月に落ちていくように

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美人な男性

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じろじろと見詰めてしまったことを謝罪しようと直也が口を開いたところで、開け放たれていた玄関の向こうからナトラージャがひょこっと顔を覗かせた。

何事だという風なナトラージャと遅れてやってきたユアンの顔が、安堵したように微笑む。

「少し騒がしいと思ったら、ジルか」
「ごきげんよう。ナトラージャ様。そして、ユアンも」

直也に詰め寄っていた女性――――ジルは、ナトラージャへ身体ごと向き、スカート部分を軽くつまみ膝を折る丁寧なお辞儀をして見せた。

「と、もっとゆっくり挨拶をしたい所だが、抜き打ちで視察が入る」

突然、ナトラージャでもユアンでもない男性の声がした。

また新たに人が訪問してきたのかと、直也は目の前を塞ぐジルの横から顔を覗かせるが、そこには部屋に入りドアを閉めたナトラージャとユアンしかいない。
そして、迷惑をどんなにかけても怒らなかったユアンが顔を顰めていた事に、直也は驚いた。

「なんですって? 礼儀知らずですね」

美形を怒ったら怖いというのは本当だった。
そう納得させるような迫力のユアンに怯えた直也に気づき、ナトラージャがユアンの肩に手を置きながらジルに話し掛けた。

「ジル。頼みたい事がある」

そうすれば、また男性の声がする。

「ナトラージャ様。何なりと」
「その少年を預かってくれ」
「ああ」

謎の男性の声はもしかして。と直也が一つの答えを出したところで、ナトラージャが目線を合わせてきた。
それに伴い、ジルは直也に振り返る。

「そうした方が良いと、私も思っていた」

先ほどまで女性の声を発していたジルの口から、明らかに男性の声が発せられた。

そうか。この人、男の人だ。
これが噂の女装男子か。

直也が感心していると、件のジルはそんな直也に視線を合わせるように腰を屈めた。

「先ほどは、不躾な態度で済まなかった。名前を伺っても?」
「直也。俺の名前は、直也です」

どう見ても美女の顔が至近距離にあることに緊張しながら、通じないとわかっていながらも直也は自己紹介をした。

案の定、ジルは首を傾げたが、すぐに微笑む。

「おや。共通言語となって久しいが…………。こんにちは、ナオヤ様。君の時間を少しもらっても良いだろうか?」

直也が頷くと、ジルは両手で恭しく直也の手を掲げ、騎士の様に手の甲にキスをした。

ジルの格好が、それでなければ―――いや。反対に凛々しい女性にそうしてもらっているようで、直也は純粋にかっこいいと思った。

自分でなく美男か美女がされていれば、もっと絵になるのに。
残念だと思いながらも、上目遣いに綺麗な瞳に見詰められ、ほうっと眼福と幸せな溜息を小さく吐く。

実は、直也。美しいものと綺麗なものに弱い、ミーハーな部分があるのだ。

だが、すぐに幸せの雰囲気を打ち破ったのは、低く咎めるようなナトラージャの声だった。

「ジル」

呼び掛けにナトラージャに見えないと分かっていて、ジルは直也へ片目を瞑った。
そして、ジルはさっと立ち上がりながら振り返る。

「ナトラージャ様。何か不都合でも?」

少し楽しそうな声でジルに問い掛けられたナトラージャは、ムッとした顔をさせた。

年相応のナトラージャの表情をジル越しに見て、直也はひっそりと感慨深く見る。
自分より大人っぽいと思っていたが、やはりその姿は自分より年下だ。

遂にはジルがくすくすと笑いだして、ナトラージャが拳をぎゅっと握りはじめ、ユアンがまあまあというように二人の間に入る。

「ジル。ナトラージャ様がこのような様子ですので、ナオヤ様の事くれぐれもよろしく頼みますよ」
「わかっているよ。ナオヤ様に何かあれば、ナトラージャ様は私を殺しかねないからね」

からかう言葉ではあるが、どこか嘘ではなさそうにジルは肩を竦めた。

それにしても、ナトラージャがジルにからかわれて怒っているのに、何故自分の事に繋がるだろう。
直也は疑問に思ってユアンを見上げていると、ジルに洗練された動作で腰を抱かれ引き寄せられた。

「では、ナオヤ様と親睦を深める事にしよう」

ね。と言うようにまた片目を瞑ったジルに問い掛けられ、つられるように直也は頷いてしまった。

「ナオヤ」

ナトラージャが睨んできて、咄嗟に直也はジルにしがみ付いてしまった。
そうすると、何故か眼力を強めナトラージャが更に睨んでくる。
身体のどこかに穴が開くのではと思うほどの瞳の強さに、直也は居た堪れずにジルの後ろに隠れた。

「おやおや。子供を怖がらせるなど、ナトラージャ様もまだまだ子供のようだ。――――さあ、行こう。ナオヤ様」

ジルに手を繋がれ緩く引っ張られた直也は、ここから逃げたくて頷いた。
ナトラージャの横を通る際はおどおどして顔色を窺っていると、ナトラージャはそれに気づいたらしい。
若干、困ったように眉を下げてはいるが、ナトラージャの顔がいつもの穏やかなものに戻った。

それを見て強張った顔を少し緩めた直也に、ナトラージャは苦笑いをする。

「俺をからかうような奴だが、悪い奴ではない。安心しろ」

目線を合わせて来たナトラージャが優しく微笑んで、直也の頭を撫でた。

いつものナトラージャに戻って、直也はほっとしながら少し硬い笑顔で頷いた。



◆ ◆ ◆



異世界に来て、はじめての外にはじめての乗馬――――。
ジルが乗馬する際にスカートが捲れたことに、同じ男だと分かっていてもぎょっとした直也だが、中にズボンを穿いて居たことにほっとしたのは数分前だ。

ジルが上手いのだろう。初心者まるだしへっぴり腰の直也をしっかりと支えてくれて、乗馬は成立した。
外に出ることがあまり好きではなかった直也でも、出たいと思っていた外は楽しかった。

木々が茂る中、人や馬、馬車やに雑草や石を排除し土を均した道だとジルに教わった場所を馬で駆けて行く。
東京とは違う解放感と澄んだ空気に、直也はいっぱいに楽しんだ。

目的地に着いたのだろう。手綱を引いてジルが愛馬セシルを止めさせる。
ジルは、ひらりと身軽に降り立った。

「さあ。姫」

凛とした声で手を差し出してくるジルは、悔しいぐらいに似合っていて、直也は『姫』といわれたことにいじけることも出来ずに手を重ねた。

そう。やはり、直也は美人や綺麗なもの、さらには可愛いものに弱いのだ。
例外もあるにはあるが――――。

馬からジルに降ろしてもらった直也は、少し尻が痛くて降り立ったその場で座り込んだ。
だが、セシルに『大丈夫?』と問いかけられるように顔を寄せられて、その優しい瞳に直也は微笑んだ。

「大丈夫……みたいだね。そこに私の気に入っている場所があるから、お茶をしよう」

そう言ってジルの示す手の先にあるのは、海外で散歩するテレビ番組に良く映るテラス席のあるカフェだった。
東京にもそのようなおしゃれなカフェはあったが、ヨーロッパの雰囲気に近しいそのカフェに直也は目を輝かせた。

何度も何度も頷く直也に、くすりと笑いながらジルが脇に手を添えて立ち上がらせてくれる。
そして、ジルはセシルについてくるよう言う。

支えてくれているジルが、自分の歩調に合わせてカフェへ向かってくれることが直也は嬉しかった。
これぞ、紳士の鏡。
ジルに見習う事は、たくさんだ。

テラス席を越え室内に入り、ジルは店の者に一声掛け、何やら札が掲げられたドアを開けその中に入った。
そこは個室で、六人掛けテーブルセットが設置されている。
その席の一つに、ジルは直也をゆっくりと座らせた。

ジルにエスコートされながらも、目を輝かせたまま直也は店の内装や雰囲気を目や耳で感じようと必死だった。
ここが、直也が昔から子供っぽいと言われるところなのだが――――。

すっかり尻の痛さも忘れてきょろきょろしていれば、ジルがまたくすくすと笑った。

「飲み物と菓子は、私が選んでも?」

ぜひともと、直也は笑顔で首を縦に振った。

控えめなノック音と共に店員が現れ、ジルがすらすらと女性の声で注文をする。
最後に『お願いします』と微笑めば、女性の店員だったが顔を真っ赤にして部屋から出て行った。

器用に女性を演じるジルを感心して見ていた直也は、心の中でおおっと唸った。

――――た、たらしだ。これが、本当の天然の!

感動なのか、なんなのかわからないが。
直也は、ジルに拍手を送った。

「ありがとう」

何の拍手を送られているのかわかったのか、ジルは丁寧にお辞儀をした。
だが、すぐにジルが真剣な顔をして、直也を見詰める。

「さて、ナトラージャ様が君にご執心だという事は、わかっているが………。 ナトラージャ様とユアンの事について、詳しく聞いているかな?」

ジルの問いに、直也はそう言えば二人のことを名前以外、聞いたことがないことに思い出した。
なので、首を横に振る。

「そうか。なら、私から君に教えられることは無いな」

ジルは目を伏せてから、直也を申し訳なさそうな表情で見る。

「こちらから持ちかけておきながら、申し訳ないが……」

申し訳なさそうを通り越して、悲しそうにも見える表情でジルが謝ってくる。

知り合いの元に訪問したら見ず知らずの人間が居て、その人間を知人に預けられた状態だ。
共通と言えば、ナトラージャとユアンの事だけ。
二人から何も教えられていない人物に、話題にしようと二人の事を話す方が可笑しい。
ジルの考え方は、合っているのだから。

直也は、あたふたと大丈夫だと頷く。

「ありがとう」

花が飛んでいるような微笑みを向けられ、直也は眼福眼福とそれを見詰めた。
美人というよりは、会ってから何故かジルに弱いような気がする。

ナトラージャ達の事は、聞かれてみれば気になったが……人にはいろいろあるだろう。

少し、寂しい気持ちもするけれどしょうがない。
直也は、二人が話してくれるまで待っていようと思った。
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