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61話 負傷と覚悟

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 ばしゃあっ! と水が地面にぶちまけられる盛大な音がして、飛沫が足に掛かった。

 その頃には私は誰かに突き飛ばされて、花壇に横たわっていた。私の頭を誰かの腕が守ってくれている。眼の前にはジャージを着た誰かの硬い胸があって、つまり私は、誰かに頭ごと抱きすくめられていた。

 なにが起こったのか分からない。
 ただ、私を抱きすくめて地面にすっ飛んだ人物の胸が思いの外温かくて――私は単純に、それに驚いていた。
 人間って、こんなに体温あるんだ、と。

 パシャ、というスマホのシャッター音が呑気に響いた。

「み、美咲ちゃん、よかった……」

 ぎゅっ、と私に絡まった腕が締められる。苦しさを感じる余裕もなく、私は真上を向いた。

 そこにいたのは――私を抱きすくめていたのは、航くんだった。

 彼はくりっとした瞳をほっとしたように緩ませたが、すぐに苦痛にギュッと閉じた。
 同時に、びく、と、私の下半身に重なった、ジャージに包まれた彼の長い片足が動く。

「あ……がっ、いったぁ……!!」

 私はハッとする。

「……航くん!」

「久しぶりに全力ダッシュしたから、かなぁ……!」

「大丈夫か!?」

 跳ね起きようとしたのだが、彼の体重を押しのけられなくて、すぐに諦めて彼に抱きすくめられたまま、地面との間で仰向けになった。お、重い。図体でかいと体重も重いんだ、当たり前だけど。

 仕方ないから、彼に押し倒されたまま声をあげる。

「航くん、大丈夫か航くん!?」

「だいじょぶ、ちょっと痛いだけ……」

「それは大丈夫じゃないんじゃないか?」

 絡んだ足を動かさないように注意しながら、自由になる手で彼の肩を掴んだ。

「あんた、足が……なんか、悪いんだろ!?」

 詳しく知らないので、そんなふわっとした言い方しかできない自分がもどかしい。

「いや、ほんと、だいじょぶ。一時期のに比べたら全然だよ」

「たぶんその一時期ってのは一番酷い時のことだろ、そんなときと今を比べるなっ!」

「全員、その場から動くな!」

 上から男子の声が聞こえてきた。聞き間違えでなければ生徒会長・二木颯人の声である。

「犯人は確保している。お前ら、逃げられると思うなよ!」

 航くんの胸からなんとか顔をずらして上を見たら、二階の窓からジャージを着た颯人くんが真剣な顔で身を乗り出しているのと目が合った。彼の横にはバケツがある。あそこから水をぶちまけたのか――と、遅まきながら理解する。もちろん彼がやったんじゃない、おそらくいつもの女子三人のうちの誰か、だ。そしてその犯人を、颯人くんは捕まえているらしい。

「大丈夫か、美咲!」

「私はなんとかな。だが航くんが大丈夫じゃないぞ!」

「くそっ、なんでこんなことになるんだよ……!」

 私たちから離れた場所にいる前山さんが、顔を真っ赤にして地団駄を踏んでいた。

「計画は完璧だったのに!」

「だから言ったのに……」

 近くの木の陰から山野井さんが出てくる。片手にスマホを持っているところをみると、パシャっと写真を撮っていたのは彼女だったのだろう。

「こんなの……よくないって……」

「なに言ってんだよ和香! ノリノリだったくせに!」

「ひっ」

 山野井さんはビクッと身をすくめた。

「私、皐月ちゃんたちがどうしてもっていうから……ただちょっと、大東さんとお話しするつもり……だっただけで……」

「仲間割れはあとにしてもらおう!」

 上から颯人くんの声が降ってくる。

「美咲、悪いがすぐ救護班に電話して来てもらってくれ。俺は犯人の手首を掴んでるからスマホが触れん!」

「分かった!」

 大声で返してから、私は航くんの下からなんとか這い出た。もちろん、彼の足をできるだけ動かさないように、細心の注意を払いながら。
 航くんはいまだに苦痛に顔を歪めている。……これ、ヤバいんじゃないか? 大丈夫?

 彼の横に膝立ちになり、ポケットからスマホを取り出して操作しはじめたときに、初めてその異変に気づいた。
 ――私、震えていた。

 体の奥深くから細かく震えすぎて、スマホが揺れて指紋認証がおぼつかないのだ。

「くっ、くそっ……」

 今さら動揺しているのか。罠にはめられたこととか、助けてもらったこととか、航くんの足の何かがそのせいで再発したこととか……!

 なんとか指紋が読み込まれてロックが解除されるが、次はなかなかLINEを開くことができない。

 治まれ治まれ、私の指、治まれ……!

 ギャグみたいにぶるぶる震える指は、持ち主である私のいうことを一向に聞いてくれない。

「美咲ちゃん」

 うつぶせで寝そべっている航くんが、すぐそばで膝立ちになっている私に手を伸ばしてきた。

「俺がやろうか?」

「馬鹿言え、あんたは大人しく寝てろ」

 ――そうだ、いま私が動揺したってなんにもならない。

 ずぶ濡れになるところを彼に助けてもらったんだ。ちょっとはそのお返しをしたっていいだろ。

 すっと素早く息を吸い込んで、震えを無理矢理腹の底に押さえ込んだ。

「……航くん、助けてくれてありがとう」

「うん」

「次は私の番だ」

 私は落ち着いた手つきを心がけながら、生徒会の救護班である響くんへの通話ボタンを押した。



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