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閑話2
しおりを挟むそこでコンコンとノックの音が響く。
どうぞと声を掛ければ、そこには件の人物が。
「あっ、お話中にすみません」
カチャリと小さな音で扉を開け、どうしよう、と困った顔をした。
「ハルト様っ……」
メイドがついに泣き出した。
「えっ! どうしたんですかっ?」
「ああ、気にしないでください。体重が増えたってだけなんで」
「そうなんですか……? そんなに細くて綺麗なのに」
すらっとした長い腕も、白くて折れそうな指も、暖人には綺麗だとしか思えない。
首を傾げる暖人に、皆ウィリアムの苦労を知った。彼が暖人を外に出したがらない理由が良く分かる。
「ハルト様はウィリアム様以上に……」
「ハルト様がそう仰ってくださるなら、我慢しないでお菓子を食べようかしら。ありがとうございます」
ぱっと笑顔になるメイドに、暖人は“元気になって良かった”とばかりに優しい笑顔を浮かべる。皆、また内心で天を仰いだ。
テーブルの下では先程からメイドが料理長の脚をゲシゲシと蹴っていたが、それを知らない暖人は持っていた紙袋から紅茶缶を取り出す。
「ラスさ……副団長さんとお出かけしたんですが、お店で飲んだお茶がとても美味しくてみなさんにもと思いまして……」
「お気遣いいただき、ありがとうございます」
料理長が笑うと、図々しかっただろうかと思っていた暖人はホッとしたように笑顔を見せた。
ウィリアムから貰ったお小遣いでお土産は申し訳なくもあったが、後々働いて返そうと決めて買ってきたのだ。
「こちらこそ、いつもみなさんにお世話になってますので」
では、と一礼して部屋を出ようとする暖人を、料理長が呼び止める。
「良かったら一緒にどうです?」
「えっ、でも」
「今ケーキ持って来ますんで。さ、どうぞどうぞ」
空いている椅子を引く。
メイドもにこにこと笑っていた。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
控えめながら嬉しそうに笑う暖人に、その場の皆が癒された顔をした。……馬番以外は。
馬番はそのまま何も言わずに部屋を出て行った。
「あ……」
「気にしないでいいですよ。馬番は気難しい奴なので」
「馬番さん……。あの子たちを育ててる方なら優しい人ですよね。俺、何かしたかな……」
馬といえば、一度マリアと共に中庭に行く途中に、散歩中の馬たちが暖人に「撫でて」と言わんばかりに頭を下げてきた事がある。
そっと撫でると「好き!」と訴えるように頬擦りしてきた。暖人が倒れないよう加減をしてくれて、優しくて人懐っこい子たちだと思ったのだ。
その子たちを育てているなら、優しい人では。
もしかしたら、大切な子たちに触れた事を怒っているのかもしれない。
「ハルト様はお優しいですね」
「本当に」
皆ウンウンと頷く。
「気難しいですが悪い奴ではないですよ。ハルト様に怒っている様子もありませんでしたから、ただの気紛れでしょう」
護衛が言うと、暖人は安堵し息を吐いた。だが今度、勝手に馬たちに触った事をきちんと謝りに行こう。
「そういえば、ハルト様。何か料理のリクエストありませんか?」
突然問われ、暖人は目を瞬かせる。
「いえね、ハルト様のお国の料理を知らないもんで、何か恋しいものがあればと思ったんですよ」
「恋しいもの……」
ポン、とすぐに浮かんだのは。
「あの……お米、ってありますか?」
「オコメ?」
「この国では違う名前かもしれませんが、真っ白でこのくらいの小さな穀物で、水で炊いて食べる少しモチモチした食べ物なんですけど」
指でサイズを表すと、皆首を傾げた。
この世界へ来て、毎日パンや麦を食べながら思っていたのだ。「白米と味噌汁が恋しい」と。
元からパン食が多かったものの、やはり日本人。米と味噌が欲しい。欲を言えば醤油も欲しい。卵かけご飯に醤油を垂らしたい。
(そもそもこの国には醤油も味噌もないのでは……)
豆のスープはあるのだが、基本は緑の丸い豆か、白くて平たい豆だった。
その豆から味噌と醤油を造れないだろうかとふと思う。どれも豆から作られていると説明したら、君の国はどれだけ豆が好きなのかと言われそうだが。
そんな事を考えていると、料理長がひらめいた顔をした。
「思い出しました。モッル王国の東の街では、深皿に広げた白い穀物に、茶色の粘度の高い液体をかけた料理がありました」
「! カレーライス!」
暖人は声を上げた。まさかカレーがこの世界にも存在するとは。
「確かにカリーという名前でしたね。モッルの言い伝えでは、救世主が考案した料理だとか」
「そっ……うなんですねっ」
思わず動揺してしまった。どこで食べたのかと聞かれたら困る。
この場の皆、暖人が別世界の人間だと察しているのだが、皆優しさでそれ以上は訊かなかった。
「王都にもモッルの珍しい食材を仕入れている店があるんで、そちらで探してみますね」
「ありがとうございます!」
パッと顔を輝かせる暖人に、その場の皆が癒されつつ、この後すぐにモッルの料理本を探そうと決めた。
「白い穀物の他に、何かあります?」
「えっと……大豆という豆を発酵させて作る茶色でぽてっとした味噌という調味料と、同じく大豆原料の黒くてサラリとした醤油という調味料があれば……」
「ダイズ……。ハルト様のお国はその食材がお好きなんですね」
やっぱり言われた、と苦笑する。
他にも納豆などもあるのだが、それは言わないでおこう。
「あっ、……そのお店、俺もご一緒したら駄目ですか? 懐かしいものがあるかもと思ったら気になってしまって」
「勿論大丈夫です、と言いたいところですが」
「ウィリアム様にお許しをいただければ、になりますね」
料理長とメイドは困ったように笑った。
護衛がラスだったからこそ外出も実現したとノーマンから聞いている。本当はご自分が一緒に行きたかったのだろう、と皆察しながらも触れなかった。
そこで皆ハッとする。
「ウィリアム様も一緒にとハルト様がお願いすれば、すぐに許可が下りるはずです!」
メイドがグッと拳を握る。
料理方法を訊く為にも料理長は一緒に行くと決まっているようなものだが、暖人がお願いすれば三人で平和に外出が出来るはず。そう主張した。
「頑張ってお願いしてみますっ」
暖人も拳を握る。皆ウンウンと頷いた。
頑張ってお願いする暖人を見れば、主は即了承するだろう。
それからすぐにウィリアムにお願いした暖人だったが、無自覚に「ウィルさんにも俺の世界の料理を食べてほしくて」と言ったところ即了承された。
結局、その後すぐに旅に出る事になり、保留になってしまったのだが。
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