夜霧家の一族

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十章 永いお別れ

<人定 亥の刻> 美人

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蚊母鳥が「キュキュキュキュ」と啼いていた。

そこへ一陣の風が吹き、
白煙を夜空へ撒き散らした。
雲が流れ望月が完全にその姿を現した。

「柳に燕」の刺繍がされた
濡羽色の着物に身を包んだ陰陽が
仰向けに倒れていた。
そのみぞおちには脇差『空也』が突き立っていた。

「少し喋りすぎたようだな、陰陽。
 自ら在処を教えているようなものだったぞ」
一双斎が足を引きずりながら
ゆっくりと陰陽の方へと歩み寄った。

「残念だったな」
そう言って一双斎は
陰陽に刺さっている脇差へ手を掛けた。
「うくぅ」
陰陽の口から呻き声が漏れた。
「・・ど、どうして」
それから陰陽が苦し気に口を開いた。

「策士策に溺れたな。
 煙幕の中、音を頼りにしたのが貴様の敗因だ。
 貴様の折った太刀『一胴七度』は
 その身に空気を纏うが、
 この脇差『空也』は空気を斬り裂く。
 『空也』は投刀として使われてこそ
 初めてその真価を発揮する。
 貴様には『空也』が飛んでくる音が
 聞こえなかったのだろう」
「な、なるほど・・」
陰陽が歯を食いしばりつつも
精一杯の笑みを作った。
「・・そういえば昔、
 兄妹の皆でよく隠れん坊をして遊んだね。
 に、兄さんが鬼の番になると、
 不思議と強かったのは、
 一槍斎兄さんと二人で協力してたんだね」
「『神出鬼没』の練習には
 うってつけの機会だったからな。
 どちらにしろ子供の悪ふざけだ」

「夜霧の家は隠れた女の手によって崩壊する・・」
陰陽の言葉が夜風に乗って周囲に響いた。
「・・ある日、
 いつものように隠れん坊をしていた時、
 ボクは巽の間の押入れの前で
 予見と、鉢合わせになったんだ・・。
 二人で押入れに隠れたその時、
 予見が今の言葉をボクに言ったんだよ・・。
 よ、予見がボクの・・
 か、体の秘密を知っているのかと
 怖くなったボクは・・
 押入れから飛び出したんだ。
 け、結局そのせいで、
 兄さんに見つかったんだけどね。
 あ、あれはどっちの兄さんだったのかな・・」
そこまで一息で話すと
陰陽は大きく口を開けて息を吸った。
「そんな昔のこと、覚えてないな」
一双斎が興味なさそうに陰陽を見た。
陰陽が苦しそうに一双斎の目を見つめ返した。

「・・最後に聞かせてくれないか、兄さん。
 か、母さんを愛してた兄さんが、
 ど、どうして予見と男女の仲になったのか・・。
 そ、その理由を」

一双斎が小さく溜息を吐いた。
「女を抱くのに『愛』が必要か、陰陽?」
「な、なるほど・・。
 やっぱり、
 兄さんは一槍斎兄さんとは
 その見目以外は別人だ・・。
 結局、兄さんの中にある、
 ただ一つの『愛』の感情ですら
 偽物だったんじゃないのかい・・?」

一双斎はそれに答えず、夜空を見上げた。

「で、でも結局、予見の予言は外れたようだね。
 この家を滅ぼすのは女じゃなかった。
 影として隠れて生きてきた男だった。
 よ、予見はなぜ・・
 に、兄さんみたいな男を愛したんだろうね」
そう言って陰陽は
口を微かに開けて「ははは」と笑った。
その口の端から一筋の血が垂れた。

「その答えはあの世で予見に聞くがいい」

一双斎が何の躊躇いもなく
陰陽の体から脇差を引き抜いた。
同時に陰陽の腹から血が噴き出して、
陰陽の顔が苦痛に歪んだ。


蚊母鳥が「キュキュキュキュ」と啼いていた。

「あ、闇耳を甘く見ない方が良いよ・・兄さん。
 あ、あいつの目は見えてるんだ・・」
陰陽が声を絞り出した。

「・・なぜ俺に話した?」
一双斎が無表情のまま
倒れている陰陽に目をやった。
陰陽は苦しそうに大きく息を吸うと
一双斎から目をそらして
夜空に浮かぶ望月に視線を移した。
それから力なく口を開いた。
「・・嫉妬だよ。
 ボクは闇耳の笛の音に嫉妬していたのさ。
 ボクにはない闇耳の才能に・・」

一双斎はくるりと向きを変えると歩き出した。
風が吹いて一双斎の着物がはためいた。
着物に描かれた「芒に月」が
月明かりに照らされて
くっきりと闇の中に浮かび上がった。
去りゆく一双斎の背に向かって
陰陽は力の限り声を張り上げた。
「兄さん!
 闇耳の龍笛『玄武』の音には気を付けて!
 アレは人を惑わす幻夢の音・・」

一双斎は振り返らなかった。
その背を陰陽は悲しそうに見つめていた。
「さよなら兄さん・・。
 ボクは一足先に一槍斎兄さんの処へ行くよ・・」
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