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1巻
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一瞬絶句してから、ユベルティナは笑顔を作った。こんなことでめげていては、とてもじゃないが男所帯の騎士団で女だとバレずにやっていくことなどできないだろう。
必要なのは度胸だ。どんな仕事がきたって大丈夫、なんとかなるさ、という度胸! やるときは、後悔なきよう徹底的に!
「わかりました。僕、頑張りますっ!」
「よし、いい返事だ」
いきなりの大量仕事であるが、書類に不備があるかどうかを見るだけでいいなら単純作業である。楽勝だ。……楽勝だ、と思い込もうとした。
「では、頼んだぞ」
「はい!」
「それが終わったら書類を各部署へ配達してもらう。配達が終わったら武器庫に行って装備品の確認をするぞ。そうこうしているうちに新しい書類が来るからそれを捌く。終わったころには、頼んでおいた制服が仕立屋から届くだろうから、受け取って検品する。まぁ、とりあえずはそれくらいだな。書庫のチェックは明日の予定だし」
「はい!」
なんだか仕事がたくさんあるなぁ……。でも、うん。大丈夫。きっとできる。度胸、度胸!
「それから、手紙が来たら宛先を確認して分けておいてくれ」
「かしこまりました、ロジェ副団長様!」
「よし。では私はこちらで仕事をしているから、わからないことがあったら声をかけるように」
副団長はそう言うと中央の机に座った。
「はい! 副団長様!」
「様は付けなくていい」
「はい、副団長!」
とにかく書類に目を通してみよう。ユベルティナは窓際の机に座ると、目の前に積まれた書類を見つめた。
すごい量だけど、確かに事務方の仕事ではある。体力自体はそれほど使わなくて済みそうだ。
やり方を覚えて、あとでノートにまとめておこう。そうしたら、入れ替わったあとのユビナティオが戸惑わなくて済むから……
「……よしっ!」
すべては弟ユビナティオのために!
気合いを入れると、ユベルティナは一番上の書類を手にとった。
書類仕事をはじめて、早くも数時間が経過し――
ようやく、書類の山が片付いた。
「つ、疲れた……っ」
思わず声を出し、ユベルティナは机の上に突っ伏した。
不備のある書類を弾くだけの仕事だと思って甘く見ていたが、これがなかなか大変だった。
とにかく枚数が多いのだ。何度も確認して弾いて、確認して弾いて……の繰り返し。
だが、おかげでこの騎士団がどんな組織なのかだいたい把握できた。
――王立賛翼騎士団というのは、第一から第十までの師団がある巨大組織である。
第一師団は王家の護衛、第二師団は王宮の護衛、第三師団は国内外の要人警護、第四師団は地方行政の補助――といった具合に、それぞれに受け持つ仕事内容が違う。
第一師団が一番のエリートらしい。この騎士団は貴族や平民が混在しているのだが、貴族――その中でも特に爵位の高い騎士が集中しているのが、この第一師団である。王家の護衛をするくらいだから、エリートが集まっているということなのだろう。
面白いのは第七師団だ。これは主に諜報活動を主とする師団らしく、貴族よりも平民出身の騎士が多いのが特徴であった。
(わたしはどこに配属されたんだろ……?)
副団長補佐官のユベルティナは事務仕事を主な任務とする師団に所属しそうなものだが、そういう師団は見当たらない。
貴族出身だから第七師団の可能性は低いだろうが、だからといって貴族の多い第一師団でもないだろう。王家の護衛はしていないのだから。
副団長補佐官というのは、いったいどこの師団になるのだろうか。
「終わったか」
「きゃっ」
横から精悍な顔がにゅっと出てきたので、ユベルティナは驚いて飛び上がった。
「なんだ、女みたいな声を出して」
出てきた顔――ロジェ副団長が眉根を寄せる。
そうだ、この人は女嫌いなのだった。気をつけなければならない。
「申し訳ございません、副団長。書類の整理に集中していて……」
「集中していたようには見えないが」
ユベルティナは大慌てで姿勢を正すと、机の上の書類の乱れを整えはじめた。
「す、すみません。ちょうど終わったところだったので、ちょっと気がゆるんでいました」
「まぁいい。仕事が終わったのならチェックするから、書類を渡してもらうぞ」
「は、はい」
ロジェは自分で書類を抱えると、中央の机に持って帰った。そして一枚ずつ目を通していく。
伏せられた蒼い瞳に引き締まった口元。その真剣な眼差しに、ユベルティナは思わずドキリとする。
さらりとした黒い髪、冷たさをたたえた深く蒼い瞳。通った鼻筋も薄い唇もシャープな顎の形も、ロジェはすべてが整っていた。
(……やっぱり、格好いいなぁ)
じっと見つめていたら、ふとその視線が上がった。
「なんだ? 人の顔をジロジロ見て」
「あっ、あのっ……」
慌てて視線を逸らしながら、先ほど気になったことを思い切って聞いてみることにした。
「あのっ、僕はどこの師団に所属しているのでしょうか」
「師団だと?」
「はい。騎士団にはたくさんの師団があるから……」
「君はどの師団にも所属していないぞ」
「え?」
どこの師団にも、所属していない?
「強いて言うなら私の直属、だ。君は副団長補佐官だからな」
「そうなんですか」
どこの師団にも所属しない、ロジェ副団長直属の補佐官――。どの師団にも所属していないと言われたときはびっくりしたが、なんだか特別な感じがして、ちょっと嬉しい配属である。
「……なにを嬉しそうにしているんだ」
「す、すみません!」
つい頬がゆるんだのを見咎められてしまった。
「……君の仕事に今のところ不備はない。この調子で一年続ければ問題なく正規の騎士になれるだろう。そのときに希望の配属先を聞いてもらえるから、それまではここで我慢するんだな」
「我慢なんて、そんな。副団長の下で働くのは楽しいです!」
「私の仕事はまだまだこんなものではないぞ」
「はい、一生懸命頑張ります!」
素直に思ったことを口にすると、ロジェはそっけなく笑った。
「…………まぁ、頑張ってくれ。正規の騎士になるために」
「はい!」
元気よく返事はしたが、……ユベルティナに与えられたリミットは二カ月である。頑張ったところで二カ月経てばここを去るのだ。その間、女とバレないようにしないといけない。
……それから、ユビナティオのこともある。どうかユビナティオが元気になりますように。ユビナティオが元気になって、ユベルティナが女だとバレずに二カ月過ごす。これが、ユベルティナにとって最大限の努力を惜しまずして目指すべきところなのだ。
そのあと、書類のチェックを終えたロジェに連れられて、ユベルティナは書類を各部署に届けることになった。
これが結構大変な作業だった。
騎士団の各師団や各部署は広い本部の方々に点在していて、しかも歩いていると隊員たちに仕事の指示を仰がれたり要望を伝えられたりして、そのたびにロジェは立ち止まるものだから、なかなか前に進まないのだ。
おかげで書類を届けるだけで半日が終わってしまった。
あまりにも大変すぎて、書類を届けるだけでへとへとである。
そんなユベルティナを見て、副団長がぼそりと呟いた。
「君はまず体力をつけることだな。こんな有様では正規騎士になる前に退団することになるぞ」
「うっ……、が、頑張ります!」
女とバレないようにするのと同時に、まずは体力をつけて仕事に慣れること。これが、目下の重大な課題だ。
「では次の仕事だ。武器庫に行って書類に記載された数と、実際にある備品の数が合っているかどうかのチェックをする。同時に刃こぼれや破損がないかも確認し、手入れが必要なものをリストアップする」
「はいっ」
返事をしながら、ユベルティナはぼんやりと思った。
これって、いわゆる、『こき使われてる』状態ではないか? しかも初日から。
ロジェ副団長は見目麗しく格好いいけど、仕事は多いし部下はきっちり使うしで、かなりの鬼上司なのかもしれない……
「おい、なにをぼーっとしている。行くぞ」
「は、はい! すみません!!」
考えごとをしていたのがバレて怒られてしまった。
「待ってください、ロジェ副団長ー!」
さっさと足を運ぶ副団長のあとについて、ユベルティナは慌てて廊下を走り出す。
その日はそうして終わった。
――騎士団生活、あと二カ月。
第二章 姉たちの来襲
初騎士仕事から三日が過ぎた日のこと。
ユベルティナが第七師団に書類を届けに行くと、ちょうど休憩中だったらしく、師団員たちがテーブルを囲んでお茶を飲みながら談笑しているところだった。
「失礼します。書類を届けに来ました」
「おう、ご苦労さん」
第七師団長エルク・ラノイアが書類を受け取りつつ、軽く声をかけてくる。
真っ赤な髪に明るい水色の瞳というかなり特徴的な外見の人物で、なかなかに格好いい。副団長にはかなわないけど! とユベルティナは心の中で失礼なひとことを添えてしまうが。
「もうすっかり馴れた感じだな。お兄さんは嬉しいぞ」
気安い感じで軽口を叩いてくるエルクである。
「いえ、まだまだです。今日もロジェ副団長に怒られてばかりで……」
「あいつは厳しいからなー。まぁ、あれで意外と面倒見はいいんだ。根気強く付き合ってやってくれ」
実は俺、副団長とは同期でさ、わりと仲がいいんだよ――とエルクは笑った。
「正直、お前が来てくれてほっとしてる。あいつ、お前が来る前はひとりで全部の仕事をこなしてたんだぜ」
「この量の仕事を、ひとりで!?」
目を丸くするユベルティナ。仕事を分配されたユベルティナですら目を回しそうなほどの量なのに。これをひとりでこなしていたとなると、大変な負担だったことだろう。
「もともと頭も回るし要領もいいし体力もあるから、うまいこと処理はしていたけどさ……」
そこでエルクはふっと赤い眉をひそめる。
「あまりにも仕事をひとりで抱えるもんだから、ある日ついにカール団長がキレてさ。それで補佐官を置くことになったんだ」
「あの優しそうなお爺ちゃんが怒るなんて、相当抱え込んでいたんですね……」
「あれは仮面だよ」
「え?」
「犬好きの温厚なお爺ちゃんとは仮の姿。本当は鬼の騎士団長なんて呼ばれるほどのおっかねぇ人なんだよ、カール団長って人は」
「へぇ……、人は見かけによらないんですね」
あの小犬を抱えたお爺さんが、眉を逆立ててロジェ副団長に激怒するなんて……、ちょっと想像できない。
「ちなみにロジェ副団長は小さいころからカール団長にずっと仕えてきた右腕みたいな存在だよ。ふたりとも公爵家の出身だしな」
「え、公爵家のご出身だったんですか、副団長って」
「ああ、立派なご身分だろ? カール団長は国王陛下の大叔父だし、ロジェはアレクシス王子殿下の従兄弟ときたもんだ」
「王族のご親戚なんですか……!」
それは、すごい。
「これだけの高位貴族が仕切ってるわけだからな。この騎士団にもある程度の自治権が与えられてるってワケよ」
「そうなんですか」
王立賛翼騎士団――、ここには貴族もいれば、平民もいる。様々な人がいて、それぞれに役割がある。それが実現できているのは、騎士団を束ねる公爵家出身のカール団長の力なのだろう。
「かくいう俺は、平民の出さ」
ぱっちん、と水色の瞳をウインクするエルク。
「ここに来たときは、貴族のボンクラどもにずいぶんと嫌みを言われたもんだよ。まぁ、そういうのを跳ね返すだけの実力があったからこそ、今こうして師団長になれたんだけどな。だが、それを許す自由な気風がこの騎士団にあったのも事実だ。カール団長のおかげだな」
「へぇ……!」
「ここは実力があれば出世できる夢みたいな場所さ。お前もゆくゆくは、師団長くらいにならなれるかもしれないぞ」
「えっ、本当ですか?」
「ああ。あの副団長にこれだけついてこられてるんだから、見込みはあるよ」
とはいえ師団長になれたとしても、それはユベルティナではなく弟のユビナティオなのだが。なんにせよ、ユビナティオのために頑張ろう、とユベルティナは決意を新たにする。
「そのためにも、副団長の仕事をよーく覚えるんだぞ。あいつは口うるさいし怖いし厳しいし融通もきかないが、悪いやつじゃないから」
「はい!」
いろいろと大変な言われようの上司だが、それでも弟が騎士団に入る日のために頑張ろう。
それに……、と脳裏に浮かぶのは、ロジェの精悍な顔立ちだ。
整った鼻筋や、きりりとした眉に涼やかな切れ長の蒼い目。いつもぴんと伸びた背筋は自信に満ち溢れていて、堂々とした佇まいが格好いい。
その凛々しい横顔を見ているだけで、ユベルティナの心は弾んでしまうのだ。
「さて、と。俺は仕事に戻るかな……」
「あ、すみません。お邪魔しました、僕も戻ります」
「おう、またな」
ひらりと手を振るエルクに会釈し、ユベルティナはロジェ副団長の執務室へ戻るのだった。
副団長室に戻ると、そこには書類に目を通すロジェの姿があった。
「遅かったな」
書類に目を落としたまま、ロジェは淡々とユベルティナに語りかける。
「書類を届けるだけにしては時間がかかりすぎだ」
「申し訳ありません。つい話し込んでしまいました」
「あまり情報を抜き取られないようにしろよ」
「え……?」
「第七師団に行ったんだろう? あそこは諜報活動を主とする師団だ。文官との雑談だってあいつらにかかれば情報収集の機会になる。誰とどんな話をしたのか、なにをしゃべったか、すべて記録されているぞ」
「そうなんですか。すごい……」
思わずドキッとしつつ、感心してしまう。
エルクとの会話はただの雑談で、そんな雰囲気など少しも感じなかったが……、それでも裏では情報がやりとりされていたということか。さすがは諜報の第七師団だ。
一番隠さなくてはならないこと――本当は女であること――はバレてはいないと思うのだが。
それでも内心ヒヤヒヤしてしまう。今後はできるだけ気をつけよう。
「感心している場合か。常に細心の注意を払え。君は私の補佐官なんだぞ」
「はい!」
「まったく。返事だけはいいな」
「えへへ」
照れて頬を染めるユベルティナに、ロジェは呆れたようにため息をついた。
「褒めてない」
「えー……」
せっかく褒められたと思ったのに。
そう思いながら見るロジェの横顔は、やはり端整で美しい。あぁ、まつげが長い……
「……なんだ?」
視線を感じたのか、ロジェが眉間にしわを寄せてこちらを見る。
「あ、いえ。なんでもありません。紅茶淹れますね」
慌てて目を逸らしながら、ユベルティナはいそいそとお茶の準備をはじめた。
ユベルティナが紅茶を淹れていると、静かな室内にカリカリとペンを走らせる音が響く。
「あの、ロジェ副団長」
「なんだ」
「なにかお困りのこととかありませんか? 僕にできることであれば、なんでもお手伝いしますから」
第七師団長に情報収集のネタにされたとはいえ、こちらも興味深い情報を得ることはできた。
上司であるカール団長に怒られるほどの仕事量をひとりでこなしてきたロジェ副団長。
もっと、この人を楽にしてあげたい。
それが彼の補佐官という自分の仕事だ。が、それ以上に、もっと個人的に――このロジェ副団長という仕事人間の役に立ちたかった。
「君は紅茶を淹れることに専念してくれ。君の淹れる紅茶は美味しいから」
「えへ。……あっ、今のも褒めてないんですよね?」
「今のは褒めた。だから存分に照れてくれていい」
「っ……」
あまりにもストレートな物言いに恥ずかしくなり、ユベルティナの顔が真っ赤に染まっていく。
「……君には感謝している」
さらりとしたロジェの甘い言葉は続く。
「ここに来てまだ三日だというのに、その働きぶりは素晴らしい。私も助かっている。いずれ正式な騎士となったときに、私を選んでくれるととてもありがたい」
「はい! ……え」
元気に返事をしてから、ユベルティナははたと気づいた。
「ロジェ副団長を、選ぶって……?」
「正規騎士になったら自分で所属を選べる。そのときに、私を選んでくれると嬉しい」
ロジェは顔を上げてユベルティナを見た。深い蒼の瞳が真っ直ぐに見つめてくる。
「本当なら今すぐ君を正規の騎士に推薦したいくらいだ。仕事も真面目だし、君の淹れた紅茶はうまい。だが、一年は候補生として様子を見る、というのが騎士団の規則だ」
「……っ、はっ、はい!」
ユベルティナは顔を赤くしながらも、笑顔で答えた。
自分がロジェ副団長を選ぶ、だなんて……とユベルティナは思う。なんと胸が高鳴るシチュエーションだろうか。
だが、ユベルティナがここにいられる時間はあと二カ月弱しかないのだ。弟が快癒するにしても、しないにしても。リミットは変わらない。
それを思うと、急に切なくなってくる。
だがそんな事情を知らないロジェは、いつものように淡々と言葉を続けた。
「まずは騎士候補生として、ここでしっかり仕事を学ぶことだ」
「はいっ」
「それと、あまり無防備に情報を与えないように。特に第七師団の連中にはな」
「はい、注意します」
「よろしい」
満足げに目を細めて微笑むロジェ。
その表情は、とても満足げで穏やかで、優しくて――。つい、くらっと引き込まれそうになる。
「どうした?」
「っ、いえ、なんでもないです」
なんだか恥ずかしくなってしまい、ユベルティナは照れた笑みを浮かべた。
ロジェは、自分のことを気にかけてくれている。それがわかったから。
それと同時に、不思議な気もしてくる。
(ロジェ副団長って、女嫌いなのよね……)
もし自分が女だとバレれば、それだけで嫌われてしまうだろう。
(……男だと思われている今は、なんてことないのに)
ほんの少し情報が変わるだけで、信頼されたり、嫌われたりするだなんて。
(中身は変わらないのになぁ)
そんなことを考えながら、ユベルティナは紅茶を注いだカップをロジェの前に置いた。
「ありがとう」
ロジェは紅茶を一口飲むと、ほっと息をつく。
「……やはり、うまいな」
「お湯の温度管理と蒸らし時間が大事なんです」
にっこりと微笑みながら、ユベルティナは自分にそっくりな弟、ユビナティオのことを考えた。
(ティオに紅茶の淹れ方を徹底的にしこまないとね。入れ替わったあとにティオが怪しまれたら大変だから)
弟と入れ替わったら、ロジェは気づいてくれるだろうか……
――騎士団生活三日目は、こうして過ぎていった。
明くる日。
「あの、ロジェ副団長?」
ユベルティナがおずおずと声をかけると、ロジェは書類を見ていた顔を上げた。
「なんだ」
「ちょっと、お聞きしたいことがあるのですが……」
どっこいしょ、と抱えた箱をロジェの机の上に置くと、ユベルティナは尋ねる。
「これ、全部ロジェ副団長宛てなんですけど……」
「捨てろ」
そう言って、ロジェは書類に目を戻した。
「そういうわけには……」
「捨てろ」
もう一度同じ言葉を放つと、ロジェは書類にペンを走らせる。
「せめて目を通してから……」
「見てわからないか? 私は忙しいんだ」
「でも……」
一抱えもある箱に詰め込まれているのは、すべて封筒である。しかも、ひとつも封が切られていない。
ユベルティナはその中から何通か取り出し、差出人を読み上げた。
「カトリーヌ・ランクザン、マリー・ランクザン、ジャクリーヌ・ランクザン、アンヌ・ランクザン――様からのお手紙ですよ? ロジェ・ランクザン副団長閣下」
じろり、とロジェの切れ長の瞳が睨めつけてくる。
「なにが言いたい」
「姓が同じなのはご家族だからですか? それともご親戚?」
はぁ、とロジェはため息をひとつついた。
「姉たちだ」
「お姉さまがいらっしゃるのですか」
「そうだ。四人いる」
「ふーん……」
「なんだ」
「いえ」
ユベルティナは手に持った封筒をひらひらと振った。
「ずいぶん溜まっていますけど。読まないのですか?」
「読む必要がない」
きっぱりと告げられ、今度はユベルティナがため息をつく。この副団長は、姉たちからの手紙を溜めるだけ溜めて、読まずに捨てろというのだ。
「でも、重要なお手紙かもしれませんよ?」
「では君が開けて確認しろ」
「僕がですか?」
「私は忙しいんだ」
「いいんですか? ご家族からの手紙を他人の僕が読んじゃって……」
「許可する。読んだら捨てろ」
「捨てるかどうかはわかりませんが、じゃあせっかくですし、読ませていただきますね」
……ご家族からの親書を読んでもいい、だなんて。
(もしかして、これって信頼してくれているってこと?)
ロジェの下で働き出して、はや四日。たったこれだけの期間でそれだけの信頼を得たのだと思うと、なんだかくすぐったい気分になって、顔がニヤけてしまう。
「重要なことだといけませんので、この場で確認いたしますね……。失礼します」
丁寧に頭を下げてから、ユベルティナはロジェの机の上のペーパーナイフを拝借して封筒を開けた。そしてざっと中を確認する。
内容は他愛のないものだった。
『騎士団でのお勤め、ご苦労様です。最近は、使用人たちの結婚が続いています。そういう時期なのかもしれないですね。あなたはどうなのでしょうか? 男所帯では出会いがないでしょう。今度私が推薦する女性と会ってみませんか?』
必要なのは度胸だ。どんな仕事がきたって大丈夫、なんとかなるさ、という度胸! やるときは、後悔なきよう徹底的に!
「わかりました。僕、頑張りますっ!」
「よし、いい返事だ」
いきなりの大量仕事であるが、書類に不備があるかどうかを見るだけでいいなら単純作業である。楽勝だ。……楽勝だ、と思い込もうとした。
「では、頼んだぞ」
「はい!」
「それが終わったら書類を各部署へ配達してもらう。配達が終わったら武器庫に行って装備品の確認をするぞ。そうこうしているうちに新しい書類が来るからそれを捌く。終わったころには、頼んでおいた制服が仕立屋から届くだろうから、受け取って検品する。まぁ、とりあえずはそれくらいだな。書庫のチェックは明日の予定だし」
「はい!」
なんだか仕事がたくさんあるなぁ……。でも、うん。大丈夫。きっとできる。度胸、度胸!
「それから、手紙が来たら宛先を確認して分けておいてくれ」
「かしこまりました、ロジェ副団長様!」
「よし。では私はこちらで仕事をしているから、わからないことがあったら声をかけるように」
副団長はそう言うと中央の机に座った。
「はい! 副団長様!」
「様は付けなくていい」
「はい、副団長!」
とにかく書類に目を通してみよう。ユベルティナは窓際の机に座ると、目の前に積まれた書類を見つめた。
すごい量だけど、確かに事務方の仕事ではある。体力自体はそれほど使わなくて済みそうだ。
やり方を覚えて、あとでノートにまとめておこう。そうしたら、入れ替わったあとのユビナティオが戸惑わなくて済むから……
「……よしっ!」
すべては弟ユビナティオのために!
気合いを入れると、ユベルティナは一番上の書類を手にとった。
書類仕事をはじめて、早くも数時間が経過し――
ようやく、書類の山が片付いた。
「つ、疲れた……っ」
思わず声を出し、ユベルティナは机の上に突っ伏した。
不備のある書類を弾くだけの仕事だと思って甘く見ていたが、これがなかなか大変だった。
とにかく枚数が多いのだ。何度も確認して弾いて、確認して弾いて……の繰り返し。
だが、おかげでこの騎士団がどんな組織なのかだいたい把握できた。
――王立賛翼騎士団というのは、第一から第十までの師団がある巨大組織である。
第一師団は王家の護衛、第二師団は王宮の護衛、第三師団は国内外の要人警護、第四師団は地方行政の補助――といった具合に、それぞれに受け持つ仕事内容が違う。
第一師団が一番のエリートらしい。この騎士団は貴族や平民が混在しているのだが、貴族――その中でも特に爵位の高い騎士が集中しているのが、この第一師団である。王家の護衛をするくらいだから、エリートが集まっているということなのだろう。
面白いのは第七師団だ。これは主に諜報活動を主とする師団らしく、貴族よりも平民出身の騎士が多いのが特徴であった。
(わたしはどこに配属されたんだろ……?)
副団長補佐官のユベルティナは事務仕事を主な任務とする師団に所属しそうなものだが、そういう師団は見当たらない。
貴族出身だから第七師団の可能性は低いだろうが、だからといって貴族の多い第一師団でもないだろう。王家の護衛はしていないのだから。
副団長補佐官というのは、いったいどこの師団になるのだろうか。
「終わったか」
「きゃっ」
横から精悍な顔がにゅっと出てきたので、ユベルティナは驚いて飛び上がった。
「なんだ、女みたいな声を出して」
出てきた顔――ロジェ副団長が眉根を寄せる。
そうだ、この人は女嫌いなのだった。気をつけなければならない。
「申し訳ございません、副団長。書類の整理に集中していて……」
「集中していたようには見えないが」
ユベルティナは大慌てで姿勢を正すと、机の上の書類の乱れを整えはじめた。
「す、すみません。ちょうど終わったところだったので、ちょっと気がゆるんでいました」
「まぁいい。仕事が終わったのならチェックするから、書類を渡してもらうぞ」
「は、はい」
ロジェは自分で書類を抱えると、中央の机に持って帰った。そして一枚ずつ目を通していく。
伏せられた蒼い瞳に引き締まった口元。その真剣な眼差しに、ユベルティナは思わずドキリとする。
さらりとした黒い髪、冷たさをたたえた深く蒼い瞳。通った鼻筋も薄い唇もシャープな顎の形も、ロジェはすべてが整っていた。
(……やっぱり、格好いいなぁ)
じっと見つめていたら、ふとその視線が上がった。
「なんだ? 人の顔をジロジロ見て」
「あっ、あのっ……」
慌てて視線を逸らしながら、先ほど気になったことを思い切って聞いてみることにした。
「あのっ、僕はどこの師団に所属しているのでしょうか」
「師団だと?」
「はい。騎士団にはたくさんの師団があるから……」
「君はどの師団にも所属していないぞ」
「え?」
どこの師団にも、所属していない?
「強いて言うなら私の直属、だ。君は副団長補佐官だからな」
「そうなんですか」
どこの師団にも所属しない、ロジェ副団長直属の補佐官――。どの師団にも所属していないと言われたときはびっくりしたが、なんだか特別な感じがして、ちょっと嬉しい配属である。
「……なにを嬉しそうにしているんだ」
「す、すみません!」
つい頬がゆるんだのを見咎められてしまった。
「……君の仕事に今のところ不備はない。この調子で一年続ければ問題なく正規の騎士になれるだろう。そのときに希望の配属先を聞いてもらえるから、それまではここで我慢するんだな」
「我慢なんて、そんな。副団長の下で働くのは楽しいです!」
「私の仕事はまだまだこんなものではないぞ」
「はい、一生懸命頑張ります!」
素直に思ったことを口にすると、ロジェはそっけなく笑った。
「…………まぁ、頑張ってくれ。正規の騎士になるために」
「はい!」
元気よく返事はしたが、……ユベルティナに与えられたリミットは二カ月である。頑張ったところで二カ月経てばここを去るのだ。その間、女とバレないようにしないといけない。
……それから、ユビナティオのこともある。どうかユビナティオが元気になりますように。ユビナティオが元気になって、ユベルティナが女だとバレずに二カ月過ごす。これが、ユベルティナにとって最大限の努力を惜しまずして目指すべきところなのだ。
そのあと、書類のチェックを終えたロジェに連れられて、ユベルティナは書類を各部署に届けることになった。
これが結構大変な作業だった。
騎士団の各師団や各部署は広い本部の方々に点在していて、しかも歩いていると隊員たちに仕事の指示を仰がれたり要望を伝えられたりして、そのたびにロジェは立ち止まるものだから、なかなか前に進まないのだ。
おかげで書類を届けるだけで半日が終わってしまった。
あまりにも大変すぎて、書類を届けるだけでへとへとである。
そんなユベルティナを見て、副団長がぼそりと呟いた。
「君はまず体力をつけることだな。こんな有様では正規騎士になる前に退団することになるぞ」
「うっ……、が、頑張ります!」
女とバレないようにするのと同時に、まずは体力をつけて仕事に慣れること。これが、目下の重大な課題だ。
「では次の仕事だ。武器庫に行って書類に記載された数と、実際にある備品の数が合っているかどうかのチェックをする。同時に刃こぼれや破損がないかも確認し、手入れが必要なものをリストアップする」
「はいっ」
返事をしながら、ユベルティナはぼんやりと思った。
これって、いわゆる、『こき使われてる』状態ではないか? しかも初日から。
ロジェ副団長は見目麗しく格好いいけど、仕事は多いし部下はきっちり使うしで、かなりの鬼上司なのかもしれない……
「おい、なにをぼーっとしている。行くぞ」
「は、はい! すみません!!」
考えごとをしていたのがバレて怒られてしまった。
「待ってください、ロジェ副団長ー!」
さっさと足を運ぶ副団長のあとについて、ユベルティナは慌てて廊下を走り出す。
その日はそうして終わった。
――騎士団生活、あと二カ月。
第二章 姉たちの来襲
初騎士仕事から三日が過ぎた日のこと。
ユベルティナが第七師団に書類を届けに行くと、ちょうど休憩中だったらしく、師団員たちがテーブルを囲んでお茶を飲みながら談笑しているところだった。
「失礼します。書類を届けに来ました」
「おう、ご苦労さん」
第七師団長エルク・ラノイアが書類を受け取りつつ、軽く声をかけてくる。
真っ赤な髪に明るい水色の瞳というかなり特徴的な外見の人物で、なかなかに格好いい。副団長にはかなわないけど! とユベルティナは心の中で失礼なひとことを添えてしまうが。
「もうすっかり馴れた感じだな。お兄さんは嬉しいぞ」
気安い感じで軽口を叩いてくるエルクである。
「いえ、まだまだです。今日もロジェ副団長に怒られてばかりで……」
「あいつは厳しいからなー。まぁ、あれで意外と面倒見はいいんだ。根気強く付き合ってやってくれ」
実は俺、副団長とは同期でさ、わりと仲がいいんだよ――とエルクは笑った。
「正直、お前が来てくれてほっとしてる。あいつ、お前が来る前はひとりで全部の仕事をこなしてたんだぜ」
「この量の仕事を、ひとりで!?」
目を丸くするユベルティナ。仕事を分配されたユベルティナですら目を回しそうなほどの量なのに。これをひとりでこなしていたとなると、大変な負担だったことだろう。
「もともと頭も回るし要領もいいし体力もあるから、うまいこと処理はしていたけどさ……」
そこでエルクはふっと赤い眉をひそめる。
「あまりにも仕事をひとりで抱えるもんだから、ある日ついにカール団長がキレてさ。それで補佐官を置くことになったんだ」
「あの優しそうなお爺ちゃんが怒るなんて、相当抱え込んでいたんですね……」
「あれは仮面だよ」
「え?」
「犬好きの温厚なお爺ちゃんとは仮の姿。本当は鬼の騎士団長なんて呼ばれるほどのおっかねぇ人なんだよ、カール団長って人は」
「へぇ……、人は見かけによらないんですね」
あの小犬を抱えたお爺さんが、眉を逆立ててロジェ副団長に激怒するなんて……、ちょっと想像できない。
「ちなみにロジェ副団長は小さいころからカール団長にずっと仕えてきた右腕みたいな存在だよ。ふたりとも公爵家の出身だしな」
「え、公爵家のご出身だったんですか、副団長って」
「ああ、立派なご身分だろ? カール団長は国王陛下の大叔父だし、ロジェはアレクシス王子殿下の従兄弟ときたもんだ」
「王族のご親戚なんですか……!」
それは、すごい。
「これだけの高位貴族が仕切ってるわけだからな。この騎士団にもある程度の自治権が与えられてるってワケよ」
「そうなんですか」
王立賛翼騎士団――、ここには貴族もいれば、平民もいる。様々な人がいて、それぞれに役割がある。それが実現できているのは、騎士団を束ねる公爵家出身のカール団長の力なのだろう。
「かくいう俺は、平民の出さ」
ぱっちん、と水色の瞳をウインクするエルク。
「ここに来たときは、貴族のボンクラどもにずいぶんと嫌みを言われたもんだよ。まぁ、そういうのを跳ね返すだけの実力があったからこそ、今こうして師団長になれたんだけどな。だが、それを許す自由な気風がこの騎士団にあったのも事実だ。カール団長のおかげだな」
「へぇ……!」
「ここは実力があれば出世できる夢みたいな場所さ。お前もゆくゆくは、師団長くらいにならなれるかもしれないぞ」
「えっ、本当ですか?」
「ああ。あの副団長にこれだけついてこられてるんだから、見込みはあるよ」
とはいえ師団長になれたとしても、それはユベルティナではなく弟のユビナティオなのだが。なんにせよ、ユビナティオのために頑張ろう、とユベルティナは決意を新たにする。
「そのためにも、副団長の仕事をよーく覚えるんだぞ。あいつは口うるさいし怖いし厳しいし融通もきかないが、悪いやつじゃないから」
「はい!」
いろいろと大変な言われようの上司だが、それでも弟が騎士団に入る日のために頑張ろう。
それに……、と脳裏に浮かぶのは、ロジェの精悍な顔立ちだ。
整った鼻筋や、きりりとした眉に涼やかな切れ長の蒼い目。いつもぴんと伸びた背筋は自信に満ち溢れていて、堂々とした佇まいが格好いい。
その凛々しい横顔を見ているだけで、ユベルティナの心は弾んでしまうのだ。
「さて、と。俺は仕事に戻るかな……」
「あ、すみません。お邪魔しました、僕も戻ります」
「おう、またな」
ひらりと手を振るエルクに会釈し、ユベルティナはロジェ副団長の執務室へ戻るのだった。
副団長室に戻ると、そこには書類に目を通すロジェの姿があった。
「遅かったな」
書類に目を落としたまま、ロジェは淡々とユベルティナに語りかける。
「書類を届けるだけにしては時間がかかりすぎだ」
「申し訳ありません。つい話し込んでしまいました」
「あまり情報を抜き取られないようにしろよ」
「え……?」
「第七師団に行ったんだろう? あそこは諜報活動を主とする師団だ。文官との雑談だってあいつらにかかれば情報収集の機会になる。誰とどんな話をしたのか、なにをしゃべったか、すべて記録されているぞ」
「そうなんですか。すごい……」
思わずドキッとしつつ、感心してしまう。
エルクとの会話はただの雑談で、そんな雰囲気など少しも感じなかったが……、それでも裏では情報がやりとりされていたということか。さすがは諜報の第七師団だ。
一番隠さなくてはならないこと――本当は女であること――はバレてはいないと思うのだが。
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「まったく。返事だけはいいな」
「えへへ」
照れて頬を染めるユベルティナに、ロジェは呆れたようにため息をついた。
「褒めてない」
「えー……」
せっかく褒められたと思ったのに。
そう思いながら見るロジェの横顔は、やはり端整で美しい。あぁ、まつげが長い……
「……なんだ?」
視線を感じたのか、ロジェが眉間にしわを寄せてこちらを見る。
「あ、いえ。なんでもありません。紅茶淹れますね」
慌てて目を逸らしながら、ユベルティナはいそいそとお茶の準備をはじめた。
ユベルティナが紅茶を淹れていると、静かな室内にカリカリとペンを走らせる音が響く。
「あの、ロジェ副団長」
「なんだ」
「なにかお困りのこととかありませんか? 僕にできることであれば、なんでもお手伝いしますから」
第七師団長に情報収集のネタにされたとはいえ、こちらも興味深い情報を得ることはできた。
上司であるカール団長に怒られるほどの仕事量をひとりでこなしてきたロジェ副団長。
もっと、この人を楽にしてあげたい。
それが彼の補佐官という自分の仕事だ。が、それ以上に、もっと個人的に――このロジェ副団長という仕事人間の役に立ちたかった。
「君は紅茶を淹れることに専念してくれ。君の淹れる紅茶は美味しいから」
「えへ。……あっ、今のも褒めてないんですよね?」
「今のは褒めた。だから存分に照れてくれていい」
「っ……」
あまりにもストレートな物言いに恥ずかしくなり、ユベルティナの顔が真っ赤に染まっていく。
「……君には感謝している」
さらりとしたロジェの甘い言葉は続く。
「ここに来てまだ三日だというのに、その働きぶりは素晴らしい。私も助かっている。いずれ正式な騎士となったときに、私を選んでくれるととてもありがたい」
「はい! ……え」
元気に返事をしてから、ユベルティナははたと気づいた。
「ロジェ副団長を、選ぶって……?」
「正規騎士になったら自分で所属を選べる。そのときに、私を選んでくれると嬉しい」
ロジェは顔を上げてユベルティナを見た。深い蒼の瞳が真っ直ぐに見つめてくる。
「本当なら今すぐ君を正規の騎士に推薦したいくらいだ。仕事も真面目だし、君の淹れた紅茶はうまい。だが、一年は候補生として様子を見る、というのが騎士団の規則だ」
「……っ、はっ、はい!」
ユベルティナは顔を赤くしながらも、笑顔で答えた。
自分がロジェ副団長を選ぶ、だなんて……とユベルティナは思う。なんと胸が高鳴るシチュエーションだろうか。
だが、ユベルティナがここにいられる時間はあと二カ月弱しかないのだ。弟が快癒するにしても、しないにしても。リミットは変わらない。
それを思うと、急に切なくなってくる。
だがそんな事情を知らないロジェは、いつものように淡々と言葉を続けた。
「まずは騎士候補生として、ここでしっかり仕事を学ぶことだ」
「はいっ」
「それと、あまり無防備に情報を与えないように。特に第七師団の連中にはな」
「はい、注意します」
「よろしい」
満足げに目を細めて微笑むロジェ。
その表情は、とても満足げで穏やかで、優しくて――。つい、くらっと引き込まれそうになる。
「どうした?」
「っ、いえ、なんでもないです」
なんだか恥ずかしくなってしまい、ユベルティナは照れた笑みを浮かべた。
ロジェは、自分のことを気にかけてくれている。それがわかったから。
それと同時に、不思議な気もしてくる。
(ロジェ副団長って、女嫌いなのよね……)
もし自分が女だとバレれば、それだけで嫌われてしまうだろう。
(……男だと思われている今は、なんてことないのに)
ほんの少し情報が変わるだけで、信頼されたり、嫌われたりするだなんて。
(中身は変わらないのになぁ)
そんなことを考えながら、ユベルティナは紅茶を注いだカップをロジェの前に置いた。
「ありがとう」
ロジェは紅茶を一口飲むと、ほっと息をつく。
「……やはり、うまいな」
「お湯の温度管理と蒸らし時間が大事なんです」
にっこりと微笑みながら、ユベルティナは自分にそっくりな弟、ユビナティオのことを考えた。
(ティオに紅茶の淹れ方を徹底的にしこまないとね。入れ替わったあとにティオが怪しまれたら大変だから)
弟と入れ替わったら、ロジェは気づいてくれるだろうか……
――騎士団生活三日目は、こうして過ぎていった。
明くる日。
「あの、ロジェ副団長?」
ユベルティナがおずおずと声をかけると、ロジェは書類を見ていた顔を上げた。
「なんだ」
「ちょっと、お聞きしたいことがあるのですが……」
どっこいしょ、と抱えた箱をロジェの机の上に置くと、ユベルティナは尋ねる。
「これ、全部ロジェ副団長宛てなんですけど……」
「捨てろ」
そう言って、ロジェは書類に目を戻した。
「そういうわけには……」
「捨てろ」
もう一度同じ言葉を放つと、ロジェは書類にペンを走らせる。
「せめて目を通してから……」
「見てわからないか? 私は忙しいんだ」
「でも……」
一抱えもある箱に詰め込まれているのは、すべて封筒である。しかも、ひとつも封が切られていない。
ユベルティナはその中から何通か取り出し、差出人を読み上げた。
「カトリーヌ・ランクザン、マリー・ランクザン、ジャクリーヌ・ランクザン、アンヌ・ランクザン――様からのお手紙ですよ? ロジェ・ランクザン副団長閣下」
じろり、とロジェの切れ長の瞳が睨めつけてくる。
「なにが言いたい」
「姓が同じなのはご家族だからですか? それともご親戚?」
はぁ、とロジェはため息をひとつついた。
「姉たちだ」
「お姉さまがいらっしゃるのですか」
「そうだ。四人いる」
「ふーん……」
「なんだ」
「いえ」
ユベルティナは手に持った封筒をひらひらと振った。
「ずいぶん溜まっていますけど。読まないのですか?」
「読む必要がない」
きっぱりと告げられ、今度はユベルティナがため息をつく。この副団長は、姉たちからの手紙を溜めるだけ溜めて、読まずに捨てろというのだ。
「でも、重要なお手紙かもしれませんよ?」
「では君が開けて確認しろ」
「僕がですか?」
「私は忙しいんだ」
「いいんですか? ご家族からの手紙を他人の僕が読んじゃって……」
「許可する。読んだら捨てろ」
「捨てるかどうかはわかりませんが、じゃあせっかくですし、読ませていただきますね」
……ご家族からの親書を読んでもいい、だなんて。
(もしかして、これって信頼してくれているってこと?)
ロジェの下で働き出して、はや四日。たったこれだけの期間でそれだけの信頼を得たのだと思うと、なんだかくすぐったい気分になって、顔がニヤけてしまう。
「重要なことだといけませんので、この場で確認いたしますね……。失礼します」
丁寧に頭を下げてから、ユベルティナはロジェの机の上のペーパーナイフを拝借して封筒を開けた。そしてざっと中を確認する。
内容は他愛のないものだった。
『騎士団でのお勤め、ご苦労様です。最近は、使用人たちの結婚が続いています。そういう時期なのかもしれないですね。あなたはどうなのでしょうか? 男所帯では出会いがないでしょう。今度私が推薦する女性と会ってみませんか?』
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