亡き少女のためのベルガマスク

二階堂シア

文字の大きさ
上 下
35 / 44

最後の懺悔

しおりを挟む

 僕は彼女に何も伝えないまま、セレモニーの会場へ来ていた。

 ここまで暑くなるとは予想出来なかったのか、それとも既に会場のセッティングを済ませていて変更は難しかったのか、暑い中セレモニーは強行された。


 ジリジリと強い日差しが僕の肌を焼く。顔中に広がる汗は、暑さと焦燥感が混じって妙に冷たかった。

 多くの取材陣だけでなく、彼女のファンや僕たちコンクール参加者も集まっていた。それだけ彼女の注目度は高かったんだ。


 彼女のための会場ステージはオーガンジーで造られた花モチーフが飾り付けられ、とても上品な雰囲気だった。
 ステージの壁には大型のスクリーンが設置され、そこには彼女を祝福するメッセージが表示されていた。……僕はそれを見てゾッとした。

 あの男たちは、恐らくあそこにフェイク動画を映し出すつもりだろう。

 自分が天才ピアニストとして再び君臨したい隠れた願望と、企みを妨害して僕がピアニストとして死ぬ覚悟のなさ、そして彼女に軽蔑されることへの恐怖が、足を止めさせる。


 今止められるのは自分だけなのに、僕は何も出来なかった──いや……違う。何もしなかったんだ。


 そしてついに……ステージ上に司会の女性が現れてしまった。

 彼女が呼ばれ、盛大な拍手を受けてステージに立つ。僕は息が苦しくなって、自分の喉を押さえた。

 木に密集した蝉の鳴き声が耳の中で反響して、頭が割れそうになる。見たくない。この後起こることが恐ろしくて、とても見ていられない。でも目を離せない。離すことは許されない。

 汗が一筋、僕の顔を割るように縦に流れた。

 鮮烈なデビューを果たした、あの伝説の月の光の動画を簡単にご紹介します! スクリーンをご覧下さい!

 司会の掛け声でスクリーンがパッと変わる。そして映し出されたのは、男性にしなだれかかる女性の姿。
 顔が不自然なほどくっきりと見えるその二人は、彼女の母親とコンクールの審査委員長だった。

 有名ピアニストと審査委員長がホテルへと入って行く不倫動画。そのフェイク動画の終わりに、『不正で取った一位のピアニストに鉄槌てっついを!』とメッセージが浮かんだ。

 次に映ったのは彼女の月の光の演奏動画。その動画に誹謗中傷のコメントが次々と書き込まれていく。それは編集とかじゃなくて、リアルタイムにしか見えなかった。

 僕はすぐにスマホを取り出して、つぶやきアプリを開いた。そして目を疑った。
 フェイク動画は既にネットに拡散され、大炎上していたんた。


 『不正で取った一位は嬉しいですか?』『こいつのピアノ人生を潰せ!』『不倫女の娘の演奏とか汚くて聞けねえよ。今すぐピアノやめろ!』『真面目に練習してコンクールに臨んでいる人たちに失礼だと思いませんか? 最低』『不正で簡単に一位取れて、マジ人生楽勝~! 羨ましー!』『お前のピアノなんか誰も聞きたくねえよ! 消えろ!』


 フェイク動画に騙された人々の無数の言葉の刃が彼女を切り刻む。彼女の『月の光』が汚されていく。

 自分の母親が不倫する姿と、動画に流れるコメントをその瞳に映す彼女は、透明な血を流していた。


 誰も彼女を助けなかった。いや、助けられなかった。
 既に切られた彼女を救うことは、もうできなかったんだ。


 ものの数十秒、誰も動けなかった。何が起こっているのかわからなかったんだろう。混乱と動揺で、空気が固まっていた。
 突然、ブツっとスクリーンから映像が消えた。その瞬間、人々は我に返った。

 彼女を称賛するために集まったはずの記者は、スキャンダルを追求する敵へと変貌した。そして観客席にいた彼女の母親の元へと殺到する。

 舞台上の彼女は、ただ呆然として立ち尽くし、何も映っていないスクリーンを見続けていた。記者たちはその姿さえもおいしいと、写真に収めた。何度も、何度も。追い打ちをかけるように。


 ……僕は後悔した。いや、後悔だなんてもんじゃない。
 彼女が傷付く姿なんて、見たくなかった。自分が傷付くよりももっともっと辛くて、胸が破れてしまいそうだった。

 どうして自分の保身に走ってしまったんだろう。どうして僕は自分のピアニストの人生を選んでしまったんだろう。

 彼女がピアニストとして死んだところで、僕は彼女に一生勝てない。
 何度褒められても、何度首位を取っても、何度賞を取っても、僕の中には彼女という絶対的なピアニストがいる。
 彼女という越えられないピアニストがいる限り、僕は生涯二位のままなんだ。
 そんなピアニスト人生に、一体なんの意味がある?

 僕が犯人に仕立てあげられた方が良かった。どれだけ彼女に嫌われようが、彼女が死んでいくのを黙って見ているより、ずっとマシだった。

 僕は泣きながらすぐに『これはフェイク動画だ』とコメントして、鎮静をはかった。
 でもネットの炎上の勢いはそんなコメント一つで収まるものじゃなく、どんどん彼女や彼女の母親を誹謗中傷する声で埋め尽くされていった。……もう遅かったんだ。


 彼女は……春若杏梨の心は、殺されてしまった。


 その日のうちに君の母親の所属事務所が動いて、不倫は事実無根であることを発信した。
 しかし、動画の出来が良く、フェイク動画だとすぐに見抜けなかったネット上の人々は、ならば証拠を出せと更に燃え上がった。

 フェイク動画だと証明するまで、君たちへの糾弾は止まらなかった。
 勝手な憶測が憶測を呼び、歯止めが効かなかった。ネットの恐ろしさを、僕は嫌というほど思い知らされたんだ。


 数日後、フェイク動画だと証明され、動画を投稿した奴らの方へと炎上の矛先は向かった。

 投稿した奴らは後日訴えられて、自身のピアノ人生を潰したよ。……まあ、彼らは元々大した実力なんてなかったから、どちらにせよそのうち潰れていただろうけど。


 君の母親の疑惑は晴れた。でも、君たちが傷つけられた事実は変わらない。
 身勝手な正義に駆られたネットの声によって君の心は引き裂かれ、無実だとわかると手のひらを返して君を可哀想だと同情した。
 君を傷つけたのは彼らであり、止めなかった僕だというのに。
 加害者が加害した自覚なく、被害者をおもんぱかるだなんて、反吐が出るだろうね。

 おかげで君はピアノを人前で弾けなくなってしまった。
 弾こうとすると、手が震えてしまうんだろう? 君をよく指導している教師から聞いたよ。


 ……謝って許されることじゃない。僕の罪は、それほど深いものなんだ。杏梨。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

フラレたばかりのダメヒロインを応援したら修羅場が発生してしまった件

遊馬友仁
青春
校内ぼっちの立花宗重は、クラス委員の上坂部葉月が幼馴染にフラれる場面を目撃してしまう。さらに、葉月の恋敵である転校生・名和リッカの思惑を知った宗重は、葉月に想いを諦めるな、と助言し、叔母のワカ姉やクラスメートの大島睦月たちの協力を得ながら、葉月と幼馴染との仲を取りもつべく行動しはじめる。 一方、宗重と葉月の行動に気付いたリッカは、「私から彼を奪えるもの奪ってみれば?」と、挑発してきた! 宗重の前では、態度を豹変させる転校生の真意は、はたして―――!? ※本作は、2024年に投稿した『負けヒロインに花束を』を大幅にリニューアルした作品です。

乙男女じぇねれーしょん

ムラハチ
青春
 見知らぬ街でセーラー服を着るはめになったほぼニートのおじさんが、『乙男女《おつとめ》じぇねれーしょん』というアイドルグループに加入し、神戸を舞台に事件に巻き込まれながらトップアイドルを目指す青春群像劇! 怪しいおじさん達の周りで巻き起こる少女誘拐事件、そして消えた3億円の行方は……。 小説家になろうは現在休止中。

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

切り札の男

古野ジョン
青春
野球への未練から、毎日のようにバッティングセンターに通う高校一年生の久保雄大。 ある日、野球部のマネージャーだという滝川まなに野球部に入るよう頼まれる。 理由を聞くと、「三年の兄をプロ野球選手にするため、少しでも大会で勝ち上がりたい」のだという。 そんな簡単にプロ野球に入れるわけがない。そう思った久保は、つい彼女と口論してしまう。 その結果、「兄の球を打ってみろ」とけしかけられてしまった。 彼はその挑発に乗ってしまうが…… 小説家になろう・カクヨム・ハーメルンにも掲載しています。

榛名の園

ひかり企画
青春
荒れた14歳から17歳位までの、女子少年院経験記など、あたしの自伝小説を書いて見ました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

「ノベリスト」

セバスーS.P
青春
泉 敬翔は15歳の高校一年生。幼い頃から小説家を夢見てきたが、なかなか満足のいく作品を書けずにいた。彼は自分に足りないものを探し続けていたが、ある日、クラスメイトの**黒川 麻希が実は無名の小説家「あかね藤(あかね ふじ)」であることを知る。 彼女の作品には明らかな欠点があったが、その筆致は驚くほど魅力的だった。敬翔は彼女に「完璧な物語を一緒に創らないか」と提案する。しかし、麻希は思いがけない条件を出す——「私の条件は、あなたの家に住むこと」 こうして始まった、二人の小説家による"完璧な物語"を追い求める共同生活。互いの才能と欠点を補い合いながら、理想の作品を目指す二人の青春が、今動き出す——。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...