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73話 悪態をつく聖女が歩む道①
しおりを挟む──身体が、羽根のように軽い。
今までとは、全く反対の感覚。
解放されたような、身体に自由が許されたような。
ライナスが私を選んでくれるなんて、思っていなかった。
確かに結末を変えてと願ったけれど……国民を敵に回す選択をさせてしまったわ。
不完全な聖女の話は公にされてはいないとはいえ、万が一漏れることがあればライナスは責任を問われるかもしれない。
私の運命は変わらない。だから、私の命を使ってできるだけ多くの人を救う。
それが、私が報える唯一の方法なのだから。
「アイヴィ」
呼ばれて、ふっと目を覚ます。
すくい上げてくれるような優しい声で私の名を呼ぶその声に、一瞬で意識をハッキリと覚醒させる。
「え……?」
サファイアの美しい蒼い瞳が至近距離で私を見つめていて、驚きと恥ずかしさでほとんど反射的にライナスの身体を押して距離を取ろうとする。
「うわあ! 近っ、近いってば、ライナ──」
しかし、しっかりと私の身体はライナスの腕に抱えられていて、失敗に終わった。伸ばした自分の腕を見て違和感を覚える。
ずっと悩まされていた倦怠感も重さも何も無く、身体が嘘みたいに簡単に動く。
まるで骸骨のように細くなっていた手も足も、すっかり元通りになっていて目を疑う。
「あ……エルシーの聖女の力が私に移ったのね」
ライナスがエルシーのハルモクリスタルを破壊し、私が正式の聖女と認められた……のかしら。
だからエルシーの聖女の力が私に譲渡され、その分生命力も戻ったのだと勝手に理解する。
一通り自分の身体を確かめると、ライナスとふと目が合った。
部屋の明かりは消えていて、月明かりだけの暗がりという今の状況と、目覚めた時あまりにライナスと距離が近かった動揺で気付かなかったけれど、ライナスの額に血の痕を見つける。
血は既に乾いており、怪我を負ってからそれなりに時間が経っているようだった。
「あなた……怪我をしているわ」
聖女の力を使ってライナスの傷を癒す。
しかし反動の倦怠感は一向に訪れず、私は力を使った手のひらを自分に向けて首を傾げる。
聖女の力を使っても、全く疲れないわ。……どうして?
正式の聖女だと認められたとはいえ、不完全な聖女の運命まで変えられた……なんて、そんなことあるのかしら?
神が私を許すだとかエルシーはそんなことを言ってはいたけれど、私が正式の聖女となった場合のことは言及はされていないから、わからない。
混乱に陥る私の手を取って、ライナスは包むように自分の手を重ねた。
「君はもう、死に怯えなくてもいいんだ。聖女の力をいくら使おうが命を削ることはない。本物の聖女になったのだから」
「え? ええ? どういうこと?」
そういえば部屋にエルシーの姿がない。彼女から何か話を聞いたのかと思い説明を求めるも、ライナスは首を横に振った。
「詳しくは後で説明する。それよりも今は、君に聞いて欲しい」
疑問が解消せず困惑する私の意識を向けさせるように、ライナスは私の瞳を覗き込んだ。
ライナスと密着し、私の身体に伝わる体温を今更意識して、頬が熱を帯びる。
「これからも私の隣にいてくれるか。私の妻になって欲しい人は、君以外考えられない。──君を、愛している。アイヴィ」
じわりと、私の目に涙が一雫浮かぶ。
思い描くことすら躊躇っていた幸せな現実が、今私の目の前にある。
ライナスの隣に立って、一緒の未来を見て、永遠に想い合うことを許される、そんな現実が。
「夢じゃ……ないの? 本当に?」
「ああ、夢じゃない」
「もう、すぐに死ぬことはないの? 私……生きられるの?」
「ああ、死んだりしない。君はもう苦しむことはないんだ」
ポロポロと細かな雫が瞳から落ちていく。
夢じゃないと、ハッキリと告げられた事実が私に染みていく。宥めるようにライナスの指が涙を拭った。
「あなたのそばにいてもいいの? 私、きっとこれからも悪態つきまくるわよ。酷いことや心にも思ってないことも言ってしまうわよ。……可愛げないわよ。そんな女でいいの?」
本物の聖女になったとはいえ、私がジェナを演じてしまうことは簡単には変えられない。
今だって、気を抜けば「……なんて、私が言うとでも思った?」などと口にしてしまいそうなのを必死に我慢している。
奇跡的にライナスは私のことを好きだと言ってくれたけれど、本当にこんな私でいいのかと、自信の無い弱い心をぶつけてしまう。
ライナスは私の不安を吹き飛ばすように、ふっと息を零しながら微笑した。
「いくらでもつけばいい。君がどれだけ悪態をつこうが、君の本心は私が理解する」
胸がいっぱいになって、言葉が喉につかえる。
喜びに震えた涙は大粒になり、自分の手で拭う。
大切な言葉を伝える為に胸元を押さえた。
「……ねえ、きっと一度しか言わないわよ。よく聞いて」
ジェナ、お願い。この言葉だけは素直に伝えたいの。
どうか邪魔をしないで、言わせて頂戴。
自分に言い聞かせるように強く願えば、私の頭の中にあったジェナの意地悪なセリフはすべて消えた。
「──あなたが好きよ、ライナス」
言い終えると同時に、唇を塞がれる。
甘くて優しいキスは、また涙が溢れてしまうほど幸せで、私はライナスの肩にそっと触れて目を瞑った。
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