月に落ちていくように

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君の力を貸して

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直也は、はっと目覚めた。

あたり中、真っ白な空間が広がっている。だがしかし、そこまでしか状況を掴めなかった。
なぜならば、こぼれそうなどと表現できそうなほど大きく見開かれた綺麗な琥珀色の目に、直也は囚われたからだ。

その目の持ち主は、紺色の長髪の下、芸術的なまでに精巧な目鼻立ちの男性なのか女性なのかわからない。

――――ああ。これは夢だ。

先ほどナトラージャ達に『おやすみ』を日本語で言って、ベッドに潜り込んだのだからそうなのだろう。
芸術作品の中に入ってしまったようなこの状況に、直也はなんとなく納得した。
だから、目の前の人が直也の頬に触れてきてもじっとその人を見上げていた。
いや。直也がミーハーで美しいものには弱いだけなのかもしれないが…………。

『ああ。やっと………』

長く繊細な睫毛を伏せた拍子に目尻から涙を零したその人は、確かに青年の低い声を出した。
そして、細く白い手で直也の前髪をそっと退かし、顔を近づけてくる。

額に柔らかく暖かな感触に、直也は『あ、キスされた』とどこか他人事のように心の中で呟いた。
それを受け入れてしまったのは、慈悲深い眼差しが視界に外れるまで見えていたからだ。

その人が離れていくと思いきや、そのまま直也を抱きしめてきた。
それには、直也は目を見開く。

『ごめんね。…………だけど、お願いだ。君の力を貸して』

コクリと頷いて、直也は案外背の高い目の前の彼の背に腕をまわした。

何故、すぐに頷いたのか? と聞かれれば。
確実なのは、直也がミーハーで面食いであるのが少し。
だが後は――――抱きしめてきた彼の身体が、震えていたからだろうか?



◆ ◆ ◆



直也が異世界に来てから、数日ほど経った。

当初、ナトラージャとユアンは根気強く発音を教えてくれた。
しかし、直也には日本語に聞こえてしまうため首を横に振ると、二人は何かを察してくれたのか、それ以降は喋ることは諦めてくれた。

意思疎通するには、喋るのではなく筆談に期待した方が良いだろう。
だが、文字も少しずつ二人から教わりはじめたばかりで、覚えたことは少ない。

なので二人は、直也が成人に満たない“少年”で、何故か貴族が攫って囲っていたのだといまだに勘違いしている。

どう頑張ってもナトラージャとユアンに、直也が本当の歳をジェスチャーで教えようとしても上手く伝わらなかった。
直也の伝え方が悪いのかもしれないが、二人とも直也を少年だと信じきっている節がある。

身体の作りが何か違うのか、この世界の人々は直也と比べると背が高く、それに伴い体格もしっかりしているようだ。と直也は認識した。
ようだというのは、時々、家の前の道を通り過ぎる家族や男性、女性を家の中から見ただけだからだ。

外へ何故出ないかというと、ナトラージャが直也の外出を禁止しているのだ。

外出禁止という言葉と共に『取って食われるぞ』などと冗談を言ったナトラージャだが、目はどこか真剣で―――――。
その真剣さに、禁止するぐらいだから何かあるのかもしれない。と様子見も兼ねて直也は、ナトラージャに頷いたのだ。

ナトラージャもユアンも、白シャツに黒のズボンといったシンプルな出で立ちだったので、 最初に見た婦人らしき女性がドレスを着ていたことに少し驚いた。
窓からの情報からすると、道を通る人々はシャーロックホームズなどの時代を思わせるような服装を着ている。

つまり、よくアニメや小説であるような西洋風の異世界にトリップをしてしまったのだ。
“臨機応変”と“明日は明日の風が吹く”が座右の銘の直也は、自分がナトラージャに大人気もなく縋ったことも含め、すべて受け止めることにした。
直也は、何故自分が異世界トリップしてしまったのだろうと不思議に思ったりもしたが…………。

しかし、一番の不思議と言えば、ナトラージャとユアンの関係だ。
ユアンは『ナトラージャ様』と呼び、ナトラージャは『ユアン』と呼ぶ。
それなのに、ナトラージャよりユアンの方が年上なのだ。

ユアンは自己紹介してくれた時、二十五歳だと教えてくれた。
そして、ナトラージャは今日十八歳になった。

貴族とその従者にしては、家構えが庶民的だ。
では、ルームシェアの様に家をシェアして暮らしているのか。
いや。年上が年下を『様』を付けて呼ぶのは可笑しいし――――まさか兄弟なのだろうか。

そう思ったところで、兄弟なら兄が弟を『様』と着けて呼ぶだろうか、と二人の関係が気になりはじめたのは最初の頃からだ。

直也を子供として可愛がってくれる二人を観察していると、ナトラージャが少し頑固な父親で、ユアンが優しいお母さんというように見えて来るから面白い。
それならば二人が夫婦で、俺がその二人の子供だとしたら―――とそこまで想像してみて、それは嬉しいことだと直也は思った。

仕事場で『BL萌え!』と叫んでからオタクだと宣言した元同僚の話を思い出して、 ナトラージャとユアンはもしかすると恋人同士でこの家で同棲しているのではないか、と直也は憶測する。

そうであるなら、王様のような雰囲気のナトラージャと王子様のような雰囲気のユアンだが、 美男美男でお似合いなのでは? と思えてくる。

――――そうだったら俺、お邪魔だよな…………。

早く文字を習得して誤解を解き、この家から独立しなければ。
直也は、そこまで考えてズキリと痛んだ胸を無視をした。

胸の痛みの原因は、わかっている。
二人と離れたくないのだ。直也は。
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