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26話 記憶
しおりを挟む四年前のあの日。
大きいコンクールだったからか、いつもより報道陣の数が異様に多かった。世界的ピアニスト『春若美影』の娘が優勝したと、争うようにして詰めかけたのだ。
ホールの中で取材は迷惑になるだろうと、暑いのに外で会場のセッティングがされた。私の表彰セレモニーと称した、公開処刑の場を。
彼が私のセレモニー参加を止めようか決断を迫られている時は、確かセレモニーが始まるまでの待機時間で、私はホールの外でママへのメールを打っていた。
『レモンティー、ここの売店のやつめっちゃ美味しい! ママの大好物だから、買っておいてあげたよー。あとで渡すね!』
そんな内容のメールを、私は呑気に打っていたわけだ。このあと何が起こるかなんて知る由もなく。
その後ママと合流して、会場に向かった。
華やかで凝った飾り付けの舞台の中央に、『祝優勝! 春若杏梨さん』とスクリーンに文字がでかでかと表示されていた。
ちょっと恥ずかしいねってママに耳打ちしたのを覚えてる。
セレモニーが始まる時間になって、ママは観客席に回った。私はママに手を振って、ステージの上に立った。
観客席にはホールにいた人全員来てるんじゃないかってくらい大勢の人がいて、その前には無数のカメラを私に向ける報道陣がいた。いつもはそんなに気にならないけど、さすがにちょっと緊張した。
司会の女性が私の経歴を簡単に紹介する。
誰もが知る世界的ピアニスト春若美影と、ヨーロッパの名門オーケストラと共演を果たした実力派ピアニストの父を持つ、ピアノのサラブレッド。
ドイツで暮らしていたが、今年の春に両親と共に帰国。そして参加するコンクールすべて一位を獲得している、今大注目の天才ピアニストだと……。
私は当時自分の演奏を他の人に聞いてもらうのが好きだった。日本に来る前もドイツでコンクールに出場していたんだけど、自分の感じる世界を聴衆と共有するあの感覚が堪らなくて、とにかく人前で弾きたくてしょうがなかった。
日本で一番最初に参加したコンクールで弾いた月の光の動画もバズって、日々増える感想コメントを読むのを毎日楽しみにしていた。
こんな風に思ってくれてるんだ、こんな感じ方もあるんだって、視野がどんどん広がって、新しい世界が見えていく気がした。
だからコンクールの参加目的も、賞とかじゃなくて、ただ皆に聞いてほしい。それだけだった。応募できるコンクールは全部参加した。
……今思えば、それが良くなかったんだと思う。急に現れた女が、コンクールの賞を軒並みかっさらって行く。他の参加者の人たちからしたら、そりゃ面白くないと思う。実力の世界だから仕方ないとはいえ。
ただでさえ春若美影の娘だからと注目されていたから、それもより一層反感を買う火種になったんだろうね。
そして口頭での私に関する説明は終わり、スクリーンに私の月の光の演奏動画が映し出される──はずだった。
目を疑った。ママが知らないおじさんに寄り添って、私の知らない顔をして、知らない場所へと二人で消えて行った……そんな映像が大画面に流された。
手違いで流す動画を間違えたのかと思った。何かのドラマの一部を切り取ったものを流しちゃったんだと。でも確かにあれはママの顔で……意味がわからなかった。
いや、見間違えかも。ママに見えただけで、全然別人だったかも。
現実に起こっていることを認めたくない防衛本能が、私にそう思わせた。
でも、最後に浮かび上がった文字が、それすらも否定してしまった。
『不正で取った一位のピアニストに鉄槌を!』
……それがどういう意味を表すのか理解するまで、世界が歪んだみたいに目の前がグラグラと揺れた。
じわじわと現実を突き付けられ、足先が冷たくなった。日差しはうだるほどの熱を持っているのに、寒気が止まらなかった。
そして私の演奏する月の光の動画が映った。感想や応援、称賛の声で溢れていた、私の大切な動画。
それは見る影もない、私への失望、悪罵や暴言の嵐へと変わっていた。
もちろん今までだって賛のコメントばかりだったわけではない。私の演奏が合わない人だっているし、気に食わない人だって当然いる。
でも、あの日は違った。比じゃなかった。そんなレベルの話じゃなかった。
私の演奏だけでなく、ママのこと、私の容姿、性格、生まれや育ち。すべてを中傷するコメントがとんでもない勢いで書き込まれていく。
見たことも話したこともない、そんな人たちが、勝手な想像を広げて私の人格を否定する。ピアノに興味なんてない人たちも、ここぞとばかりに便乗して火をくべに殺到した。
その言葉の刃たちは、きっと、実際にナイフで刺されたのと同じくらい痛かった。でも、傷はナイフよりもずっと深い。そんな痛みが、私の心をひたすらに突き刺していった。
気付いたら、映像が消えていた。私の後ろで報道陣が何かを言っていた。私に向かって何か聞いていた。カメラを切る音がずっと鳴り響いていた。
……それからのことは、よく覚えていない。
気が付いたら自分の部屋にいて、リビングでママとパパが大声で言い争っていた。
床に転がったスマホの画面が、通知を知らせるポップアップのせいでずっと光り続けていて、私の目を眩ませた。
私のファンに向けて、たまに演奏のショート動画を投稿していたアカウント。そこに私への攻撃が殺到して、通知が止まらなかったんだ。
私は手を伸ばして、スマホを掴む。そのまま思い切り床に打ち付けて、叩き割った。
……この壁の向こうにいる、彼の懺悔を聞きながら、ずっと蓋をしていた記憶がこじ開けられる。胸が苦しい。痛い。息が上手くできない。
彼は名乗っていない。それでも、コンクールで二位の座に居続けた人なんて、私の記憶では一人しかいない。
四年前、彼はセレモニーでフェイク動画が流されることを知っていた。でも止めなかった、止められなかった。その後悔にずっと苛まれている。
あの日、傷を負ったのは私とママだけじゃなかった。彼も四年間、自らの罪の重さを抱えながらこうして私の目の前に現れ、告白している。
この懺悔を、私はどう受け止めたらいいのかわからない。なんて言えばいいのかも……わからない。
告解室の扉を開けて、外に出る。礼拝堂の静けさのせいで、自分の心臓の音と息遣いだけが聞こえて、更に緊張を加速させる。
喉と鎖骨の間を一度だけ撫でると、暑くないのにじとりと肌が湿っていた。
反対側の扉の前まで歩いて、私は足を止めた。
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