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オスカー邸へ

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 その翌日だった。

「ハルトさん、オスカーさまのところへ行きましょ?」

 訪ねて来たティアが、突然そんな事を言った。

「マリア、メアリ。後からハルトさんのお着替えをお持ちして? それからあなた、オスカーさまにハルトさんがお泊まりになるとお伝えしてきて?」

 侍女たちと護衛に笑顔でテキパキと指示を出す。突然だというのに、皆慣れた様子で動き始めた。

「まって、ティアさんまって、お泊まりって……」
「ハルトさんはずっとお兄さまのところにいらっしゃるでしょ? たまには環境を変えてみるのもいいかな、って」

 ティアらしくない口調に、やけに甘えた仕草と表情で暖人はるとを見上げた。
 暖人は悟った。ウィリアムはこれで何度もおねだりをされている。そして全てを叶えている。
 暖人もうっかり頷きかけた。だが、突然オスカーのところと言われても。

 するとティアが暖人に近付き、耳元でそっと話し始めた。

「お兄さまって、お優しいでしょう?」
「そうだね……?」
「あまりに大切にされて、甘やかされて、全てを肯定して褒めてくださる……そんなお兄さまといると、自分がとても価値のある人間に思えてくるの」

 それは暖人も同じだ。きっと、他の女性もそうだっただろう。

「欲しいものも、して欲しいことも、全て先回りでくださるわ。心地がよいようにしてくださるから、……本当は自分が何をしたかったかも、分からなくなるときがあるの。本当の自分より、お兄さまに愛される自分でいる方が幸せだもの」

 ティアの声はどこか寂しそうだった。


「……そう、だね」

 暖人には、その気持ちが理解出来てしまった。

 この屋敷はとても居心地が好い。皆が暖人の為に何でもしてくれる。自由に歩き回れて、本も自由に部屋に持ち帰れる。
 毎日暖人の好きそうな料理が並び、湯船には毎回違う香りが漂っている。
 毎晩寝る前にはウィリアムが訪ねて来て、おやすみと言ってくれる。毎日、綺麗だ、可愛い、いい子だね、と頭を撫でて褒めてくれる。

 涼佑りょうすけの事も、暖人が不安にならないよう定期的に報告をくれる。暖人はただ待つだけ。それでも、安心していた。

 本当にしたい事。
 本当は自分は、どうしたかったのか……。

 望まれている自分ではない自分を見せて、嫌われないか。愛想を尽かされないか。悲しませないか。それを思うと、悲しく寂しい気持ちになる。


「わたくしが反抗した時は随分と傷ついた顔をさせてしまいましたわ……。でもわたくしはこういう性格だとお兄さまも理解してくださって、今では困ったように笑うだけですけど」

 そこでティアはパッと明るい笑顔を見せた。

「ハルトさんも、たまにオスカーさまの横暴さを浴びて気分転換するのも良いと思いましたの。短時間でも効果がありますのよ」
「浴びるって、そんな日光浴みたいな」
「ふふ、森林浴ではありませんよね」
「だね」

 オスカーには悪いのだが、二人してクスクスと笑ってしまった。


「ああ、そうだわ。マリア、ハルトさんの髪を染めて差し上げて? 水で落ちる方でいいわ。お色は、そうね……濃い青がいいかしら」
「かしこまりました」

 マリアは棚から染め粉を取り出す。マリアは暖人が異世界から来た事を知っているが、ティアは。

「あの、ティアさん……」
「オスカーさまと同じ色にして、あちらの執事を驚かせてあげましょう」

 隠し子だと思われるかもしれないわ、とクスクスと笑うティアに、暖人はホッと胸を撫で下ろした。
 ティアなら大丈夫だと思いながらも、異世界人だと言って信じて貰えるか、今の心地好い距離がなくなってしまわないかがやはり心配だったのだ。


 王宮で仕事中のウィリアムに挨拶も出来ないまま連れて行かれてしまったが、執事のノーマンが「お任せください」と言うと安心感がある。
 それでも申し訳なさは残るものの、泊まりといってもたった一日だ。それもオスカーの屋敷なら安心して貰えるだろう。

 帰ってから、勝手をした事を謝ろう。そしたらきっと、ウィリアムはまた子供のように一緒に寝たいと強請るのだ。
 たった一日だから、大丈夫。

 ……と、その時の暖人は思っていた。







「泊まるとはどういう事だ?」
「あらあら、オスカーさまったら。眉間の皺がとれなくなりますわよ?」
「誰のせいだ」
「オスカーさまの日頃の行いのせいかしら」

 さらりと笑顔で言うティアに、暖人はヒェッと悲鳴を上げそうになった。あのオスカー相手に。

「昔は俺を見て泣いていたくせに」
「あらっ、女性の恥ずかしい過去をお話になるなんて、紳士ではありませんわね」
「淑女相手じゃないからな?」

 オスカーとティアが笑みを浮かべたまま睨み合う。この感じ、この空気、少しだけ涼佑を彷彿とさせて、暖人はつい背筋をピンと伸ばしてしまった。

「ご安心くださいな。お泊まりはハルトさんだけです」

 そう言うと、オスカーはぴくりと反応する。
 あら……? と、ティアは首を傾げた。

「オスカーさま? くれぐれも、ハルトさんに無理強いはなさいませんよう」
「何だそれは」
「ハルトさんを泣かせたら、わたくしが容赦しませんよ?」
「分かったから、こいつを置いてさっさと帰れ」
「もうっ。少しはハルトさんの優しさを見習ってくださいな」
「お前もな。ほら、帰れ帰れ」

 シッシッと追い払う仕草をすると、ティアは頬を膨らませた。
 つい「可愛い」と暖人が呟くと、ティアは一気にご機嫌になり、手を振りながら帰って行った。

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