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ウィリアムの弱さ
しおりを挟む翌日ウィリアムは、王宮内のオスカーの執務室を訪れた。
机の上には大量の書類が積まれている。ウィリアムのところも数日前まで同じようなもので、これに加えてもう二列ほど多かった。この数日屋敷に遅くまで帰れなかったのは、本当に仕事が忙しくなったせいもあったのだ。
テオドールの護衛騎士になる件を、まだ涼佑も見つからず暖人も不安なようだからと言って断った。
暖人の為ならばと渋々了承したテオドールだったが、代わりにこれを渡された。
後々にでも護衛騎士になるならば、外交にも同行する。その為、各国の要人の顔や詳細を覚える必要がある。暗殺者が紛れ込んでも分かるように、だ。
元から主要な貴族は覚えている二人だが、外交面はさすがにそこまで詳しくはない。今から覚えておかなければ、とテオドールはにこやかに笑った。
それが、机を占める半分程。
残り半分は、休暇を取っていた間の報告書や、新たな案件、諸々。
有能な赤と青の副団長たちが揃って仕事を残したのは「今団長に抜けられては困ります」というテオドールに対する意思表示だ。
王も気付いていながら、彼らの意思を尊重したという事だろう。
ウィリアムの机はもうそろそろ綺麗になる頃だ。オスカーは盗賊討伐へ出ていた為、まだ手を付けたばかり。
執務机を離れ、オスカーはソファに座った。さすがに目が痛くてそろそろ休憩をと思っていたところだ。
「オスカー。ハルトは元気かな?」
真っ先にそう切り出すウィリアムに、オスカーは溜め息をついた。
「気になるなら追い出さなけりゃ良かっただろ」
「追い出してはいないよ。母上が来ると、ティアが伝えていたはずだが」
「まあな」
聞いたのはティアの指示によって翌日の朝、執事づてにだったが。
暖人を屋敷から出した本当の理由は、避難させる為だった。
以前にウィリアムが女性遊びをやめたと知った時には本邸へ呼び出され、陛下から大事な任務を与えられて時間がなくなったからだと言い訳をして逃れたのだが……。
今社交界では、ウィリアムに本命が出来た、既に子供がいるらしい、隠し子では……という噂がまことしやかに流れている。
その相手を屋敷から一歩も出さない程に溺愛しているだとか、息子と思われる人物と一緒に歩いているところを見ただとか、その子供は青の騎士団長と同じ髪色だったとか。
もしやお相手は、オスカー様……?
という、ウィリアムとしても看過出来ない噂が流れてきて、さすがに母の訪問を了承したのだ。
オスカーの事は良き友人でライバルで、命を預けられる戦友だと思っているが、恋愛感情となると噂の出所を物理的に潰したい程に否定するしかない。
それを母に伝え、屋敷で保護しているのは陛下から預かった子供だ、陛下の子でもない、それに彼は成人している、と説得して何とか帰って貰った。
成人している暖人がウィリアムの子と言うなら、一体幾つで産んだというのだ。
ウィリアムの母は、押しが強い。ティアよりも強い。
彼女を暖人に会わせたら、預かり子という事も忘れて、女の影がない今だとばかりにウィリアムに嫁ぐ事を強制するだろう。そんな事をされては、今でも不安定な関係が完全に崩壊してしまう。
「噂では、俺と君は内密に婚姻を結んでいたらしいよ」
「……出所は調べてあるんだろうな?」
「知ってても教えない。俺がやる」
「そうか。命だけは助けてやれよ」
「ああ。少しお灸を据えるだけにするよ」
物騒な笑みを浮かべるウィリアムに、赤は相変わらず血の気が多いな、と肩を竦めた。
「ハルトを追い出した理由は、それだけじゃないだろ」
「それだけだが?」
答えようとしないウィリアムに、オスカーは溜め息をつく。
「今更我慢する理由が分からないな。ハルトはここでは成人済みだろ。散々女遊びしてたくせに、手を出すのが怖いとでも?」
「……話さない、という権利は」
「ない。本気ならその証拠を見せろ」
ウィリアムは眉を下げ、組んでいた脚を下ろして代わりに組んだ指先に視線を落とした。
「今まで俺から誘った事は一度もないよ。彼女たちが俺に求めているものを与えただけだ。俺から好きになった相手は、いなかった」
婚約者でさえ、ウィリアムが選んだ相手ではなかった。母が決め、相手も乗り気だったから受け入れた。
だが婚約を期に女性関係を絶つ事を彼女に告げると、彼女はウィリアムと結婚すれば自由に遊べると思ったのに、と言って一方的に婚約解消を申し出たのだ。
それからのウィリアムは、今までにも増して来る者を拒まなくなった。
望まれるままに愛情を注いだ。彼女たちの望む顔で、声で、仕草で。
「……君は、知ってるだろ。どんなに男らしくあろうとしても、振る舞おうとしても……そうあればあるだけ、本当の俺を見せられなくなる」
ぽつりと呟く声は、普段のウィリアムとは全く違うものだった。
「今の俺は全て、男らしさを装っただけの偽物だと……、ハルトに知られるのが怖いんだ」
だから逃げ出した。
あのキスの意味を伝えても、暖人はきっと困ったようにしながらも、嫌わないでいてくれるだろう。それは、ウィリアムが今のウィリアムだから。余裕のある大人だから。今の姿だから。
想いを伝えて、拒絶されて、もし情けない顔をしてしまったら。無意識に泣いてしまったら。そう思うと怖くなって、暖人に会えなかった。
ティアには様子が違うと問い詰められて、暖人にキスしてしまった事と想いを伝える気はない、謝らなければ、と言ったところ、意気地なしと怒られた。
怒りながらも、今のままでは駄目だと思ったティアは暖人をオスカーの元へ預けたのだ。勿論、母の事もあったのだが。
まだ幼い妹の方がしっかりしている。そう思うと、昔のまま変われていない自分が酷く情けなくなった。
俯いたまま黙り込むウィリアムを、オスカーはどこか安堵したように見つめる。
「お前は、男らしさを間違った方向に頑張っただけだったのか」
そう言って、そっと目を細めた。
子供の頃のウィリアムは、気が弱くて泣き虫だった。
まだティアが生まれる前。可愛いものや綺麗なものが好きで、母の後ろに隠れてばかりの天使のような容姿の彼は、子女と間違われてばかりだった。それを心配した父が強制的に騎士団に入れたのだ。
その頃に出会ったオスカーは面倒臭そうにしながらも、同じ公爵家だからと何かと世話を焼いた。
男らしくあれ。兄のように。公爵家の子息らしく。
それが父の口癖だった。
十八になった頃から、突然ウィリアムは女性問題を起こすようになった。一度謹慎を受けてからは上手く立ち回るようになり、それ以降は大きな問題にはならなかったが。
それ以来、ウィリアムは求められれば拒む事なく、全ての女性へと愛を注いだ。
「女性に求められ、愛される事が何よりの男らしさだろう?」
ウィリアムはさも当然のように言う。
何故そんな間違えた解釈をしてしまったのか、と頭を抱えても、気付いてやれなかった自分も悪いような気になってくる。ウィリアムの声はそれほどまでに純粋だった。
「アイツの事、本気なんだろ?」
「それは……」
「それならそれで、今まで培った技術で押しまくればいいだろ。弱さだ何だと気付かれないくらいにな」
「……ハルトは、俺を好きではないから」
「そうか。もう手を出したのか」
「っ……」
「それなら気まずくもなるか」
「やめてくれ。まだキスしかしていない」
うっかり口を滑らせ、ウィリアムはハッとして口を押さえた。
「キスだけで、お前……」
「……ああ、そうだよ。恋を覚えたばかりの子供みたいだろう」
「いや、そうだな、まさかお前がな」
オスカーはむしろ感動してしまった。
この世界でも唇へのキスは恋人同士の行為だ。だがウィリアムはそのキスすらも挨拶だと言わんばかりに、望まれれば誰にでも応えていた。
そのウィリアムが、だ。
初な少年のように、キスだけで思い悩み罪悪感に苛まれている。こんなに感動的な事があるだろうか。
見たことがない程の穏やかな視線に、やめてくれ、とウィリアムは苦い顔をした。
「合意ではなかったんだ。俺が勘違いをして……。今ハルトに会って、正面から拒絶されたらと思うと、怖いんだよ」
そう言ってまた俯いてしまった。
幼い頃のウィリアムを知っているだけに、怯える気持ちは理解出来る。
彼の両親は、彼を心配するあまり叱咤激励を続けてきた。男らしくあれ、と。だから男らしくない自分は否定される、拒絶され嫌われる、と思い込んでいる。
だが今の彼に、優しい言葉を掛ける気はなかった。
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