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帝国の森

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 約一年半前。
 リグリッド帝国北部、森林地帯。

「っ……、ここ、どこだ……?」

 アルバイトからの帰り道、突然突風が吹いて、何かに引っ張られて……崖から……?
 死んだのか……?


 だが死んだにしては、手のひらに触れる土の感触がはっきりとしている。
 周囲を見渡すと、間違いようもなく薄暗い森の中。崖から海に落ちたのに、だ。
 落ちるとすれば地獄か。それにしては空気が澄んでいる。いや、地獄に落ちた経験はないが。

「はる……」

 そうだ、ここがどこだろうと関係ない。早く暖人はるとの元へ帰らなければ。

 勘を頼りに踏み出した……ところで。


「そこの少年~、暇なら私と手合わせしないか~」

 突然背後から声を掛けられた。

「……思いっきり怪しい奴が来た」

 涼佑りょうすけはぼそりと呟いた。
 焦げ茶の髪はボサボサ、髭は伸び放題、汚れた服と何かの毛皮を着た男が、そこに立っていた。

 早々に悟った。
 ここは、異世界だ。
 暖人が「話題の本の棚にあったんだけど」と言って図書館から借りてきた中にこんな話があった。
 突然異世界に飛ばされて、国を救ったり救わずに平和に過ごしたりするライトノベルだ。

 涼佑は踵を返し、ツカツカと歩き始める。
 男とは真逆の方へ。

「まてまて、少年は別世界の人間だろ?」
「人違いです」
「こらこら、待てって。突然空から落ちてくるとこ見ちゃったんだぞ? 目撃者だぞ?」
「見間違いですね」
「いやいやいや、お前、道は分かるか? 金は? 右も左も分からないんじゃ、路頭に迷うか盗賊に殺されるぞ」

 涼佑はぴたりと脚を止めた。悔しいが、確かにこの男の言う通りだ。

「あなたがその盗賊じゃない証拠は?」
「この優しげな顔を見れば分かるだろ?」
「……」
「あー、まてまて、冗談だって」

 また背を向ける涼佑を引き留める。冗談の通じない奴だな、と男は苦笑した。

「ほらこれ、騎士の証の紋章な。家には剣とか鎧とか勲章もある」
「別世界人の僕に、証とか分かると思います?」
「あー……、こりゃまたえらく警戒心の強い奴が落ちてきたもんだ」

 男はそう言って笑った。

 笑いながらも、見極める。彼は別世界の人間に間違いはない。
 視線の先の少年は、こうしている間も、背を向けた時でさえ隙がない。このひ弱にみえる少年は……。


「そっちの世界では歴戦の勇者ってやつか」

 そう見極めた。
 だが涼佑は、何を言っているのかと呆れた顔をした。

「戦ったことなんてありませんけど」
「は?」
「言い合いをしたり小さな喧嘩くらいはしてましたけど、僕がいたのは戦争もしていない平和な国ですよ。人を殴るだけでも犯罪になるような」
「殴るだけで? なら、なんでそんな隙がないんだ?」
「隙? そんなの知りませんよ。意識してやってませんし。……ああ、大切な子を守るためにいつも気は張ってましたけど」

 ふっ、と笑う。

「でも、そうだな。暖人が来るまではここにいないと」

 周囲を見渡す。
 こんな薄暗い森、暖人だったら恐怖と不安で泣いてしまうかもしれない。暖人が来たら、すぐに迎えに行かなくては。

「あなたの家はこの近くですか?」
「あ? ああ、すぐそこの、茂みの向こうだ」
「しばらくお世話になります」
「礼儀正しいわりに図々しい奴だな」
「会ったばかりの人間に手合わせ求める人よりマシだと思いますけど」

 冷めた視線を向ける涼佑に、男は参ったとばかりに両手を上げた。
 この警戒心と度胸と、滔々と返る反論。全く、大した奴が落ちてきたものだ。
 これから賑やかになりそうだ、と男はこっそりと口の端を上げた。

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