば、教師は頷いた。


「そうです。あなたの心の傷は深く、クラスメイトだけでなく、私たち教師にも一切心を開かなかった。だから理由をつけて綾瀬さんとあなたが話す機会を設けたのです」


 教師の視線は私の金色の髪にある。
 私が髪を染めたのは、誰も私に寄り付かないようにするため。近付くなというサイン。自ら孤立して、誰も私に踏み込ませようとしなかった。きっとそれは見抜かれている。

 ふと、遠くからピアノの音が聞こえる。誰かが弾いているのだろう。教師は音の聞こえる方へ一度顔を上げた。


「彼がなぜ毎朝月の光を弾いているのか、聞きましたか?」
「……聞いてない」


 以前、学内コンクールで弾くためかと聞いたら、「そうだけど、そうじゃない」と綾瀬恭平は答えた。
 私の弾き方の癖を完璧にコピーした、月の光。毎朝弾いていたその理由を、教師は知っていた。


「あなたへの罪滅ぼしですよ。あなたの癖を真似て、四年前自分が犯した罪を自らに刻み付けていた」
「じゃあ、わざわざ音楽室で弾いてたのは……?」
「ずっと彼は謝っていたんです。あなたに」
「……」
「半年間、一日も欠かさず、彼はあなたのために弾き続けた。あの日の自分の行いをずっと悔やみ、あなたの月の光を消してしまったことを謝り続けていたんですよ」


 ……イヤホンの充電を忘れたあの日まで、綾瀬恭平の月の光は私に届いていなかった。

 他人の声を、言葉を、悪意を、音を。全部遮断するようにずっとイヤホンをし続けていた。
 耳が悪くなるのは嫌だったから、音楽なんて聞いてない。ずっとノイズキャンセルの無音だった。

 そうやって私はずっと殻に籠って、現実から目を逸らしていた。綾瀬恭平が奏でる月の光なんて気付こうともせずに。


 遠くから聞こえていたピアノの音は止まってしまった。
 今この場で聞こえるのは、教師が棚から本を取りだした表紙のれる音だけだ。


「内履きのこともですが……あなたしばらく、この指導室へ教科書を借りに来ていたでしょう。嫌がらせを受けていると、あなたは助けを求めなかった。私たちに知られまいと隠した」


 教師は棚に入った教科書を並べ替えていく。彼女なりの並び順があったらしい。
 嫌がらせに関して私が関わって欲しくなさそうだったから、恐らく静観してくれていたのだろう。
 下手に介入されていたら、綾瀬ファンに呼び出されるよりもっと面倒なことになっていたかもしれない。


「あなたが人を信じられない気持ちは理解しています。ですが、あなたの味方は彼以外にもたくさんいること、どうか知ってください。私たち教師も……私個人も、あなたのピアノがまた聴ける日を待っています」


 ……初めて、教師の顔をまともに見た気がする。
 いつもヒステリックに私を叱っている人とは思えないほど、彼女は優しい眼差しで微笑んでいた。
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