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13話 ストリートピアノ
しおりを挟む『ピアス、似合ってるよ』
水族館を出る前に土産屋で買ったイルカのピアスを耳につけると、彼から褒められた。
私はしっかり今日という日を楽しんでしまっている。
時刻は既に夕方。水族館から帰る家族連れの姿も多くなってきた。
「そりゃどうも。そろそろ帰る?」
『待って、最後に少しだけ寄って欲しいところがあるんだ』
「今から?」
『そんなに時間は取らせないから』
特にこの後急ぐような用事もない。彼の口ぶりからして私に行かせたい感もあるし、「わかった」と了承する。
徒歩圏内らしく、彼のナビに従って歩いていく。
『そこ曲がってから少し先に──』
案内の途中、急にブツっと切れた。スマホの画面を見ると真っ暗になっている。
「あ、充電切れた……」
昼からほぼずっと繋ぎっぱなしだった通話。さすがにバッテリーが持たなかったようだ。
モバイルバッテリーも持っていないし、近くに充電スポットもない。
困ったな、連絡手段がない。
とりあえず彼が最後に言っていた角を曲がり、真っ直ぐ歩いてみる。
するとどこからともなくピアノの音が聞こえてきた。
導かれるように音のする方へ足が進む。
私の視界に入ってきたのは、オシャレな白い石畳の広場に、ポツンと設置されたアップライトピアノ。
最近色んな場所で見かけるストリートピアノだ。
それを弾いてるのは──綾瀬恭平!?
白く塗装されたピアノの前に座るアンニュイな雰囲気の男性。その姿は見紛うことなき綾瀬恭平だ。
夕方だからか広場はほとんど人通りがなく、彼のピアノを聴くために立ち止まっている人はいない。
今綾瀬恭平が弾いているのも、指慣らしのための簡単な練習曲のせいもあるが。
意外な出会いに足を止めてしまい、綾瀬恭平がピアノの手を止めて振り向く。気付かれてしまった。
「……」
「……」
ガッツリ視線が合い、変な沈黙が私たちの間を流れる。
綾瀬恭平とは四年前のコンクール以来、しっかりと顔を合わせたことはない。そもそも向こうは私のことを覚えてるんだろうか。
すると何を思ったか、綾瀬恭平はイスを一人分ずらして一緒に座るよう促してきた。私が一緒に弾きたいと思っていると勘違いされたかもしれない。
「えっ、悪いけど私ピアノは……」
断ろうとするが、綾瀬恭平は私に視線を送りながら、タタン、タタンと同じリズムの音を鳴らす。どうやらこれを弾けと言っているらしい。
「副旋律を弾けって……? でも、まともに弾けないし……」
綾瀬恭平はまた同じリズムで鍵盤を叩く。これだけでいいから、そう言いたいらしい。
なんで喋らないのかよくわからない。
学校でも誰かと話している姿を見かけることはほぼないから、無口な人なんだろうか。
綾瀬恭平は私が座るのを待っている。私は周りを確認した。
人もそんなにいないし、簡単なリズムだけなら……
そっと鍵盤に指を乗せる。指が震えている。その震えを押さえ込むように指を沈ませ、タタン、タタンとメロディを奏でた。
綾瀬恭平は華やかな主旋律を繰り広げる。
その低音と力強い和音のはじまりは、ハチャトゥリアンの『仮面舞踏会』だ。
私は簡単なリズムしか刻んでいないけど、綾瀬恭平がほとんど旋律を担ってくれている。音はそれほど霞まない。
幻想的なメロディが高く、華やかに舞い上がる。曲全体に活気と期待が纏う。まるで舞踏会の始まりを告げるような興奮が引き起こされていく。
あ、楽しい……!
胸が弾むこの感覚。音が光を帯びて弾けていくような気持ちよさ。
音の世界に入り込んで、感覚が蕩けていくような。
楽しい。……楽しい!
綾瀬恭平の旋律と私の単調なリズムが絡み合う。
連弾と呼ぶには少し物足りないだろうけど、演奏がこんなにも楽しいと思えたのは久々だ。
そしてクライマックスが近付く。
綾瀬恭平が急速にテンポを上げると、音が激しく跳ねる。
高揚感に包まれ、終わりへと導いていく。華麗なる舞踏会は、低音のフォルティッシモで幕が降りる。美しく、華々しく締めくくられた。
最後の一音の余韻がふっと途切れた瞬間、わあっと歓声と拍手に包まれる。
いつの間にか大量の人に囲まれていた。演奏に夢中で、全く気付いてなかった。
私たちを囲む人たちは皆笑顔で、心からの賛辞を送ってくる。誰も私を攻撃してくることはない。
……罵倒、されないんだ。……そっか……そうなんだ……
戸惑っていると、隣に座る綾瀬恭平と目が合う。
なぜか彼は仄かに微笑していて、軽く頷いた。
「素敵な演奏だったよ。春若さん」
ボソボソと小さな声でそう言った。……私のこと、覚えてたんだ。
綾瀬恭平は立ち上がると、観衆に向かって丁寧にお辞儀をする。そしてもう一度私の方へ振り向いた。
「またね」
そう言って彼は帰って行った。観衆たちも満足した様子で散っていく。
「また……ね」
既にいない綾瀬恭平に向かって呟く。久々に味わったこの高揚感に、私はしばらくその場から動けなかった。
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