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記憶をなくした王女

ステンドラ

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 アストロ公国の王女ステンドラは、ある日、落馬をきっかけに一切の記憶を失ってしまった。自分の名前は、どうにか思い出せたものの、何が何だかわからないまま日々を過ごした。

 周囲の人間の接し方から、王女であるということはわかったが、政略的な意味合いを理解せず混乱に巻き込まれてしまう。

 王女が記憶喪失であるということは、一部の人間だけしか知らされておらず、多くは王女とかかわりを持ちたいため、贈り物やお手紙をひっきりなしに送られてくる。

 その多くは、縁談であった。とっくの昔に断った筈の縁談まで、性懲りもなくまた送られてくるものだから、混乱の極みである。

 「わたくしには、記憶があるときに好いた殿方はおりませんでしたでしょうか?」と聞いても周囲の反応からでは、わからない。

 文机の中の手紙の束を読み返しても、この方とは、どういう関係性なのか、まったくわからない。ステンドラは、日記をつけていなかったので、自分がどういう人生を歩んできたのかさえ思い出せずにいた。

 困り果てたステンドラは、王女として生きるのではなく、一人の女として再び人生を歩むことを決意します。

 といっても、王女の地位は揺るぎないものだから、隣国へとりあえず留学したいと考え、国王陛下に許しを乞いに行きます。

 「ステンドラよ。望み通り、留学は認めよう。されど、アカシア公爵との婚約はいかがいたす所存だ。」

 は?アカシア公爵?だれ?
 後で、侍女に聞くことにしよう。
 それにしても落馬後一度も見舞いに来ないアカシア公爵に対して不信感しか持たないステンドラ。

 「とりあえず、お断りいたしたく存じます。」

 「それは、何故だ。」

 「落馬してから、記憶があいまいで、今は以前の記憶を取り戻すことが先決でございます。アカシア公爵様のことも、何も覚えておりませぬゆえ、このまま、お話を勧めるというのも先方様に対して、失礼では、と存じます。」

 「うむ。もっともな意見だ。アカシアには、姫の体調が悪いと申しておく。」

 部屋に戻ったステンドラは、早速、侍女にアカシア公爵様のことを聞いた。

 侍女は、最初、当たり障りのないことを言っていたが、落馬後見舞いに来ないことを言うと、
 「そうなんでございますよ。いくら政略結婚とはいえ、姫様の具合が悪いのにほったらかしで、いろいろな貴族令嬢と浮名を流していらっしゃいます。それに、姫様の体調が悪いのは、自分の気を引くための仮病と言っているそうです。」

 なんて男だ。そんな男は、こちらから願い下げです。
 父上に、婚約解消してもらって、正解でしたわ。

 数日後、慌てた調子でアカシア公爵が来た。

 「ステンドラどういうつもりだ?俺との婚約をなかったことにするとは。」

 「あなた、どなたです?無礼では、ございませんか?女性の部屋にノックもせず、押し入るとは。」

 「あ、いや。失礼いたした。体調が悪いと聞き及んでいたが、殊の外、健康そうで何よりだ。」

 「姫様は、落馬のショックで、記憶があいまいになっておられます。」侍女が助け船を出してくれた。

 「すまない。また、出直すが、婚約のことは考えといてくれ。」

 なにあれ?誰が、お前なんかと、また婚約するか!ばーか。舌を出してアカンベーしたかったけど、側に侍女がいるからやめた。落馬前のわたくしがよく婚約したってものだわ。

 それから数日後、隣国へ侍女と騎士を伴い、旅立った。

 ステンドラは、意気揚々と隣国へ行った。
 自分のことを誰も知らない、隣国での生活は、ステンドラの心身を解き放ち、悠々自適の生活が送れた。
 
 「記憶がなくても、これでリセットできたわ。」

 隣国の学園では、他国の王族もたくさん留学していたが、ステンドラほど、自由を満喫できる王族は、少ないだろう。

 「一緒に図書館に行かないか?」と誘ってきた金髪碧眼の男性。

 「あら、ナンパですか?」

 「いや、君があまり可愛かったのでね。わたくしは、モラスネル帝国の皇太子でライオネルと申します。君は、確かウヤマナム王国のステンドラ王女殿下でしたね。」

 「よくご存じですこと。」

 「ステンドラ王女殿下は、この学園一の美貌で、輝いていらっしゃるから、目立ちますよ。」

 「あら、そうでしょうか?」

 ステンドラとて、自分のことを美人と言われて悪い気はしない。
 ライオネル殿下と一緒に、図書館へ行き、勉強したり、ある時は、学園のカフェで美味しいスイーツをおねだりしたり、また、ある時は、学園の外でショッピングしたり、と楽しいひと時を過ごしました。

 ライオネル殿下は、いつでもとても優しくステンドラを心行くまで甘やかして、愛を囁いてくださいます。

 その後も何度か逢瀬を重ねた。
 いつしか二人は愛し合う関係になるまで時間はかからなかった。

 モラスネル帝国では、ライオネル皇太子殿下の婚約者がいた。こちらも政略結婚で、ライオネルは、お相手の令嬢を疎んじていた。家柄がいいだけで、我がままで、高飛車で、何の努力もしようとしない、ただ与えられるものを待つだけのところが嫌いだった。

 それにひきかえ、ステンドラ嬢は、王女殿下でありながら、謙虚でかわいらしく、素直なところが魅力的だった。そして、ひたむきなほど何かに熱中していた。それが何かは、わからなかったけれど、真摯な姿は、心を打った。

 ステンドラ嬢は、記憶を取り戻そうと必死だった。ライオネル殿下を愛するがゆえに空白を思い出したかったのだ。

 その日のデートは、夜景を見に行くことだった。少し早めのディナーを済ませ、小高い丘のところまで、馬で競争した。暮れゆく夕やみに染まる空を見つめていると、ふいにライオネル殿下が手を握ってきた。握り返したら、ライオネル殿下が耳元で囁いた。

 「ステンドラ嬢、あなたを心の底から愛しています。できれば、わたくしとともにモラスネル帝国に来ていただいて、結婚して欲しい。」

 「帝国に許嫁がいらっしゃるのではないのですか?」

 「許嫁は政略結婚相手だ。しかし、別れると決めた。あなたに会うまでは、仕方なく受け入れるつもりであったが。それをいうなら、ステンドラ嬢の方こそ、王国に婚約者を残してきたのではないか?」

 「わたくしは留学をする時に、婚約を解消してまいりました。ですから、ライオネル殿下とのご縁は、謹んでお受けしたいと存じますが、その前にわたくしのことを話しておかなければなりません。」

 大きく息を吸い込んで

 「実は、わたくし、王国で落馬をした時のショックでそれまでの記憶が一切なくしてしまいました。それで、留学という新天地を選び、この国で生まれ変わったつもりで励んでまいりました。婚約者は、そんなわたくしに対して、心無い言葉を投げ傷ついたわたくしは、婚約を解消した次第でございます。」

 「もしかしたら、また何かのはずみで記憶をなくしてしまうかもしれません。ひょっとしたらライオネル殿下のことも、わからなくなるやもしれません。それでも、と仰っていただけるのであれば、ぜひ、モラスネル帝国へ嫁ぎとう存じます。」

 「もちろんです。愛しています。もし、ステンドラ嬢が再び記憶をなくされるようなことがあっても決してあなたを離しません。」

 そう言って、抱きしめて、深い口づけをしてくださいました。

 腕を伸ばし、指先を上に受けて
 「わたくしライオネルは、今ここにステンドラを妻にすることを、そして永遠に愛することをこの星に誓って申し上げます。」

 空には、無数の綺麗な星が瞬いていました。
 その夜、わたくしたちは深く激しく愛し合いました。

 卒業後、いったん帰国して、双方の国王陛下のお許しが出たら、結婚しようと約束しました。

 ところが帰国後、わたくしは、また記憶をなくしてしまいました。
 いえ、正確には留学時の記憶だけなくなり、前の記憶が取り戻せました。
 アカシア公爵と婚約解消をしたところまでは、覚えています。

 でも留学時、誰と会ったか、どんな勉強をしたかなど、きれいさっぱり忘れてしまいました。

 侍女に聞いても、「わたくしの口からは申し上げられません。」と言うし、騎士に聞いても「さあ?」としか、言わない。

 もう一度、落馬したら何か思い出せるかも?と思いましたが、侍女や周りの者が、ダメだと断固反対するもので、できませんでした。

 今度こそ、日記を付けようとしますが、空白の時間が恐ろしい。

 時が過ぎた頃、モラスネル帝国から使いが来た。

 「はて?モラスネル帝国とは?聞いたことがあるようなないような?」

 使者を待たせながら、ステンドラは悩む。

 「申し訳ございませんが、先日、また落馬をして記憶があいまいになっております。どういった御用件でしたでしょうか?ひょっとして留学中のことでございますか?」

 仕方なく、正直に使者に話しました。

 使者の方は驚いて、ライオネル殿下からのお手紙を差し出されました。

 【愛するステンドラ。
  君が帝国へ嫁いでくれる日を一日千秋の思いで待っているが、
  息災にしているのだろうか?
  こちらでは、かの許嫁と婚約破棄ができ、君を待つだけです。
  新婚生活を送るための別宮も完成しました。
  内装は、きっとステンドラに気に行ってもらえるものと信じています。
  できれば、使者にいつ頃になるか返答を持たせていただければ
  幸甚です。ライオネル拝 】

 な、なにこれ?ラブレターよね?嫁ぐ?新婚?
 ステンドラは、頭を抱えた。
 いくら、思い出そうとも、まったく思い出せない。
 留学中に、まさかと思うけど、ライオネル殿下と婚約した?
 うっそー?

 でも、もしこのラブレターの内容が本当だったとしても、こんな記憶をなくす女、ライオネル殿下も嫌いになるだろう。

 どうしたものかと考え、ライオネル殿下にお手紙を書き、使者に持たせた。
 《ライオネル殿下
  初めまして。というべきか悩んでおります。
  申し訳ございませんが、あなた様のことは、記憶の片隅にもございません。
  わたくしまた、記憶を失いました。
  此度のことは、ご縁がなかったものと致したく候。 ステンドラ王女拝》

 仕方ないよね。全然覚えてないんだもん。イイ男だったかもしれないけど、愛想尽きたでしょうね。

 それから10日過ぎました。
 なんと、ライオネル殿下自ら、ステンドラに会いに来られました。

 「あんなに愛し合ったのに、ステンドラは、本当に記憶喪失なのか?」

 ステンドラの頬に手を添え、深い口づけをした。

 「んん・・・っ」

 そこには、紛れもなく留学中に愛を交わしたライオネル殿下、その人がいました。

 「ライオネル殿下!わたくしを迎えに来てくださったので、ございますか?」

 喜びにあふれた笑顔を向けると

 「愛しのステンドラ嬢、気づかれたか?わたくしの妻への約束はまだ、有効か?」

 「はい。喜んで。…申し訳ありません殿下、わたくし今まで記憶を失くしていました。
  殿下のキスで、記憶が戻りました。ありがとう存じます。」

 「それは、良かった。国王陛下の許しもいただいておる。
  このままモラスネル帝国へ参ろうとしようぞ。」

 「はい。殿下。」

 二人は、手に手を取り本当にモラスネル帝国へ旅立ち、そのまま結婚しました。
 
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