後追いした先の異世界で、溺愛されているのですが。

雪 いつき

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布の男

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 時は、数日前に遡る――。

 リグリッド帝国北部、郊外。


 薄暗い部屋に、一人の兵士が駆け込む。
 その中央に佇む人物へと、彼は膝を付き口を開いた。 

「リュエール王国に、力を持つ者が現れました!」
「何っ?」
「漆黒の髪と瞳を持つ、十四、五と見受けられる少年です!」

 兵の報告に、全身を布で覆った男は、愕然として兵を見据えた。

「……その情報は、本物ですか?」
「はっ。この目で、確かに。伝説通りの救世主様のお姿と、力を持つ者でした」

 顔の見えない相手へと、兵はしっかりとした口調で告げる。
 男は兵を見つめ、ゆっくりと視線を机上へと向ける。

 リュエール王国。
 漆黒の髪と、瞳の……。

暖人はると……」

 間違いない。彼だ。
 暖人が、この世界に来ている。



 その兵士は、リュエール王国南部の街を捜索中に、運悪く流行病を患った。その翌日に救世主に助けられたのだ。
 人垣に隠れ長くは見られなかったが、確かに漆黒の髪と瞳を持つ少年だった。

 それから急ぎ西へと戻ったのだが、皇帝派の兵が港を警備していた為、時間が掛かってしまった。


 テーブルに手を付いたままの男を、兵はそっと窺う。

「暖人……、やっぱり時の流れが……でもここでは僕でも若く見られるから……」

 ぶつぶつと呟き、机上の地図を見据える。

 港は封鎖されている。今開かれているのは、他国の慈善団体からの物資が届く、北と南の二ヶ所のみ。
 だが北は帝都に近すぎる。

 ……南。
 慈善団体の船に紛れ込めれば……。いや、リュエールの砂漠地帯へ向かう船が密航していると聞いた。それなら買収が出来る筈だ。

 男は布を翻し、兵の横を抜け扉へと向かう。……だが。


「お待ちください! 今、貴方様に離れられては!」
「我らをっ……この国をお見捨になるのですか!?」

 背後から悲痛な叫びが響く。
 扉に掛けた手。その手を、離す事も出来ずに。

「っ……僕は、……」

 ずっと、暖人の為に生きてきた。この世界に来てからも変わらない。
 暖人だけが大切で、暖人がいる場所が生きる場所。暖人が、世界だ。

 ……それなのに、何故脚が動かないのだろう。
 暖人は、あの国にいるのに。


「リョウ」

 そっと腕を掴まれ、扉から離される。

「皇子……」

 布の男……涼佑りょうすけを引き留めたのは、まだ年若い青年だった。
 白い肌に銀糸の髪と、透き通るようなエメラルドの瞳。彼は少し高い位置にある涼佑の瞳を真っ直ぐに見据え、形の良い唇に綺麗な笑みを浮かべた。

 そして、兵へと視線を向ける。

「その者は、今どこに?」
「南部の街より、王国の騎士と思われる二人と共に王都方面へと移動した事を確認しております」
「王国の騎士?」
「はっ……、赤と青の騎士団長に似た風貌でしたが……」

 兵は言葉を濁す。
 皇子は怪訝な顔をした。国を守る最強の剣と盾を、揃って首都の外へ出すなどあるだろうか。

「恐れながら……それ以前に、王都で救世主殿と思われるお方を発見しましたが、その際は赤の副団長に警護されており……。髪も青く、青の団長の弟君と思われる発言をされていた為、見逃してしまい……」

 兵は震える声で告げる。
 カツ、と靴の音が響いた。

「……それなら、彼らは騎士団長に間違いはないでしょうね。報告ありがとうございます」
「はっ……!」

 兵は心底安堵した様子で下がっていった。
 何故そこで気付かなかったのかと、彼を咎めても意味のないこと。暖人の顔を知っているのは自分しかいないのだから。


「赤と青の騎士団長に、副団長か。にわかには信じられない話ではあるが、ひとまず彼を守る者はいるようだな」

 皇子は涼佑へと柔らかな声を掛けた。
 俯いたままの涼佑から、部屋の奥にいる男へと視線を移す。

「キース。今すぐ彼を追ってくれないか?」
「俺? あー……まあ、そうだな、俺が適任か」

 そう答えて大きく伸びをした人物は、焦げ茶の髪と、緑を帯びた琥珀色の瞳をしていた。
 適度に付いた筋肉と高すぎない身長、肩までの髪を後ろに縛った姿は、一見どこにでもいる働き盛りの青年だ。

 彼は適度に切れ長の瞳を、涼佑に向ける。

「で、そいつを連れてくればいいのか?」
「駄目だ」
「お?」
「この国は、暖人には危険過ぎる。この国が落ち着くまで、……僕が迎えに行ける時まで、彼を守ってくれ。頼む」
「何年かかんだよ」

 呆れた声を出すキースに、涼佑は口を噤んだ。

「まあ、珍しいモンも見れたし、いいぜ。引き受けてやるよ」

 リョウが頭下げて頼み事なんて。そう言って愉しげに笑った。

「それから、もしお前が彼らに見つかっても、暖人には僕の事を話さないで欲しい。僕がこの世界にいると知れば、危険を承知で会いに来てしまうから」

 だから今まで皇子と腹心以外には姿を見せなかった。自分に似た人物がこの件に関わっていると知れば、暖人は気付いてしまう。これは“救世主”の仕事だから。

「すごい自信だな?」
「当たり前だろ。暖人が一番大切なのは僕なんだから」

 至極当然のように言われ、最初から変わらないな、と尊敬すらした。


「別人だったら骨折り損だからな。特徴を詳しく教えてくれ」

 キースの言葉に、涼佑はすっと息を吸う。

「ああ、この世界なら十四、五歳に見えるな。艶のあるサラサラの綺麗な黒髪で、長い睫毛に縁取られた瞳は、夜空のように深く惹き込まれる色をしている。ぱっちりとした大きな瞳と桜色の柔らかな唇、真珠のように艶やかな白い肌で、この世界では女の子のように見えるかもしれないな。それから」
「まてまてまて、主観が入りすぎて情報が頭に入ってこねぇ」
「そうか?」
「男だろ?」
「男だよ。この世界でも、やっぱり暖人が一番可愛い」

 うっとりとした声に、キースは頭を抱えた。リョウがこんな奴だったとは。
 キースの隣で、皇子がくすくすと笑いながら口を開いた。

「リョウ。確か、首に傷痕があると言っていたな」

 以前密偵を出す際に、そう言っていた記憶がある。

「そうです。左の首筋に、昔ガラスで切ってしまった傷痕があります。髪で見えるかどうかという部分ではありますが」
「キース。騎士団長二人を連れた、黒髪と黒い目を持つ少年で、左の首筋に傷痕がある者だ。髪は染めている可能性がある」
「ああ、ありがとな。頭に入ったわ」

 皇子相手にも軽口を叩きながら、キースはひらひらと手を振り部屋を出て行った。

「……本当は、僕が……」

 小さく呟く掠れた声。
 唇を噛み締め、地図を睨み付けた。


 数日前に、暖人の夢を見た。
 どんな理由だったか忘れてしまったが、暖人が無茶をした事と、森の中で迷子になっていた事は覚えている。

 酷く暗く恐ろしい方へと進もうとする暖人の手を引いて、森の外へと連れ出した。
 何故だか、森の外へは自分は行けないと分かっていた。だから、手を離してしまった。
 今の自分は、暖人の為ならこの手を離す事も出来る。ずっと一緒だと言ったのに。一緒にいたかったのに……。


 ……でも、今度こそ、ずっと一緒だよ。


 手の下で、くしゃりと地図が乾いた音を立てた。

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