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多分、来る
しおりを挟む朝からまた涼佑とゴロゴロして、丸一日二人で部屋に籠もってしまった。
その、翌日。
昼食時に訪れたマリアとメアリに「あら」「まあ」と微笑ましく見つめら、暖人はその視線の先に気付いた。
涼佑に借りた服……ではなく、その首元だ。
体格差が出来てしまったせいで、鎖骨までしっかり見えてしまう緩い襟元。そこにくっきりと付いた赤い痕に、二人の視線は注がれていた。
「あのっ、これはっ……」
「ハルト様ももう立派な大人でいらっしゃったのですね」
「嬉しいような、寂しいような気分です。あの愛らしかったハルト様が」
「わざとやってますよねっ?」
目頭を押さえる二人に、初対面の時から子供じゃないです、と拗ねた顔をした。
「はるはもう大人だよね」
「そうだよ。元々涼佑と同い年だからね」
むっと頬を膨らませる。
首元までボタンのあるシャツもあったのに、わざわざ鎖骨が見える服を選んだのは涼佑だ。着替えさせられるままになっていたが、この服は罪深い。
涼佑を見ると、同じように鎖骨まで見える服。そこには、小さな赤い痕が幾つも残っている。
「……ちょっと、気分はいいけど」
涼佑は俺の、という証を堂々と付けられて。それを嫌悪ではなく、微笑ましく受け入れられて。
「でも、着替える」
「え?」
「今日はこれが見えない服にした方がいい気がする」
「どうして?」
「……この和やかな感じ、多分、くる」
「来るって何が?」
「涼佑も着替えて。今すぐ」
「うん? 分かったよ」
暖人はクローゼットの中を漁り、涼佑にシャツを着せ、首には絹のような素材の淡い若葉色のストールを巻く。
自分はハイネックの服を選んだ。涼佑用だが、オーバーサイズとして、なくはない。
「ハルト様……、ますます愛らしいです……」
「あえて大きめの服を着るスタイルもありですね……」
マリアとメアリは、だぼだぼの服を着た暖人を拝む勢いで目を輝かせる。
どうあっても彼女たちには可愛く見えてしまうらしい。それはもうこの際諦める事にした。
そこでマリアが暖人に近付き、そっと耳打ちをする。
「今度は、ウィリアム様にお願いいたしますね」
「っ……」
鎖骨へと視線を向けたマリアは、にっこりと笑った。
言わんとする事は分かる。だが、しますね! と笑顔で答えられない。あれは夜に二人きりでそんな雰囲気が最高潮にならないと、恥ずかしくて無理なのだ。
「……頑張ります」
暖人はそう答えるだけで精一杯だった。
隣で涼佑が、不機嫌な顔をしている。嫌な予感がしていると、腰を抱かれ、突然耳に噛み付かれた。
「ひゃっ! っ!? っ……!?」
(なんで噛まれっ……もしかしてウィルさんじゃなくて、マリアさんに嫉妬してるっ?)
無言で混乱しながら、噛まれた理由を悟った。
「はるが好かれるのは当然だからいいけど、嫉妬はするよ」
「うん……」
「マリアさんたちには色々知られてるから、いいよね」
「良くはない、良くはないよ?」
がっちりとホールドされ、頬や髪にこれでもかとキスをしてくる。奥ゆかしい文化はどこにいった。
そんな仲睦まじい様子を見せつけられたマリアたちは、にこにこしながら何事もなかったように昼食の準備を始める。
やはり良くはない。知られていても、華麗にスルーされても、良くはない。恥ずかしい。
そこで、廊下から話し声がした。
騒がしい声と、足音と共に。
「ウィリアムさんが帰ってきたのかな?」
「……違う、これは、きたよ」
「来た?」
涼佑が首を傾げると同時に、バンッ! と勢い良く扉が開いた。
「失礼しますわ!!」
(あっ……デジャヴ……)
「あなたがリョウスケさんですね!?」
「え? はい……?」
「わたくし、ハルトさんの親友の、ティアと申します!」
涼佑の前に仁王立ちをし、ティアは堂々と名乗りを上げた。
一方の涼佑はというと、突然の事に目を瞬かせている。だが……。
「ティアさん、ですか。綺麗なお名前ですね」
「っ……」
柔らかな涼佑の笑顔に、ティアはウッと言葉を詰まらせた。
「お名前の通り、虹色に輝く朝露に濡れた花のようで、可憐で見惚れてしまいました」
「っ……!」
ティアはますます言葉を失った。あまりにキラキラとした笑顔に。輝きながらも爽やかで。更に顔も良い。
そんな人物から褒められれば、女の子はきっとみんなこうなってしまう。
真っ赤に染まった頬に両手を当てたティアは、ぎゅっと目を閉じ視界から涼佑を消した。
「ハルトさん……」
「うん、ティアさん……」
「この方、お兄さまと同じですの……?」
「違うよ……」
「違いますの? 本当に? 今のをお聞きになりまして?」
「うん、本当に。涼佑だけじゃなくて、俺も初対面の時に、可憐でお姫様みたいなティアさんに見惚れちゃったよ?」
「ハルトさんってば!」
もう! と更に真っ赤になるティアに、暖人は可愛いと言って目を細める。まるで、べたべたにイチャつくカップルのように。
「はる? ティアさんも、はるの恋人なの?」
「違うよ!?」
「違いますわ!!」
「……そう」
二人同時に怒鳴られ、さすがの涼佑も怯んだ。
普通なら怪しいと思う反応も、二人があまりにも真剣な顔をするので信じるしかない。
「ハルトさんとは親友ですの。誰にも引き裂くことのできない、純粋で美しく強い絆で結ばれていますのよ?」
「俺も、ティアさんとずっと親友でいたいな」
にこにこと笑い合う、ふわふわした雰囲気。
なんだろう。涼佑は首を傾げる。
なんだろう、この……ふわふわで、ほこほこ。ふわ……。
そこで気付いた。
二人は、とても似ている。
ふわふわで、でも猪突猛進型。笑顔も可愛い。腑に落ちると、子猫たちがじゃれ合っているように見えてきた。
つい見つめていると、ティアは思い出したようにキッと涼佑を睨んだ。
「そうでしたわっ。リョウスケさん、あなたにお訊きしたいことがあります!」
「はい。何でしょう?」
「くっ……わたくしは騙されませんわよっ」
柔らかな笑顔に絆されまいとするティアに、暖人は「分かるよ……」と呟いた。
「あなたの今までの所在について、詳細は訊きませんわ。でもこれだけは言わせていただきます」
「はい」
「っ……、ハルトさんを悲しませて泣かせて散々苦しませたあなたが、まるで夫のような顔をしてハルトさんのお側にいることをわたくしは認めませんわ!!」
すう、と息を吸い、力いっぱい怒鳴った。
ティアの愛らしくて高い声での大声は、耳がキーンとする。暖人もマリアたちもダメージを受けた。
涼佑だけは身体強化の影響か、平然としている。だが。
「……そうだね。僕ははるに、酷い事をした」
呟いた声は、小さく震えていた。
予想外の反応に、ティアも怯む。
「涼佑っ、それは」
「この世界に来てからの事だけじゃないんだ」
「え?」
「……はるをそんなに悲しませる事になるなら、僕がいないと生きていけないようになんてするんじゃなかったよ……」
でも暖人の世界は僕であって欲しいし、だからこそ、この世界で再び出逢えた。ただもう少し、苦しまずに済むくらいに……。
うーんと呻く涼佑に、ティアは苦々しい顔をした。
「確信犯でしたのね」
「そうだよ。そもそも僕は一生はるから離れないはずだったからね」
「あら、敬語はどうしましたの?」
「上辺だけ取り繕ってもティアさんには通用しないと分かったので」
「褒め言葉として受け取っておきますわ」
バチバチと火花を散らす二人に、デジャヴ、と暖人はまた呟いた。
このハラハラする感じ、オスカーと同じだ。
「あの、ティアさん……」
恐る恐る声を掛けると、ティアは暖人には満面の笑みを向ける。小さな女の子相手だからか、涼佑はただ苦笑するだけだった。
「涼佑のことは、いいんだよ。お互いにずっと会いたくて、やっと会えたんだ。俺は今、とても幸せだよ」
「ハルトさん……」
うるっと瞳を潤ませる。
「たくさん心配をかけたのに、ごめんね。まだ会えたばかりで、もう少し落ち着いたらティアさんにも涼佑を紹介しようと思ってたんだ」
「うっ……ハルトさんが幸せなら、わたくしはもう何も言いませんわ。ハルトさんが話してくださったよりも随分と良い性格のようですけど」
何か言ってるじゃない、と涼佑は思いつつ口には出さなかった。
小さな女の子相手に怒ったりはしない。今もチクチクと可愛い敵意を向けてきていても。
ティアはソファに座り、暖人をまじまじと見つめた。
「……ハルトさん、なんだか可愛くなりまして?」
「えっ、可愛くないと思うけど」
「可愛くなりましたわ? 儚げで陰のあるところがなくなって、なんだかこう、ふっくら? と?」
「太ったっ?」
「いえ、そうではなく……なんでしょう? ふわふわ? ふくふく?」
「やっぱり太ったのかなっ?」
「ふんわり? もちもち、かしら?」
頬に手を当て、愛らしく首を傾げる。
(た、確かに、最近ずっと食べてばかりでろくに運動してない……)
運動、と暖人はハッとする。
(運動……すごい、した……でも急に効果は出ない……)
無言になりほんのりと頬を染める暖人に気付いた涼佑は、代わりに口を開いた。
「暖人がますます可愛くなったのは、僕に会えたからじゃないかな」
「その余裕が癪に障りますけど……そうですわね……。心配事がなくなって肌ツヤも良くなっていますわ……」
「肌ツヤも血行も良くなったのは、僕のおかげかな」
「涼佑!」
言わんとする事を察し、暖人は慌てる。だが。
「そうですわね。今まで不安で夜も眠れなかったのですし、たくさん眠れたのでしたら良かったですわ」
にっこりと笑うティアに、暖人は胸を撫で下ろした。
暖人が視線を反らした隙に、ティアは涼佑をキッと睨んだのだが。
涼佑としては、ティアと敵対するつもりはない。
「ティアさんは、ウィリアムさんの妹さんかな? 髪の色が特徴的だよね」
睨まれても構わず、笑顔で話しかけた。今度は過剰に柔らかさを込めたものではなく、自然な笑顔で。
「花びらみたいで綺麗だね」
「っ……、リョウスケさんは、まだそんなっ」
「本音を言っただけだよ?」
「嘘ですわっ」
「本当だよ。暖人に手を出そうとしてないティアさんは、僕にとって敵じゃないよ。出来れば仲良くしたいな。その方が暖人も嬉しいでしょ?」
ね、と暖人を見る。
うっ、と呻き、そうして貰えたら、と暖人は頷いた。
「……ハルトさんがそうおっしゃるなら仕方ありませんね。あなたとも仲良くしてあげますわ」
「ありがとう、ティアさん」
ツンツンしながらもそう答えるティアに、暖人は胸を撫で下ろしつつ、ふと気付いた。
(ティアさんもちょっとツンデレっぽいんだよね、可愛いなあ)
まるで毛を逆立てていた白猫が機嫌を直したようで、とても可愛い。
にこにこと見つめていると、ティアに「やっぱりハルトさん可愛くなりましたわ」と真顔で言われ、可愛いのはティアさんだよと苦笑してしまった。
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