月に落ちていくように

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回顧

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 カーラと別れた直也は、ナトラージャとユアンの案内で市場を楽しんだ。
 屋台で売られている野菜や生活用品の値段を見て、物価やこの世界の生活状況がわかった。
 車もなければ、電子機器もない。
 ジャンキーな菓子も売っていなければ、化学製品という物もなさそうだ。
 早く言ってしまえば、やはり異世界ファンタジー。

 ナトラージャにエスコートされるように腰を掴まれながら、屋台の店が数十と並ぶ道の端へたどりついた。
 目の前には、レンガ造りの建物を有する店が立ち並ぶ。

「屋台の店は生活する上で基本的な必需品を売っていますが、こちらの地区は、少し値の張る万年筆や嗜好品を扱う店が並んでいるんです」

 そう教えてくれたユアンが入ったのは文房具屋らしきところで、扉を開けると来訪を知らせるベルがカランコロンと大人しく鳴った。
 店主らしい老人が笑顔で挨拶をすると、挨拶を返したユアンが慣れたように紙を注文する。
「いつもの紙で良いですか?」と店主に聞かれているあたり、常連なのだろう。

 ナトラージャ達の家にある万年筆と同じものが、ガラスのケースに展示されている気づいて、直也はその横に表示されている金額に驚く。

 屋台で売られているペンはインクを浸し使うものしかなかったが、ペンを五百本ほど買える額が記されている。
 その横にあるインクも、いつもメモ書きや勉強に使っている真っ白な紙も、屋台で見た額よりも三倍ほど高い。
 そもそも、真っ白な紙は屋台には売ってはいなかった。
 屋台に売られていたのは、すべて少し黄ばんだような荒い作りの紙だ。

 薄々わかっていたことだが、ナトラージャ達の家にあるものは一般民が使っているものに比べて、質も価格も高いものが多い。
 ユアンは大体は直也と家にいるし、ナトラージャは四時間ほどで家に帰ってくる。
 それなのに、高価な物を買えるナトラージャ達はいったい何者なのだろうと直也は首を捻った。

「ナオヤ、どうした?」

 出るぞ? とナトラージャに腰を引かれて、直也は我に返る。
 すると紙が入っているのだろう紙袋を抱えたユアンに、どうしたのかというように不思議そうに見下ろされていた。

「店を出るんだよね?」

 店の出入り口を手で示して首を傾げて見せれば、ナトラージャとユアンはそうだと頷く。
「そうか」と呟いて、直也はやってしまったと頭を掻いた。

「ごめん。一つのことに集中すると周りの声とかが、聞こえなくて―――って、言葉、わからないか…………」

 目をぱちくりとするユアンとじっと見詰めてくるナトラージャが、直也の言葉を理解しようとしてくれるように耳を傾けてくれていることに歯痒く思う。
 なんでもない。と顔を横に振り、直也は二人に微笑んだ。

 自分が言語を習得すれば、いずれ二人に話せるのだからと自分に言い聞かせた。





 店を出た頃には太陽が真上ほどに上っており、昼食にしようということになった。
 市場でサンドイッチや惣菜を買い、広場に誰でも使えるように用意されたテーブルの一つに腰を下ろす。

「ナオヤ。お前はもっと、肉を食え」

 軽すぎる。とナトラージャが、サラダを食べていた直也に豚の角煮のようなものを進める。
 肉も好きだが、この年になって油っこいものを食べる前にはサラダを食べるという習慣のある直也は、頷きながらもマイペースに野菜をもさもさと食べた。

 子供達が、飲食スペースから少し離れ場所にある大きな噴水の周りを楽しそうに駆け回って追いかけっこをしている。
 飲食スペースに入ろうとする子供達に、他の人の食事に邪魔になるから少し離れたところで遊びなさいと注意して我が子達を見守る母親達。

 それを穏やかに見守る人達を見て直也は、東京のどこか殺伐としたものとは正反対の空気に深呼吸した。

(―――良いなぁ……)

 うらやましいというような思いがひょこりと出たが、それは一瞬のことで、子供達の笑い声に直也は穏やかに微笑んだ。





 人が集中し、何もかも大きく見せる都会とうきょう
 駅だけでも、すごかった。

 人の流れに、何故か挑むように逆らい続ける人。
 しかも、すぐ横にはその人と同じ方向へ行く、大勢の人達がいるのにあえて困難を選ぶのか疑問だった。
 我が道を行くように、他者にぶつかっていく人。
 イライラして、わざと人にぶつかっていく人。
 舌打ちばかりする人。

 悪い事の方が次々と目に入ってきて、直也には困惑しかなかった。
 そんな中で優しい人達に、出逢えたのも確かだが………。

(本当に都会は向いてなかったんだな。俺は)

 車社会で限られたコミュニティしかない田舎から、人があふれる都会へと来た直也は、自分も人ではあるが“人”に疲れていたのだ。
 この世界、ナトラージャにお世話になって、ゆっくりとした時の流れの中で生活したからこそわかったことだった。

 だから、だろうか。
 プログラマーだった頃、飲み会で盛り上がっている輪から離れた端で、同僚の女性の問い掛けに少し間を置きながらも頷いた自分を思い出す。

『私は、都会は向いていない。わかってるの。でもね。ここで生きるしかない。帰る場所なんて無いんだから。あなたもそうでしょ?』
『……うん』

 驚くほど直也と同じような境遇を持つ女性。
 鏡のようだった。
 だから、同士にはなれたが、恋人同士にはならなかった。
 いや。なれなかったと言えば良いのだろうか?

『家族愛、恋愛……私達どこに置いてきちゃったのかしらね』

 生まれてこの方、初恋もしたことのない二人は、そこで苦笑いした。
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