亡き少女のためのベルガマスク

二階堂シア

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懺悔

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 彼女のピアノを聞くのは、その日が初めてだった。


 彼女が選んだ課題曲はドビュッシーの『月の光』。中盤以降はテクニックが必要だが、僕の幻想即興曲に比べるとやや難易度は落ちる。
 技巧よりも感情表現がメインの曲だ。
 僕は技巧派だから、彼女は表現派なのかと、タイプが違うなと思った。


 僕は固唾を飲んで見守った。本当は演奏後は速やかに出て行かなきゃいけなかったけど、彼女の演奏をこの耳で聞くまでは絶対に動けなかった。


 そして、ついに始まった。
 冒頭、ピアニッシモで始まる旋律。──僕に衝撃が走った。

 たった数音。それだけで空気が一気に変わる。彼女の世界に引き込まれる。
 

 レガートで奏でられる旋律は、繊細なアルペジオの伴奏に支えられ、音がまるで淡い月の光のように柔らかく広がっていく。


 僕の目に、夜空に浮かぶ月の光が映り込んだ。幻覚かと思った。でも違う。これは彼女が見せている世界なんだ。


 僕は息をするのも忘れて、呆然と佇むことしか出来なかった。彼女のピアノから溢れ出す月の光を浴び続けた。


 ──本物だ。これが本物の天才なんだ。


 この音が聞こえるすべての人を、彼女の彩る世界へと引きずり込む才能。圧倒的な存在感。
 僕にはこんな演奏、どうやったって出来ない。

 僕の持つ超絶技巧など霞んで見えた。
 本物の天才の前に、僕はあっけなく押し潰されたんだ。


 演奏時間は四分三十秒。それは永遠のように長く、光の速さほど短く感じた。


 最後の一音が僕に終止符を打つ。音の余韻が消え、彼女の生み出した幻想の世界が解けていく。


 瞬間、観客の拍手が割れた。僕の耳で割れた。
 痛みを感じるほどの拍手の音が鳴り響き、それは僕との埋められない格差を如実に表していた。

 負けた、なんて思うことすら烏滸おこがましい。そもそも僕は、彼女と同じ土俵にすら上がれていなかったんだ。


 その日、僕の天才ピアニストとしての人生は終わり、同時に僕は彼女に、どうしようもなく──いや、なんでもないよ。
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