亡き少女のためのベルガマスク

二階堂シア

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23話 キレるラフマニノフ

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 予選コンクール一日目。

 朝、いつも通り綾瀬恭平と連弾をしてから一緒に市のホールまで歩いて来た。

 ホールは学校からすぐ近くにあって、こういう大きめの行事をする時はよくお世話になっている。

 ピアノ専攻、声楽専攻、管弦打楽器専攻で各ホールに分かれてコンクールは開催される。ピアノ専攻は人数が多いので、大ホールだ。


 ホールの外ではうちの高校の生徒たちがそれぞれ待ち合わせをしているようで、結構人が集まっている。
 私たちが歩いて来たら、急にざわつき始めた。

 『うわ、一緒に来てる。付き合ってるって噂、本当なんだ』『うわーショック……』『なんで春若杏梨と……』
 そんな勝手な声が聞こえてくる。気まずいから、もう少し小さい声で喋ってくれないかな。全部丸聞こえなんだけど。

 はあ……と無意識にため息を零したら、綾瀬恭平が心配そうに私の顔を覗き込んだ。


「気になる?」
「いや、別に……ただウザいなって思っただけ。アンタは?」
「君のこと以外興味ない」
「ねえ、本当そういうの誤解されるから……」


 綾瀬恭平の言葉は端的すぎて、そんなに深い意味はないのに誤解を生みやすい。
 案の定今のも聞かれたみたいで、周りが更にざわめいた。

 あーあ、もう知らない。

 ヤケになったまま、私はホールへと入った。


 ホール会場は家族観覧が可能なのもあって、自由席だ。綾瀬恭平と隣同士で座る。


「アンタの両親は?」
「今日は来てない。明後日の本選は来ると思う」
「ふーん、そっか」


 会話はそれだけ。あとはお互いに何も言わずに、コンクールが始まるのを待っている。


 会場の入口で配られた演奏順一覧をぼーっと眺めて時間を潰す。うちのクラスの名簿を見るも、誰が誰だかさっぱりわからない。


 会場の照明が暗くなり、ブザーが鳴る。学内コンクールの始まりだ。


『一番、有賀瑠奈ありがるなさん』


 会場のアナウンスが名前をコールし、制服姿の女子が出てくる。声は出さずに、あっと口を開いてしまう。

 ハイエナ女子だ。しかも私にバケツの水ぶっかけて来た奴。名前初めて聞いたかも。……あれ、一回聞いたっけ?


 コンクールは一人持ち時間十分で、その間なら何曲弾いてもいいし、選曲も自由だ。
 何を弾くか確認しようと名簿を開きかけるが、暗くて見えなさそうなので止めておく。


 ハイエナ女子はひどく緊張した様子で椅子に座る。遠目でもガチガチなのがわかる。こちらにまで緊張が移りそうだ。

 細かな波がさざめくような低音のはじまり、ラフマニノフのエチュード『音の絵』Opオーパス.39-1だ。

 荒々しい曲調が特徴で、複雑で密度の高い音の跳躍を要求される。
 アルペジオの波、強いフォルテ。時にしっとりとしたピアニッシモと、感情の起伏が激しい。……はずの曲なのに、音がバラバラに離れている。波が荒れている。大荒れだ。

 緊張で指が動かないのかもしれない。音数が足りてない。ミスタッチだらけだ。もしラフマニノフが生きていたら、恐らく激怒していたと思う。

 観客席も妙にざわついている。お世辞にも上手いとは言えない演奏に、皆動揺している。

 ……圧倒的な練習不足。ご愁傷さま、としか言えない。


 ハイエナ女子は演奏を終えると、まだ残り時間はあるのに、立ち上がってお辞儀をした。ひどい演奏をした自覚があるのだろう。

 パラパラと乾いた拍手が鳴り、ハイエナ女子は逃げるように舞台を後にした。


「……あれ、君のクラスの人じゃないの? 彼女、本当にピアノ専攻?」


 綾瀬恭平から問われ、苦笑いで返す。

 人に嫌がらせしてる暇があったらピアノ練習しろよ。そう思わずにはいられなかった。
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