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45話 記憶にない

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 家に帰ったら父も母もいなかったため、私は航くんとは玄関先で別れた。――さすがに、誰もいないところに「上がっていけ」とは言えない。そんな仲じゃないからな。

 自分の部屋に入った私はリュックから参考書を出すと、勉強を始めた。最近勉強時間が足りないから、少しずつでもやっておきたい。

 ふと目を上げると『式根』と書かれたノートの切れ端が机の前に貼ってあって――私はそこの隅に、今日撮ってきたプリクラを貼った。
 航くんが、「ここにプリクラ貼ろう」とはにかんでいたのを思いだしたのだ。

 彼は二人っきりのプリクラを貼りたいようだったが、4人一緒に写っているのでも、まあ用は足りるだろう。航くんの顔が写っていればいいのだ。

 私、航くん、杏奈ちゃん、響くん。私だけ真顔で、あとは自然な笑顔……。それを見ていてはたと気づく。
 あ、今日の映画鑑賞って、もしかして世間では『ダブルデート』といわれているものだったのではないか? と。杏奈ちゃんが映画を観たいというから付き合っただけだと思っていたのだが、違ったのか。

 ……まさかこの私がダブルデートをするとは。世の中、何が起こるか分からないものだ。

 父が帰ってきた気配があって、それから母が帰ってきて夕食となり、勉強を再開し……とやっていたら9時半ごろになって航くんからのLINE、からの通話である。話題は、今日のことだった。
 だが響くんのことには一言も触れなかったのには、なんだか薄ら寒い感じがした。嫉妬深いというか……、なんかとんでもないのに捕まった感というか。

 それから10時半頃には通話が終わり、さて風呂に入るか……となっていたら、響くんと杏奈ちゃんから立て続けにLINEが来た。
 両方とも『今日はお疲れ様、ありがとう』というような系統の、取るに足らないメッセージだった。

 で、風呂に入って、私はベッドに潜り込んだ。
 そのとき、ハッと思い出す。そういえば最近、YouTubeの筋トレ動画、やってない。これじゃ三日坊主だ。せっかく始めたのだから、明日はちゃんとしよう。

 とか思っていたら……疲れていたのだろう、今日は1時間くらいで寝れた。
 今日はいっぱい歩いたし、やっぱり肉体的な疲労は睡眠に必須なのだと思った。

 翌朝、私は半分寝ながら目覚ましに起こされた。
 そう毎日毎日寝起きを見られるのも恥ずかしいから、私なりに頑張ったんである。

 その直後に航くんからのLINEがあり、いま私の家に向かっているということだった。
 朝食をぼんやりと食べていたら、航くんがやって来た。

 それで父と挨拶を交わして登校する――。

 記憶はそこで、昇降口まで飛んだ。

 ふと気がつくと、高校の靴箱で靴を履き替えているところだったのだ。
 やばい。登校途中の記憶が無い。

 隣に立つデカい男に気づく。彼――航くんは、頬を赤く染めてじっと自分の爪を見つめていた。

「あ……、ごめん、私これ……多分、なにか言ったな?」

「本当に覚えてないの?」

 上目遣いで妙に潤んだ瞳で私を見てくる航くんに、私は苦い物が胸に広がるのを覚えながら頷いた。

「覚えてない……。ごめん、ほんとにごめん。なに言った、私」

「秘密。でも、できたら正気の時に言ってもらいたいな。……ねぇ、俺の返事も覚えてないんでしょ?」

 航くんの返事……? 私、彼になにか質問したのか。

「うーん……、すまん。その返事、いま聞いていい?」

「……秘密だって、言ったでしょ。それより急ごう、一時間目は体育なんだから」

 なんなんだ、私は何を言ったんだ。航くんのこの態度からして、たぶん凄く恥ずかしいことを言っている予感はするが……。

 知りたいような、知りたくないような。でもやっぱり気になるぅ……。

 そんな感じでちゃんと遅刻せずに学校に来れた私は、朝のホームルームに参加したのだった。

 これは凄いことである。

 ほんの1週間前までの私は、必ず一時間目は遅刻してたんだから。いやほんと、今日みたいに体育の時なんて、教室に入れないから保健室に行って時間潰してたからな……。

 ほんと、全部航くんのおかげだ。彼がいなければ高校を退学になってたかもしれないのだ、遅刻のしすぎで。このまま無遅刻を続ければ、それも避けられる……!

 というわけで、航くんになにを言ったのか気になりつつ、感謝もしつつ体育である。
 本当は教室での座学がいいのだが(寝れるから)そうも言ってられない。

 今日は女子は第二グラウンドでバトミントンだ。
 第二グラウンドは、第一グラウンドの真横にある小さなグラウンドである。そこでクラスの出席番号順でペアを組まされ、パンパンと打ち合う。
 私は運動が苦手で、すぐスカッとしてラリーどころではないのだが……、それはペア相手も同じで、二人してスカスカ空気をスマッシュしていた。

 と、そこに、キャーッという黄色い声が上がった。
 見れば、数人の女子たちが横にある第一グラウンドに声援を送っていた。
 男子は長距離走で、グラウンドを走っているところだった。

 バラけて走る男子たちのなか、先頭を走る男子のフォームがとても綺麗であった。陸上部に入っている男子だ。彼は、走りながら女子に向かってさっと手を上げた。
 再び、キャーッという高い声がさざ波のように湧く。

 ああ、足が速いやつはモテるんだよな。小学生かよ。
 でも足が速いのは羨ましい。遅刻間際に家を出ても、自慢の俊足を使えば一瞬で学校に着きそうだし……。

 と、羨ましく思いながら眺めていたら、第一グラウンドのゴール付近に突っ立っている、背の高い男子と目が合った。遠目でも分かる、航くんだ。

 航くんも私に気づき、軽く手を上げて挨拶してくれた。
 その途端、キャッと悲鳴のような声が女子の間から湧くが、私は目立たないように、小さく手を振って彼に返した。

 私は、不思議に思っていた。
 クラスの男子全員――遅い奴も速い奴も、太っている奴も痩せている奴も、いかにもスポーツをやっていそうな体格の奴も――全てがグラウンドを走るなか、航くん一人だけがゴール付近に突っ立っていたからだ。

 何も持っていないし、ゴール係、というわけでもなさそうだった。

 あいつ、走らないのか?

 体調が悪いのかな。
 それとも――。

 ふと、いつだったかの生徒会室で彼を泣かせたことを思い出す。

『サッカー、好きなのか?』

 それが、彼にとっての禁句らしかった。
 なのに航くんはサッカーは好きだと言っていた。サッカーの話をするときの彼は、目をキラキラさせて、とても楽しそうであった。

 運動に対して、なにかがあるのかもしれない。体育の長距離に参加できないような、なにかが。

 そういえば、「あぐらとか正座が苦手」と勉強会の時に言ってたな。彼に足の話題は、相当気を遣わないといけないってことだな……。


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