亡き少女のためのベルガマスク

二階堂シア

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16話 この時間がどれだけ大切か

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 少し早めに登校する朝。
 人も少ないからイヤホンを外している。いつもは雑音しか聞こえない環境音も、今日はクリアな音に聞こえる不思議。

 綾瀬恭平と連弾する楽しみが、私を浮かれさせる。

 音楽室からいつも聞こえる月の光は、防音室へと移動していた。
 私が入ると、綾瀬恭平は演奏する手を止めて、軽く会釈をする。私は「おはよ」と短く挨拶しておく。


「ねえ、どうしていつも『月の光』弾いてるの? 今度の学内コンクールの曲?」


 綾瀬恭平は当然推薦枠だ。まあ、彼の実力なら推薦枠など必要ないだろうけど。


「そうだけど……そうじゃない」
「何それ。変な答え」


 学内コンクールで弾こうとしてるから毎日練習してるのかと思ってたけど、どうやら理由が他にもあるらしい。
 質問ついでに、もう一つ気になっていたことを聞く。


「てか……それ、私の弾き方そっくりなんだけど、偶然?」
「……」


 綾瀬恭平は一瞬泣きそうな顔をしたあと、今度はしかめっ面をしてピアノを睨み、口を噤んだ。


「何その顔。答えたくないの?」


 綾瀬恭平は何も言わない。答えたくないという意思表示だろう。それならそう言えばいいのに、無口すぎる。


「一応聞くけど。悪意があるわけじゃないよね?」


 私の弾き方をコピーして毎朝演奏をしていることに何か変な意図がないか確認する。
 綾瀬恭平は一度だけ頷いた。


「……ならいい。今は聞かないでおいてあげる。てか答える気なさそうだし」


 無理矢理問い詰めたところで答えは返って来なさそうだし、綾瀬恭平から敵意は感じない。
 時間ももったいなので、その話題は切り上げた。


「今日、何弾く? この前の『仮面舞踏会』とかど──」


 突然、ガタッと防音室のドアノブが上にあがる。
 防音室特有のグレモンハンドルは、開けるのに力がいる。誰かがここに入ろうとしない限り、普通勝手に上がることはない。

 誰だろう? と、綾瀬恭平と顔を見合わせる。


「……ちょっと待ってて」


 綾瀬恭平が立ち上がり、ハンドルを押して扉を開けた。


「あ、綾瀬様……すみません、お邪魔するつもりじゃなかったんですけどお……」


 そこにいたのは以前音楽室前で集まっていた綾瀬ファンたちだった。

 しかし綾瀬『様』とは……なんかすごい。ちょっと引く。

 綾瀬恭平の表情は変わらずだけど、少し空気が引き締まった感じがする。


「何?」
「昨日から音楽室でお姿を見かけなくて……私たち心配しててえ」


 綾瀬ファンは私の方をチラッと見て、口元をぴくぴくと引き攣らせた。……あ、また敵が増えた、これ。


「何してるんですかあ?」
「別に。君たちには関係ない」
「……あのぉ、余計なお世話かもしれませんけど、あんまり変な人と付き合わない方がいいですよ。綾瀬様の評判に傷がつくって言うか──」
「帰って、今すぐ」


 綾瀬恭平は有無を言わさず扉を閉め、グレモンハンドルを下にさげた。そんなに無下にしていいのかと、他人事ながら少し心配になる。


「……良かったの? 大事なファンじゃないの?」
「別に大事じゃないし、どうでもいい。君とこうしてることより大事なことなんてない」
「そ、そっか……?」


 そんなに私との連弾気に入ってくれたんだ。私も同じだし、そう言ってくれて嬉しいけど……なんかちょっと恥ずかしい。


「早く弾こう。時間がもったいない」


 綾瀬恭平は私の手を引いて椅子に座らせる。
 選曲は? と聞こうとする前に、綾瀬恭平が『仮面舞踏会』の序盤を軽く弾いて私に視線の合図を送ってきた。

 ちゃんと私のリクエスト聞いていたのかと少し笑いそうになりながら頷いて、指を動かした。
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