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   第一章 家庭教師とスパイの仕事


 その日の午前、私は婚約者で研究所所長のダドリー・アルフォード侯爵子息に、彼のタウンハウスへ一緒に行こう、と言われた。
 そこでとても重要な話をする、と。
 だが、今から行くとなれば午前休をとらなければならない。そんなの真面目な仕事人間である私には我慢できないのだけど……
 でもダドリー所長はもう、とにかく「どうしても一緒に来てほしい」の一点張り。
 仕方なく、私は研究を中断させて、ダドリー所長のタウンハウスへ急いだのだった。
 で、現在。私はダドリー所長のタウンハウスの応接室にいるわけだけど。

「あの、ダドリー所長? ご存じかとは思いますが、私はこれでもソーニッジ王立魔術研究所の研究者なんですよ。いくら部下だからって仕事中に無理矢理連れ出したんですから、よっぽどの緊急案件なんですよね?」

 私は目の前に供された紅茶には目もくれず、自前の魔法水筒からとぽとぽとかっしょくの液体を注ぎながら聞いた。
 この魔法水筒というのが優れもので、中に入れた温度に応じて熱いものは熱いまま、冷たいものも冷たいままに保持できる魔法がかかった発明品なのである。我が王立魔術研究所の試作品で、まだ一般に出回っているものではないけどね。
 撫でつけた金髪に茶色の瞳の彼は、私の質問には答えずにかっしょくの液体を馬鹿にしたように見た。三十歳手前という年齢にはそぐわない、妙に深いほうれい線が嫌みったらしくゆがむ。

「ふん、それはコーヒーというやつか。そういえば最近、お前はそいつを熱心に研究していたな」
「そうですよ、おいしいんです。成分の研究も進みましてね、人体にとても有益な物質が入っていることがわかったんです。ダドリー所長、カフェインって知ってます?」
「そんなことはどうでもいい」

 話を続けようとする私を、ダドリー所長が止めた。

「そんなつまらんことを話すためにわざわざ呼んだのではないからな」
「……そうですか」

 私はコトンと水筒をテーブルに置いた。
 なによ、自分から話を振っておいて私のコーヒー研究発表を止めるだなんて。

「アデライザ。お前との婚約は解消する」

 唐突に――本当に唐突に、ダドリー所長はそう言った。
 コーヒーを口に含む前でよかったと思う。もし飲んでいたら、ぶはっと噴き出していただろうから。

(え? なに?)

 すぐには言葉の意味が理解できなかった。理解できていたのは、目の前にいる男は自分の婚約者だということくらい。

「どういうことですか? 婚約の解消? まさか私の研究ノートを見たのですか?」
「興味本位から聞くが、婚約の解消と言われてまず原因として思いつくその研究とはなんだ? お前は我が王立魔術研究所でなんの研究をしているのかね?」
「安い肉を霜降り肉にする研究です」
「魔術関係ないな」
「結婚したら、研究成果を料理人に教えてあなたを毎日だまくらかしてやろうと眈々たんたんと狙っていたので……」
「案外腹黒案件だったのだな、その研究は」

 ダドリー所長は呆れたようにため息をついた。
 その頃には、私もようやく事態をのみ込みはじめていた。
 ――婚約の解消。ダドリー所長と、私の。
 ええ!?
 この人、つい先日私のこと『お前を愛している、お前を手放したくない』とかなんとか甘い言葉をささやきながら、研究の合間に抱きしめてきたわよね?


 なのに……
 なにがどうなっているというの!?

「実はな、アデライザ。……イリーナが、私との愛の結晶をもったのだ」

 はあ!? と声が出そうになるのを必死にこらえて、私は冷静に問いかけた。

「はあ!?」

 いやつい出てしまった。

もったって……!?」

 なにを。いや決まってるか。

「そうだ、愛の結晶だ。つまり、我がアルフォード侯爵家の跡取りができたのだ」
「相手は……イリーナ、っておっしゃいまいたけど……?」

 イリーナといえば、五〇〇年くらい前に魔王を封印して世界を救った聖女の名前だけど……

「そうだ、イリーナだ。お前の妹のイリーナだ」

 そうそう、聖女イリーナにあやかって、私の妹もイリーナって名前なのよね――って。
 恐れていたことをあっさり言ってしまうダドリー所長。
 確かに私には六歳年下のイリーナという名の妹がいる……
 だが、イリーナは実家暮らしだ。しかも実家は王都から馬車で三日もかかる場所にある。
 その妹の名が、どうして今出てくるというの?

「お姉さま!」

 そうそう、いつもこんなふうに鼻にかかった甘ったるい声で私のことを呼ぶ妹……って。
 ドアを開いて応接室に入ってきたのは、確かに妹のイリーナだった。
 イリーナは長い銀髪と青い目を午前中の陽光に輝かせながら、ソファーに座り、ダドリー所長にしなだれかかったではないか。
 ――それを見て、私は妙に納得してしまった。イリーナの華やかな銀髪と青い目に比べて、私の肩口で切りそろえた茶色の髪や焦げ茶色の瞳っていうのは、きっと男性にとってはあまり魅力がないものなのだろう……

「お願い、ダドリーさまをお責めにならないで! 悪いのはお姉さまなのですから!」

 うるんだ瞳で私を見上げてくるイリーナに、私は思いっきり首をかしげた。

「……は?」

 妹がなにを言っているのかさっぱりわからない。
 私は無表情で、カップに注いだコーヒーを一口飲んだ。苦味と少しの酸味があり、そこに砂糖の甘味がうまいこと浸透していて……。水筒内での腐敗を心配してミルクを入れず砂糖のみだけど、それでもコーヒーは私の心を穏やかにしてくれる。
 はー、コーヒーおいしー。

「アデライザ! 聞いているのか!」

 カップを傾けながらコーヒーを味わっていたら、ダドリー所長の目が射るように私を見つめていた。

「アデライザ、お前は身勝手な女だ。お前は魔術の名門オレリー伯爵家の令嬢でありながら魔力もなく、我が王立魔術研究所に勤めている。そうだな?」
「そうですけど」

 私の実家、オレリー伯爵家は魔術の名門だ。父も母も魔術研究の第一人者でもあり、その名声は高い。
 もちろん妹のイリーナも魔術の才にあふれており、将来有望なオレリー家の天才令嬢、なんて言われていた。
 長女である私には残念ながら魔力はなかったが、それでもオレリー家に伝わるぼうだいな魔術の知識を吸収していた。その知識は勤め先である王立魔術研究所で役に立っている。
『魔力持たぬ魔術師』――なんて異名をもらうくらいにはね。

「それがまさか、魔力をたっぷり持った美しい妹がいるだなんて……誰が思う!」

 ダン! とテーブルを叩くダドリー所長。

「……は?」

 それがなんだっていうの? 妹が美人でぼうだいな魔力持ちであることと、ダドリー所長が妹に手をつけたことに、なにか関連があるとでもいうの? 

「お前の父上や母上はとても優秀な方々だ。イリーナだって魔力と才能に満ちている。ところがお前ときたらどうだ! 魔術の使えないただの女じゃないか!! それがなぜ王立魔術研究所に勤めているんだ!」
「それは王立魔術研究所でそういう募集があったからですよ。忘れたんですか、自分が所長の研究所なのに。魔術が使えなくてもいいからとにかく魔術に詳しい者を募集する、って」
「だからといって申し込むな! そして採用されるな! 紛らわしいことをするんじゃない!!」

 ダドリー所長がわめくが、もう私には意味がわからなかった。
 ――まぁダドリー所長は宮廷へ提出する書類上必要なだけのお飾り所長だから、王立魔術研究所ではいつも暇そうにしている、職員の登用にすら関わらせてもらえない門外漢だけどね。
 でもさ、それにしたって採用したのは王立魔術研究所であって、応募した私に責任はないではないか。あるの? ないよね?
 名ばかりとはいえ一応研究所所長のダドリー所長は、――そして私の婚約者である彼は、この辺りの事情はすべて知っているはずなのに。今さらなにを言っているんだか。

「私は悩んでいたんだよ。アルフォード家の嫡男として、優秀な魔力血統を我が家門に入れなければならないのに、お前とこのまま結婚していいのか、とね……」

 ほんとなに言ってるのこの人?
 この婚約は、彼の一方的な申し込みからはじまったんじゃないの。王立魔術研究所に入所してすぐ、私に一目惚れしたとか言ってきたのよ。あの魔術の名門オレリー家の長女がこんなところにいるだなんて嘘みたいだ、結婚してくれ、ってさ。
 実家を通しての申し込みで、気がついたら彼と婚約していたのよね。実家の親が私を厄介払いしたいのは見え見えだったけど、特に断る理由もなかったから受け入れた。まあそろそろ私も結婚して落ち着くか、くらいにしか思わなかった。相手は研究所の所長だし、身分的にも申し分ないのかなって。

「そんな時だ。俺は彼女に出会った」

 ダドリー所長は隣に座るイリーナの肩をぐっと抱き寄せた。

「イリーナは言ってくれたんだ、ダドリー所長の心中お察しします、とな……!」
「そうですわ、お姉さま」

 イリーナはダドリー所長に寄りかかりながら、辛そうに目を伏せる。

「お姉さまはズルいのですわ。頭がいいからって王都の研究所に入って、実家には寄りつかなくなって……オレリー家のいんしゅうとらわれた妹のことなど知らぬ存ぜぬをつらぬき通して」

 うっ、それを言われると辛いわね。
 魔力のない失敗令嬢の私に、実の父母は冷たかった。その冷たさが反転して重い期待となって妹にのしかかったのは私の責任……と言えなくもない。
 なにせ妹は失敗令嬢の私なんかとは違って、オレリー家の血筋らしい、ぼうだいな魔力を持って生まれてきたから。
 いつも露骨な差別を受けていたのよ……、妹は華やかな新品のドレスを着せてもらえるのに、私は使用人の娘さんのお下がりの服を着せられたりね。妹が豪華なケーキや可愛い動物クッキーを食べている時に、私に与えられたのは割れた失敗クッキーやホールケーキを作る時にカットしたスポンジ生地の切れ端だとか、そんなのだったもの。
 両親からの扱いの差に嫌気がさした私は、十二歳で寄宿学校に入れてもらえたのを機に実家に寄りつかなくなってしまったってわけ。

「本当はわたくしだってお姉さまみたいに王都で自由にお仕事したりしたかったのですわ。でもお父さまもお母さまも、『お前はオレリー家の魔力を引き継いだ唯一の娘だから』って自由にはさせてくれず……」
「イリーナ、ちょっと待って」

 私は口を挟んだ。

「そのイリーナがどうしてダドリー所長との間に子供をもっちゃったわけ? オレリー領にいたんでしょ?」
「お姉さまのご婚約者にご挨拶を、と思って王都に参りましたの。そこで所長でご婚約者のダドリーさまと話をしていたら、お姉さまのぼうじゃくじんさに呆れてしまって……」
「……それで、 しちゃった、と?」

 できるだけ言葉を選んでたずねたが、イリーナは青い目を丸くしてわざとらしくほおを染めたのだった。

「まあ、お姉さまったらそんなことおっしゃって。はしたないですわ」
「……それを実際にしたあんたたちのはしたなさは無限大ね」

 ダドリー所長がもう一度、ローテーブルをダン! と叩く。

「イリーナを悪く言うんじゃない! 俺とイリーナは運命の恋に燃え上がってしまっただけだ、お前のせいでな!」

 うわー……なにこの二人。イリーナの話を聞いていると私に対するうらみつらみしか言ってこないし、ダドリー所長も結局はイリーナに目移りして本気になっちゃったってことを、これでもかって正当化してるだけだし。
 私が唖然としていると、ダドリー所長とイリーナはお互い目配せして笑った。

「イリーナ、君は優しいな。こんな女のためにわざわざ時間をとって我らの愛を説いてくれるだなんて……」
「いいえ、ダドリーさま。こういうことはちゃんとしなければなりませんわ。お姉さまって頭はいいけど人情にはうとい方ですもの。愛は理屈じゃないって、それをちゃんとわかっていただかないといけないのですわ」
「イリーナ……君と出会えて本当によかった。それだけはアデライザに感謝しないといけない」
「はい、お姉さまはわたくしとダドリーさまの架け橋になってくださったのですわ」

 二人は手を取り合い、寄り添って互いを見つめている。キラキラした目線は、もう完全にお互いしか見えていない。
 とはいえ二人が完全に私という存在を馬鹿にしていることだけはわかった。
 ……おめでたい人たちね。

「お父様とお母様は知ってるの? その、イリーナが妊娠したってこと」
「もちろんですわ! ご報告しましたら、お父さまもお母さまもとても喜んでくれましたわ! だってわたくしの子供ですものぉ。きっと豊かな魔術の才を受け継いで生まれてくるだろう、と……」

 そこまで言って口の前に手を当て、わざとらしくハッとした顔をするイリーナである。

「ご、ごめんなさいお姉さま。魔術の才がないお姉さまの前でこんなことを言って……」

 はいはい。そうですか。どうぞどうそ、馬鹿にしてくださいませよ。私はどうせ魔術の名門に生まれながら魔力のカケラもない、オレリー伯爵家の失敗令嬢ですよ。
 ジト目で妹を見つめることしかできない私のことをどう思ったのか、ダドリー所長がキッと鋭い目つきでにらんできた。

「お前がこれからどうするのかはお前の自由だが、今回のことを根に持ってイリーナに意地悪でも働いてみろ、俺は全力でお前をつぶしてやる」
「ダドリーさま……!」

 お目々をキラキラさせてダドリー所長を見つめるイリーナ。

「ああ、大丈夫だよイリーナ。君のことは、俺が守る」

 ダドリー所長が、抱き寄せているイリーナの肩をさらにぐいっと抱き寄せた。すっぽり彼の胸に納まるイリーナの顔は、ほんのりと赤く染まっていて……
 ちらり、とこちらを見るイリーナの目が。半月を反転させたような、とっても殴りたくなる笑顔で――
 イラッとした私は、拳を握りしめた。だけどその拳をイリーナに向けることはできない。
 ……暴力はよくないわ。それに彼女は妊娠しているのだし。
 こういう不愉快な場所からはさっさと去るに限るわね。
 私はため息を一つつくと、ゆっくり立ち上がった。

「……私、研究の続きがあるのでもう失礼しますわね」
「まぁお姉さまったら、ぬすっとたけだけしい」

 口に手を当て、びっくりしたように妹が言った。

「この期に及んで、まだ研究所に居座り続けようというのですか?」
「は? なに言ってるのイリーナ?」

 ていうかなによぬすっとたけだけしいって。それはこっちの台詞せりふでしょうが。

「お前には研究所を辞めてもらう」

 はっきりと、ダドリー所長はそう言った。

「なにを勝手に……」

 慌てたのは私である。魔力はないけど、私にはぼうだいな魔術の知識がある。それを活かして、あそこでちゃんと役に立っているって自覚があったから……

「あなたにそんなことできるんですか? ただのお飾り所長じゃないですか」
「お飾りでもなんでも、俺は王立魔術研究所の所長だからな。少々職権をらんようしている気もするが、愛らしい妻を守るためだ。これくらいの泥は被るさ」

 少々なんてもんじゃないでしょうが、職権らんよう……! ていうか職員の登用にも興味ないような人なのに、こういう時だけ職権振りかざしてくるのっておかしくない!?

「素敵、ダドリーさま……!」
「……いくら所長だからって、そんな横暴許されるとでも思ってるんですか」
「とにかく、そういうことだ」

 ダドリー所長が勝ち誇ったような顔で私を見た。

「お前との婚約は解消し、新たにイリーナと婚約する。お前の退職は一週間後に告知するから、研究の引き継ぎ処理をしておきたまえ」
「……っ」

 奥歯をギリッと噛みしめようとして――、ふっと力が抜けた。
 なんだか急に、すべてがどうでもよくなったのだ。

「そうですか。お幸せに」

 とだけ言って、アルフォード家の応接室から退散した。
 ああ、せめて……、クビになる前に自分から辞表提出しよっと。


 それから数日後、私は隣国ノイルブルクの王城にいた。
 豪華で広い応接室の中央にあるやたらとふかふかしたソファーにちょこんと座って、持参した手紙をもう一度確認する。
 差出人は書いていないが、これがノイルブルク王家の人間の手によるものであることは、ふうろうに押されたスタンプの紋章でわかる。――八枚翼のグリフォンなんてたけだけしい紋章、私はノイルブルク王家しか知らない。
 ローテーブルに出された紅茶が、もうかなり冷めてきている――
 いつになったら『担当者』ってのは来るんだろう。もしかして私、歓迎されてない? 場違いなところに来ちゃった?
 でもこの手紙は本物よね、ここまで通されたんだもの。本物の王族からの、本物の手紙――

「はぁ」

 一つ深呼吸してドキドキする胸を押さえ、封筒を開く。中には一枚の紙が入っていた。
 これを手にできたのは、本当に偶然だった。


   *****


 婚約解消を言い渡された翌日、私は一晩かけて書き上げた辞表を持って所長室に入った。だがダドリー所長はおらず、彼のデスクに辞表の手紙をそっと置いた――、その時、入ってきた人がいたのだ。

「ダドリー所長、少々いいかのぅ」

 たまたま研究所に来ていた隣国ノイルブルク大学のルーヴァス教授だった。

「ルーヴァス教授、こんにちは。ただいま所長は席を外していまして……」
「おお、アデライザさん。ちょうどいいところにおってくれたわい」

 お爺ちゃん先生のルーヴァス教授は、白髪と白髭をたくわえた、いつもお菓子を持ち歩いている優しげなおじいちゃんである。

「え? 私になにかご用ですか?」
「おお、おお。ところで飴はいるかね?」
「ありがたくいただきます!」

 このお爺ちゃん先生の飴玉は特別製で、頭がスッキリするのだ。あまりにも効果があるので以前こっそり成分を分析したことがあるんだけど、カフェインとかハーブのエキスとか一般的に流通しているものを使っているだけの、なんの変哲もない飴だった。魔法薬ですらないのにこの効き目はすごいと言わざるを得ない。
 ポケットから缶を出し、差し出した私の手の平にぽとんと飴玉を落とす教授。
 その白い飴玉を口に含むと、柔らかい甘さとともに脳が活性化するような気配があった。

「ん、おいしいです」
「そうかね、よかった。ところで、この研究所を辞めるおつもりなのかの?」
「え」

 ドキッとしつつ教授の視線を追うと――私が出した辞表にたどりつく。
 私は視線をさまよわせてから、あははと愛想笑いをした。

「えっと……、あはは、そうなんですよね」
「なぜそのような……、君はこの研究所にとって必要不可欠な存在だと思っておったが」
「いえそんな、私なんて好きなことを研究しているくらいしか能がない研究者です。できることといえば安い肉を霜降り肉に偽装する研究くらいで……」

 必要不可欠な存在なら、ダドリー所長にあんなぞんざいに追い出されたりはしないだろう。結局、魔力のない私ができる研究なんて大したことがないんだ。

「しかし、炎のエレメントが生み出す微量の冷気を固定してげんてんかんそうに取り込む理論を一から生み出して研究所大賞を受賞しなさったと聞いたぞ」
「あぁ、あれはついでみたいなもんでして。結局魔力のない私ができることなんて、たかが知れてるんですよ」
「君の場合は魔力の有る無しじゃないと思うがのう……」
「いえほんと、魔力がないってのはキツいんですよ、これが」

 ルーヴァス教授が評価してくれるのは、とってもありがたいんだけどね。
 魔力があったら婚約も解消されなかっただろうし、研究所を追い出されることもなかっただろうし……。そう思うと、あぁ、なんだか泣けてくる。
 どこか遠くへ行きたい。妹もダドリー所長もいない、誰も私のことを知らない別の国に逃げ出したい……

「なるほどなるほど、ということは、なかなかのグッドタイミングということかのぅ」
「え?」
「君にこれを渡してくれと頼まれておっての」

 と差し出された封筒には、八枚翼のグリフォンの紋章が押されたふうろうがあった。
 差出人はないが、宛名が綺麗な筆記体で記されている。『アデライザ・オレリー様』と――
 八枚翼のグリフォンといえば、隣国ノイルブルク王家の紋章だ。
 隣国の王家から、私に手紙!?
 これは飴玉で覚醒した私の頭でも理解が難しい事象である。
 驚いていると、ルーヴァス教授は白い眉毛を上げて、興味深そうに私をのぞき込んできた。

「おや。君はこれを見るのが初めてのような反応をするのじゃな?」
「そりゃそうです、だって初めてですし」
「……そうか」

 教授は白髭を触りながら、ふむと興味深そうにうなずいた。

「なるほど、そうかそうか、そういうことか」
「なんですか?」
「いや、何通出しても無視されるから、直接渡して反応を見てきてくれ――とのことじゃったのでな。これで合点がいったわい」
「何通……出しても……?」

 おかしいな、こんな手紙、私初めて受け取るけど。

「そうじゃ。つまり君への手紙は、今までは握りつぶされていたということじゃのう」
「え……」


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