69 / 76
69話 例え世界中を敵に回しても
しおりを挟む鬱屈な気分に沈むライナスを嘲笑うように、雲ひとつない太陽が空に浮かんで彼の肌を刺した。
庭園の花達は陽の光を喜んで受け入れ、瑞々しく輝いている。
アイヴィが倒れた薔薇の花の前で、第二の聖女を名乗る女が左手を空に掲げると、その手の先からパアッと光が放出され、庭園全体に降り注ぐ。
光が収まると、花は生命力を与えられたように力強く、更に美しく咲いていた。
その聖女に背後からライナスが近付き、地面の砂を踏む足音を鳴らす。
「……わたしに、何か御用でしょうか。王太子殿下」
アッシュグレーの髪は一切揺れることなく、女性は背中越しに声をかける。
聖女の祝福を浴びた花の一つから、引っ掛かって消えていない光の雫をライナスは指で弾いて落とした。
「エルシー嬢。君に聞きたいことがある」
呼ばれたエルシーはようやく振り向いた。
心の中を見透かすような視線をライナスへ向けたあと、彼女は口角を僅かに上げた。
「聖女アイヴィを救う方法ですか? 彼女は立派に役目を果たしましたよ。あとは天寿を全うするのみです」
「天寿、と言う割には自分で好きなだけ削れるようだが」
「それも全て神の采配です」
毒気のない笑顔でエルシーは切り返す。
理不尽を受け入れることを正しいのだと疑うことなく、淀みのない思考をして。
「随分と救いのない神なのだな。人々の為に尽くした彼女に報いる必要などないということか?」
ライナスの語気は思わず強まる。
目の前にいる女性も聖女だと言うのに、同じ聖女に対してあまりに心無い考えではないかと苛立ちを隠せない。
「聖女は見返りなど求めません。人々を救うことは使命なのですから、当然のことです」
使命を果たすために発現したのだから、自分の身がどうなろうと関係ないというのがエルシーの主張のようだった。
考え方が根本的に違うのだからこれ以上の議論は無駄だとライナスは諦め、自分の意志をエルシーへと伝える。
「……私は彼女に生きて欲しい。彼女が聖女であることなど関係ない。どうにかして救うことは出来ないのか」
「そんなにも彼女を救いたいのですか? 本気で?」
「ああ。私に出来ることなら何でもしよう。この身と引き換えになっても構わない」
シナモン色の瞳が、ライナスを見定めるようにじろりと動く。
「そうですか……。方法がないわけではありません。殿下が選んでください」
「選ぶ……?」
「わたしを残すか、不完全な聖女であるアイヴィさんを残すか。いずれかのハルモクリスタルを破壊すれば、選ばれた者が本物の聖女と認められるのです。アイヴィさんを選べば自動的にわたしの力が彼女に譲渡されますわ。……ただし」
エルシーは警告を促すような低い声を出す。
ライナスは拳をグッと握り締め、良からぬことを言われるであろう次の言葉に身構えた。
「アイヴィさんは不完全な聖女から変わるわけではないので、相変わらず聖女の力を使うには生命力を使いますよ」
「……それは、つまり」
「彼女を長く生かしたいなら聖女の力を使わせることは出来ません。実質この国から聖女はいなくなります。アイヴィさんを救うことを諦めたら、もっと大勢の方を救えるんですよ。……まさかそれでもアイヴィさんを選ぶんですか?」
「…………」
エルシーのハルモクリスタルを破壊して聖女を失いアイヴィを救うか、アイヴィを見殺しにしてエルシーを選び、これから先も様々な困難から救ってくれる聖女を残すか。
普通なら、迷うような選択肢では無い。誰だって後者を選ぶはずだ。
王太子であるライナスにとっても、後者以外は選ぶ余地もないものだ。
しかし、アイヴィに好意を抱いている彼には、これ以上ないほど残酷な選択肢だった。
王太子である自分が愛に走って聖女の存在が与える莫大な恩恵を潰すなど、とても簡単に選べることではない。
つまりはアイヴィを救うことなど出来ないのと同義で、ライナスはただ沈黙して立ち尽くした。
「……。わたしはアイヴィさんの元へ行っておりますわ。お心が決まればお越し下さい」
エルシーは放心するライナスを残してその場から離れる。
残されたライナスは、暗闇の中に閉じ込められたように音も光も失った。
自分の愛する女性一人守ることも救うことも出来ない現実に、自分の無力さを思い知らされる。
ただこのままアイヴィが弱って死んでいくのを、指をくわえて見ているだけなのかと何度も自問を繰り返すが、その答えが出ることはなかった。
「ライナス」
人の気配にすら気付く余裕もなく、ライナスは突然近くで名前を呼ばれて驚きに身体を震わせる。
「母上……」
ライナスの前に立ったのは、美しいブロンドの髪をした彼の母だった。
いつもは優しい眼差しを向けてくれるセリーナは、気迫を感じるほどに険しい表情を浮かべていた。
「悪いけどすべて聞いてしまったわ、今の話」
「…………」
腰に手を当てて下から鋭く睨んでくる母の視線に、ライナスは耐えられずに逸らす。
「エルシーさんの聖女の力を潰すつもり? 王妃としては見過ごせないわ」
「……私は……」
「……でもね、命を懸けて人々を救ってくれたアイヴィさんを見殺しにするなんてもっと見過ごせないわよ、ライナス」
「!」
母からの意外な発言にライナスの瞳は大きく開く。
まさかアイヴィを救えと言うのかと、彼は言葉の真意を疑う。
「恩を受けておいて使えなくなったら捨てるような恥ずべき真似をしたら、ハイルドレッド国の名誉に関わるわ。国益の損得を取って自分の誇りを失う生き方をするぐらいなら、死んだ方がマシよ」
「……なら聖女を失うことになってもアイヴィ嬢を救えと? どうしてそこまで母上は彼女のことを……」
「私が何年王妃を務めていると思うの。大体ひと目見たらその人の善悪くらい読み取れるのよ。私は単純にアイヴィさんが好きなだけ」
セリーナはライナスの手を取り、撫でるように優しくなぞった。
「……それに、母親としてあなたに幸せになって欲しいのよ。ライナス」
「母上……」
本当ならセリーナは、アイヴィは死ぬ運命なのだから無理に捻じ曲げるなと説得するべき立場である。
にも関わらず、自分がアイヴィを愛する気持ちを汲んで背中を押す母の想いに、ライナスは胸が詰まりそうになる。
しかし話はそう単純なものではなく、ライナスは苦悩に顔を歪ませた。
「だが……個人的な感情で動けば、王家への影響は避けられない……。下手をすれば反乱すら──」
「選びなさい、ライナス。エルシーさんを残すというのなら、アイヴィさんはこのまま死ぬだけよ」
「…………」
セリーナはライナスの手を一度強く握り締めてからゆっくりと離す。
辛い選択を迫られる息子を不憫に思い、心を痛めた。
10
お気に入りに追加
260
あなたにおすすめの小説


【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。

誰でもよいのであれば、私でなくてもよろしいですよね?
miyumeri
恋愛
「まぁ、婚約者なんてそれなりの家格と財産があればだれでもよかったんだよ。」
2か月前に婚約した彼は、そう友人たちと談笑していた。
そうですか、誰でもいいんですね。だったら、私でなくてもよいですよね?
最初、この馬鹿子息を主人公に書いていたのですが
なんだか、先にこのお嬢様のお話を書いたほうが
彼の心象を表現しやすいような気がして、急遽こちらを先に
投稿いたしました。来週お馬鹿君のストーリーを投稿させていただきます。
お読みいただければ幸いです。

聖女のわたしを隣国に売っておいて、いまさら「母国が滅んでもよいのか」と言われましても。
ふまさ
恋愛
「──わかった、これまでのことは謝罪しよう。とりあえず、国に帰ってきてくれ。次の聖女は急ぎ見つけることを約束する。それまでは我慢してくれないか。でないと国が滅びる。お前もそれは嫌だろ?」
出来るだけ優しく、テンサンド王国の第一王子であるショーンがアーリンに語りかける。ひきつった笑みを浮かべながら。
だがアーリンは考える間もなく、
「──お断りします」
と、きっぱりと告げたのだった。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

【1話完結】元ヒロインと元悪役令嬢の今世で
ユウキ
恋愛
元ヒロインと元悪役令嬢が転生したのは現代日本。
そんな2人が高校で再会して暫く。
因縁のあった2人は自由に話せるようになった今、どんな話をするのか。
※会話のみで展開します
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる