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なんで

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 その翌日、また鬱々としてしまった。
 風邪の時に悪い事ばかり考えて気分が塞ぎ込むような、あの感覚に似ている。それに、頭がぼんやりとして眠い。

 きっと旅の疲れが出たのだろう。長旅も、馬での移動も初めてだった。
 考えればここへ来てからずっと運動不足だ。体力が落ちている事も原因だろう。

「だから、大丈夫です」
「ハルトのその言葉は、すまないが信じられないよ」
「……返す言葉もございません」

 様子を見に来たウィリアムに心配され、安心させようと言った事が仇になった。
 今回は本当なのだが、狼少年なんとやら。どう言えば安心して貰えるのか。

 横になったまま黙り込んでいると、ウィリアムは眉を下げ、暖人はるとの髪をそっと撫でた。


「ハルト。リョウスケがこの国と東と南にいない事は部下が確定させた。だから後は、西と北だ。西の報告は、釈然としないところがあるんだ。北は捜索する手段を今探しているところだよ」

 秋則あきのりのいた森を出てから、初めてその事に触れた。ウィリアムはずっと、涼佑りょうすけの話をすれば暖人が命を絶ってしまうのではと不安だったのだ。
 だが今なら、と思った。暖人は無理をしながらもちゃんと笑えているから……。

「西の部下も以前より動けるようになっている。捜索範囲を広げるよう指示を出したよ」
「……ありがとうございます。でも、その方に無理はさせないでくださいね」

 暖人は困ったように笑った。
 ウィリアムなら、部下の命を無闇に危険に晒すような事はしない。だが安全だとも言えないのだ。


 涼佑はこの世界にいる。そう希望を持たせるのは残酷な事だと、ふと思ってしまった自分を、暖人は殴りたい気持ちになった。
 体を起こし、揺れる空色の瞳を見つめる。

「ウィルさんにも騎士団のみなさんにも、ずっとご迷惑をおかけしてすみません」

 彼らは自分の為に、ここまでしてくれる。その気持ちを無碍にするなと何度も己を叱咤したというのに。

「前にテオ様から、別世界の人間は本当は王宮で保護されると聞きました。なのにずっとウィルさんに甘えて、ご迷惑ばかりおかけしてしまって……」
「ハルト。ずっといてくれて良いと前にも言っただろう?」
「ありがとうございます。……本当は、このままずっと涼佑が見つからないままだったら、さすがに申し訳なくて住み込みで働ける場所を探そうと思っていたのですが」

 言い終わる前に、大きな手に口を塞がれた。

「……それ以上言わないでくれ」

 澄んだ青の瞳が、悲しげに揺れる。出て行かないでくれと訴えるように。
 暖人は慌ててウィリアムの腕を掴んだ。

「あの、違うんです。誤解させてすみません。俺、頑張って働くのでこのお屋敷で雇って貰えませんか、って言おうとして」

 また口を塞がれる前に、早口で捲し立てる。
 これは寝たり起きたりしながらも何とか考え出した答えだった。

 ウィリアムたちを心配させずに働くには、ここかオスカーの屋敷しかない。それなら彼らのお金であって自分の給料でもあり、彼らの役に立ちながら、プレゼントを買う事も出来る。最高のアイディアでは、と思った。


 ウィリアムはピタリと動きを止め、上げていた手をゆっくりと下げる。

「……そうか、うん、……出て行かないで貰えるんだね」

 ウィリアムとしては暖人を働かせる気はない。そんな事をしなくとも居てくれるだけで良いのだから。
 だがそれを、声にしなかった。暖人が出て行かない事にあまりに安堵して。だから暖人は誤解した。

「俺を大切に想ってくれるウィルさんの気持ちに、どうすれば応えられるだろうってずっと考えてたんです。だから」

 働かせて貰えるの、嬉しいです。

 そう、言おうとした。

 だがその言葉は、音になる前に、塞がれてしまった。
 ……彼の、唇で。


 触れるだけで離れた唇。
 反応のない暖人に、そっと窺う視線を向ける。

 そこには、呆然としたように見上げる暖人の瞳が……。
 ウィリアムはすぐに間違いに気付いてしまった。

「っ……、すまないっ……」

 肩を抱いていた手を離し、更には立ち上がって数歩後ずさる。
 ウィリアムはそれ以上何も言えないまま、暖人も無意識に唇へ触れたまま固まった。


 それから暫し。

「……あの、俺……寝ます、ね」

 暖人はぎこちない笑みを浮かべ、ウィリアムに背を向け布団へと潜り込んだ。

「おやすみなさい、ウィルさん」

 普段通りの声を出す暖人に、ウィリアムはかろうじて「おやすみ」とだけ答える。
 振り返る様子もない暖人を少しだけ見つめ、口元を押さえ、部屋を後にした。



 ひとりになった暖人は、そっと唇に触れる。

(なんで、キス……)

 キスをされても、以前なら彼は手が早いからで納得出来た。それなのに今は、どうして自分にという疑問が消えない。それほどまでにウィリアムは暖人を我が子のように可愛がっていたのだから。

 涼佑以外としたのは初めてで、涼佑以外となんて考えられなかった。それなのに。

(……嫌じゃ、なかった……)

 もぞ、と頭まで布団を被る。
 驚きはした。涼佑に対する酷い罪悪感も勿論ある。
 だが心の妙に冷静な部分が、ウィリアムだから仕方ないと語りかける。彼に触れられる事は心地がよいと、体が覚えてしまったのだと。

 毎晩頭や頬を撫でられ、額にキスをされて、慣れてしまったのかもしれない。

 ……。

 ……。

 …………いや、慣れたからといって、キスまで普通にスルーしては駄目だろう。少し前の自分なら、涼佑以外は嫌だといって泣いていただろうに。

 それ程までに、彼の事を大切に……。
 ふと浮かんだ考えを、ふるふると頭を振って消した。
 そのままぬいぐるみたちを抱き締め、ぎゅっと目を閉じる。


 そもそも、ウィリアムの暖人に対する大切さも、息子や弟のようなもの。
 あのキスもその延長……この世界がそれで口にキスをするかは知らないが、多分そんなところだろう。
 ……と、この期に及んで暖人はまだそう思っていた。

 明日は何事もなかったように接しなければ。あんなに慌てて、きっと彼の方が困っているはずだ。ずっと子供のように接してきた相手に、衝動的にキスをしてしまったのだから。

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