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メリーさん
しおりを挟む美味しいお菓子とお茶と、穏やかな時間。
元の世界では、こんな時間はいつも涼佑と過ごしていた。今は隣に涼佑はいなくて。
……涼佑は今、どこにいるだろう。食事はとれているだろうか。危険な事はないだろうか。自分だけ、こんな時間を過ごして良いのだろうか……。
「あの、ウィルさん。涼佑のことですけど……」
「ああ、彼について役所で調べて来たのだが」
この国にも役所があるのか。暖人は目を瞬かせた。
「彼の名は、この付近の領の名簿には登録されていなかったよ。他の領は部下たちが調べているから、もう少しだけ待っていて欲しい」
「……そう、ですか……。お手数をおかけしてすみません」
眉を下げるウィリアムに大丈夫だと笑ってみせようとして、失敗してしまった。視線を伏せる暖人の背を、ウィリアムがそっと撫でる。
「ハルト。別の世界から来た彼が、わざわざ役所に出向いて登録する可能性は低いと思っていてね。今、別の方法でも捜させているよ」
定住するつもりなら職に就くためにも登録するだろうが、彼も暖人を探して移動している可能性がある。
もし誰かに助けられていたとしても、別世界の人間だと分かる名で登録する事はないだろう。
念のためこの半年間に登録された十代の少年も全て調べ上げたのだが、どれもしっかりと出生届けまで出されているこの世界の者しかいなかった。
「ハルトのような容姿なら、すぐに王宮で保護されるのだが……茶色の髪に緑の瞳は、この世界では一般的でね。少し、時間が掛かるかもしれない」
申し訳ない、と肩を落とすウィリアムに、今度こそ笑ってみせた。
「そこまでしていただいて……本当にありがとうございます。俺ひとりだったら、ただ闇雲に駆け回るばかりでまた危険なことに巻き込まれていたと思います」
もう一度礼を言い深く頭を下げると、ウィリアムは「当然の事をしているだけだよ」と言ってそっと暖人の頭を上げさせた。
「他国へも内密で人を送ってはいるのだが……、別の世界からの者は、国によって存在を隠されているんだ」
「国、ですか?」
「別の世界から訪れる者は、国を良い方向へ導く力を持っている。それは敵対する国や勢力にとっては、邪魔な存在だからね」
邪魔な存在。
「……救世主がいる国には、戦争を仕掛けても仕掛けられても勝てない、ということでしょうか。それに国内の人であっても、戦争がない豊かな国になると武器を扱う商人が困るから……。救世主を守るためにも、国は存在を隠す……」
口元に手を当て視線を伏せてそう言った暖人に、ウィリアムは目を見開いた。
「驚いた……。君は、随分と冷静な判断力があるね」
「え、いえ、ただそうかなと思っただけで」
異世界転移系の話なら多分そんな感じ、とは言えない。真面目な話をしているのに失礼な気がした。
ふと見ると、向かいでオスカーがマジマジと見つめていた。
「別の世界の人間、か。だから昨日はおかしな格好をしていたのか」
「え? 変でした?」
卒業はしたものの、最期は涼佑との思い出が詰まった服を着ていたくて選んだ高校の制服だ。
白シャツにオフホワイトのカーディガンと、紺ブレザー、三年生の緑ネクタイ。下はグレーのチェック柄スラックス。
今彼らが着ている白シャツや黒のスラックスと特に変わりなく、首を傾げた。
「そういえば、随分簡素だったね。装飾もないし……神学校に通っていたのかい?」
「……いえ、聖職者になるとかじゃない、普通の学校です。向こうでは学生は大体同じような制服を着ています」
この世界だときっと、進学校ではなく神学校だ。
「なるほど、君の世界ではそうなのか。庶民の生活を知るための服なのかな?」
「えっと、あれは、庶民が着る制服です」
妙な間が流れる。ウィリアムも、オスカーすらも顔中に疑問符を浮かべていた。
「ハルトは貴族だろう?」
「えっ、まさか。一般市民です。どちらかというと貧乏寄りの庶民です」
貴族どころか、学費を払う為にアルバイトに明け暮れていた一庶民だ。
「そっちの世界は随分恵まれてたんだな」
オスカーが眉間に皺を寄せる。言い方が悪いよ、とウィリアムが窘めた。
「こちらでは、学校に通えて高価な服を着られるのは、貴族の子息や令嬢だけでね。下に着ていた服は毛織物だろう? 貴族の間でしか流通していない品だよ」
毛織物。暖人は一瞬首を傾げる。
「……あれは、確か1500円でした。パン10個分くらいの値段です」
そう言うと、今度は二人とも綺麗に固まった。
元の世界でも、アンゴラやカシミアで数十万という服はあった。もしかするとこの世界では、そのパターンしかないのかもしれない。
先程マリアがクローゼットにしまってくれた制服の中からカーディガンを取り、洗濯表示を見る。
「えっと、ポリエステルとレーヨン合わせて65%、ウール……羊の毛が35%です。毛は少しでも暖かいので、他の素材と合わせて織ることで費用を抑えているのかと」
そういえば、とある店にはウール100%で3000円以下という謎の安さの服もあったが、あれはどうなっているのだろう。大量生産だから?
ふと疑問に思いつつ顔を上げると、二人はあまりにも怪訝な顔をしていた。
「羊、いないですか? 柔らかい草を食べる、四つ足でふわふわした白い毛の生き物です」
ポリエステルなどは存在しないだろうが、馬がいたくらいだ。羊くらいはいそうだが。
「……メリーに似た生き物かな?」
真顔で言われ、思わず吹き出した。メリー。メリーさんの羊。多分、合ってる。
「ふっ、……すみません。その生き物の毛は服にしないんですか?」
「ここでは敷物か家具かランプの燃料にするくらいだね。メリーの毛は重くて、とても服には出来ないから」
メリーさん、重量級。また吹き出しそうになり、グッと堪えた。
「少し触ってみても?」
「はい、どうぞ」
差し出すと、ウィリアムはそっと服に触れ、目を見開いた。
「これは……。柔らかくて、暖かい……。軽いな……。これを商品化出来れば、皆が凍える事も……」
片手を口元に当てながら、真剣な顔でブツブツと呟く。
「ハルト。少しこの服を借りても良いかい? 丁重に扱う事は約束するよ」
「はい、いいですよ」
ウィリアムはパッと顔を輝かせた。まるでおもちゃを貰った子供のように。
まさか、某通販サイトで買ったセール品がこの世界の人を救う糸口になるとは思いもしなかった。異世界、すごい。
ありがとう、と手を握られ、戸惑ってしまう。本当に彼は距離が近い。
するとオスカーまで隣に座ってきた。
「首に巻いていた物は、結んでるのか?」
「はい。この世界にネクタイはないですか?」
「スカーフを巻いて、ピンやリングで留めるくらいだな」
あまりに不思議そうにするものだから、今度はネクタイを取ってきて目の前で結んで見せると、ますます驚かれてしまった。
小さなところで異世界を感じる。それにまさか、服の話でここまで盛り上がるとは思わなかった。
「これはいいな」
「君はスカーフが嫌いだものね」
首回りがゴワゴワして暑くて動きにくく、形が崩れるのをいちいち気にしないといけないのが嫌いだと、正装の際にいつも文句を言っているのだとウィリアムが笑いながら暖人に教えた。
「ネクタイは、シャツにピンで挟んで留めればズレることもないですよ。お仕事してる人は大体そうしてました」
挟む仕草をすれば、ほお、と感嘆の声が上がる。これ、通販番組だ。
「ウィル。これも作って貰ってくれ」
「分かったよ。俺たちが着ればすぐに広まるね、オスカー?」
次のパーティーに出る理由が出来たな、と暗に伝えるウィリアムに、オスカーは面倒臭そうに溜め息をついた。
「ハルト。今度細工師と仕立屋を呼ぶ際に、立ち合って貰えないかな? この布の結び方やピンの詳細を教えて貰えたら嬉しいのだが」
「はい。俺でよければ」
少しでも恩返しが出来るなら、と暖人は二つ返事で引き受けた。
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