年下王子の猛愛は、魔力なしの私しか受け止められないみたいです

番外編

書籍化記念SS＊ピアノの調べは誰のため4（アデライザ11歳とイリーナ5歳）

「ぜったいおんかん？　なんですの、それ？」

「全ての音が音階で聞こえるっていう能力よ」

　そんな能力がある人間がいると、以前読んだ本に書いてあった。
　まさかそのサンプルがこんなに身近にいるとは思わなかったけど……。

「？　そんなの当たり前でしょう？　だって音なのですから」

「普通はそうは聞こえないのよ」

「ドの音はどう聞いたってドですわよ？」

「それが分からないの、普通はね」

「……？　おねえさまったら、変なの」

　腑に落ちてないキョトン顔だけど、そんな顔もまた可愛らしい。
　まあ、自分が普通だと思っていることが他人には普通じゃないっていわれても、分からないわよね。イリーナはまだ5歳なわけだし……。
　私は先生を振り返ると、じっとその神経質そうな瞳を見つめた。

「先生はご存じですよね、絶対音感のこと」

「え、ええ、まあ……」

　先生の顔が、青くなっていく。

「……で、では、イリーナ様がオペラで聴いた曲は……？」

「そうです。イリーナがオペラで聴いた曲は、『ららるららー』だったんです。イリーナの絶対音感がそれを導き出したのですから、その音が正しいと思われます」

「違いますわおねえさま、『ララミララー』です！」

「ま、まあ、そういうことです」

「……っ！」

　イリーナからの突っ込みはあったけど、私の言いたいことは伝わったはず……。
　先生の青い顔は、次第に白くなっていった。

「だって、私は楽譜通りに弾いたんです……」

「その楽譜が間違ってるんですよ」

「……ちょっとちょっと、つまりどういうことなんですの？」

　話題について来れないのだろう、イリーナは小首を傾げて必死に考えている。……やっぱり、そんな表情も可愛い。これで中身がアレじゃなければ、自慢の妹なんだけどなぁ……。

「イリーナが正しかったってこと。『ららぇららー』じゃなくて、オペラでは『らららんらー』だったの」

「『ララミララー』ですってば！　もうっ、おねえさまのヘタクソ！」

　言いながら、イリーナはぷくっと頬を膨らました。
　ああもう、やっぱり可愛いな。何度でもいうけど、中身がコレじゃぁなければねぇ……。

「……っ！」

　先生は、これ以上ないくらい悔しそうな顔をして……。
　黙って、ピアノ室を出ていったのだった。


　　◇◇◇◇◇


　それから、先生はオレリー家に来なくなった。
　だが謝罪の手紙は来た。
　やはり、あの日先生が弾いた楽譜は間違いがあったということであった。
　イリーナが正しかったのだ。

　そのことを知っても、イリーナは特に嬉しがることもなかった。
　イリーナにとっては自分の音感が正しいことは当たり前で、取り立てて喜ぶほどのことでもなかったのだろう。

　イリーナには絶対音感がある――そのことをお母さまに伝えると、母は目の色を変えて新しいピアノ教師を手配した。
　だが結局、イリーナが本気で取り組むことはなく……。

　やがて、「ピアノなんかしたくない！」とイリーナが癇癪を起こし、ピアノの先生は来なくなって。
　イリーナの才能は、持ち腐れたのだった。

　私はといえば、ピアノの先生が来なくなったピアノ室で、ゆっくりと好きな一曲を練習し――。
　そして、半年後には通して弾けるようになった。

　その頃にはもう、家族全員がピアノから興味を失っていて、練習する私を奇異の目で見ていたけれど……。

　私はグランドピアノに向かって、一音一音確かめながらピアノを弾いていく。

　いいのよ別に。
　私は私のペースで、したいことをするだけだから。