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最終条件
しおりを挟む安定の酔い潰れからの、予備の部屋での起床。運んでくれたユアンとトキに礼を言うと、お礼ならこれで、と頭や頬を撫で回された。
そんな穏やかな朝を迎えて、風真は昼食まで、自室で各家門を覚え直していた。するとピコンッと音がして、着信ボタンが点滅する。
「風真、おはよー!」
「姉ちゃんおはよう! 今日休み?」
「うん、日曜よ。あの人が出張先から犬の写真送ってきたから、風真どうしてるかなって」
「犬で思い出す~。柴かな」
「風真と言ったら柴でしょ」
「ポメラニアン説もあった」
「あー、あったあった。大型犬って言わないあたり風真ね」
楽しげに笑う由茉に、欲張りませんので、と返すといい子いい子と褒められた。
「最近どう? 王太子妃の仕事って忙しい?」
「なんと俺は今、王太子妃としてガーデンパーティーの主催をしています」
「はっ!?」
「悪役令嬢ものの知識がめちゃくちゃ生きてる。平民は普通、貴族のパーティー会場を見たことないのにって言われて気付いた時には、あれこれ提案した後でした」
「はー、アイディアと企画力のずば抜けた天才みたいになったんだ」
「やってしまった。元の世界の知識を引用してるって言っても、俺がすごいみたいになっちゃって……」
「風真なりにアレンジしてるんでしょ? それなら風真の力よ」
「ううっ、姉ちゃん優しいっ」
王太子妃になっても風真は風真だ。心配にもなるが、風真らしさが失われていなくて由茉は安堵した。
「王子は、いい旦那さんなのね」
「うん……自慢の、夫……、……俺も夫」
言葉にすると顔が火照ってしまい、どっちも夫だ、とぽそぽそと言って誤魔化した。
――条件達成:スキルが使用可能になりました。
「条件? スキル?」
「っ、うそ……」
ピコンッと電子音がして、通話ボタンの隣にもう一つのボタンが現れる。それと同時に由茉の画面上のNG項目から、とある一文が消えた。
「姉ちゃん?」
由茉の震える声。自分の画面に変わったところはなく、どうしたのかと風真は緊張した。
「ずっと目の前の画面に、書いてたの……。最終条件をクリアしたら、私の願いを叶えてくれるって……」
最終条件。今の会話の中の何かが、条件だったのだろうか。
「最終条件は、結婚式かなって予想してた。でも違って、私にも分からなかった。それを風真に相談したかったけど……風真に話したら願いは叶えられないし、もう話す事も出来なくなるって……」
「っ……」
そんな秘密と不安を抱えていつも通話をしてくれていたと、初めて知った。
「姉ちゃんの、願いって……?」
声が震える。もしかしたら、同じ願いかもしれない。もしかしたら……。
「風真に、また会いたい」
「っ……」
(帰れ、る……?)
その願いが叶えられたなら、元の世界に帰れる。今までシステムが嘘をついた事はない。
由茉の泣き声が聞こえる。本当に、願いが叶えられたのだ。
(じゃあ、この世界には……)
「風真に、会いたいの……」
泣きじゃくりながら訴える由茉に、心が揺れる。
両親の代わりに、守ってくれた。惜しみない愛情を注いでくれた。大切な、家族。
どくどくと心臓の音が酷く大きく聞こえる。姉の願いを、他の誰でもない、自分が叶えないのかと。
(でも、俺は……)
アールたちを、置いて行けない。
もう、アールから離れて、生きていけない。
(俺、は……)
それでも、姉の願いを叶えられるのは自分だけだと心が訴える。
それでも……。
「泣いちゃって、ごめんね……」
「っ……」
涙声で笑う由茉に、グッと胸が締め付けられた。
「私の願いは、風真を呼び戻すことじゃないの」
「え……?」
「風真が二つの世界を行き来できるようにして欲しい。……でも、そんなのが叶えて貰えるとは思ってなかった」
行き来できるように……?
言葉が理解出来ず、何度も脳内で反芻する。
(二つの世界を……?)
「じゃあ……このボタンって……」
「うん……きっと、そうよ」
ボタンは、白い家の形をしている。その下には、待機時間ゼロを示す数字が。
――スキル:帰省。
電子音がして、二人のメッセージウィンドウに文字が現れる。
「二つの世界でボタンを押す事により……世界を繋ぐ、通路が現れる……?」
「世界を渡れるのは、神子のみ……」
「滞在時間は、……二十四時間っ!」
数分ではなく、丸一日、一緒に過ごせる。
「うっ……うえぇっ、姉ちゃんに、会えるっ……」
「風真っ、風真ぁっ」
二人でぼろぼろと泣きじゃくる。声だけでなく、顔を見て、触れる事が出来る。その奇跡に、しばらく涙は止まらなかった。
二人が泣き止んだ頃、画面のボタンがくるくると回り、アイコンの下に『帰省』の文字が現れる。だがすぐにまた回り、『一時帰宅』に変わった。
――結婚祝いが贈られました。
「んっ? コンビニの袋?」
どこから出たのか、ヒラヒラと落ちてくる。片面には、この世界に召喚される前にいたコンビニのロゴが入っている。がっつりめの弁当を五、六個入れられるくらいの大きな袋だ。
――中に収められた物は、神子と共に世界を渡れます。
「はっ!?」
――対象外:危険物、動植物、土、食品、金貨五枚分以上の物品。
「入国審査みたいね……」
「金貨五枚分までなら、金貨そのものとか、宝石とかもいいの?」
――可能です。
それならと風真は思案する。せっかくなら、元の世界でプレゼント出来なかったものを持って行きたかった。
そこでふと気付く。
「俺がいない間、魔物は?」
――魔物の襲撃はありません。
「近付けないでくれるの?」
――帰省スキルには、魔物忌避:強 が付帯されます。
「良かったぁ……」
安堵してベッドに倒れ込んだ。
由茉と相談し、明後日の朝に帰ることにした。
今すぐにでも帰りたかったが、今日は夕方からアールと一緒に侯爵家の人たちに会う予定がある。明日は丸一日王太子妃としての予定が。申し訳なさげに伝える風真に、由茉は「しっかり王太子妃してるじゃない」と優しい声で返した。
それから大事なことをシステムに何度も質問し、二人は通話を終えた。
・
・
・
「帰れる……」
静まり帰った部屋で、風真はぽつりと呟く。帰れる。本当に。何度も呟くとようやく現実感を帯びてきて、居ても立ってもいられず部屋の扉を開けた。
「神子様?」
「護衛さんっ……俺っ、帰れます!」
帰れる? 一瞬理解が追い付かず、護衛は風真を見つめる。
「元の世界に帰れるんです!」
「っ……」
「あっ、帰れるんじゃなくてっ、いえ、帰れるんですけどっ」
護衛の表情が固くなり、風真はハッとして訂正する。だが興奮していて上手く言葉に出来ない。
「どうした?」
「アールっ、俺、帰れるっ……姉ちゃんに会えるっ……」
昼食に合わせて戻ってきたアールにも、勢いのままに告げてしまった。みるみる青醒めるアールの顔。
「うぁっ、ごめっ……、帰るんじゃなくてっ、俺っ……、一時帰宅っ!」
「一時帰宅、ですか?」
風真の声を聞き、何事かと駆けつけたトキが問い掛ける。
「はい! あのっ、俺っ」
「フウマさん。一度落ち着きましょうか」
「っ……はい、すみません」
トキに抱きしめられ、赤子を宥めるように背をトントンと叩かれる。
「私の役目が……」
ぽつりと寂しげに呟くアールの肩を、ユアンがポンと叩いた。
「すみません、取り乱しました。神様が言うには、一日だけ、元の世界に帰れるんです。二十四時間経ったら戻ってきます」
落ち着いた風真は、冷静に、端的に説明する。
「……戻って、……」
「来るよっ」
「もしも……」
「大丈夫だよ。神様に何度も確認したから」
この世界の同じ時間軸に、今まで皆と過ごしてきた時間を失わず、自分のままで帰って来られるか。
すると、ただのトンネルのように二つの世界が繋がるだけだという回答が返ってきた。
「帰って来れるって確信がなかったら、帰省しようと思わなかったよ」
「帰省、か」
アールがぽつりと呟く。
「フウマは……姉君に、会えるのか……」
ぼろ、と空色の瞳から涙が零れる。
「良かった……」
ぼろぼろと涙を零すアールを、ぎゅっと抱きしめる。そんな風真を、ユアンとトキがそっと抱きしめた。
アールは涙が止まると、袖でゴシゴシと目元を拭った。風真はその手を離させ、ハンカチ……を持っていない事に気付いて自分の袖でぽんぽんと優しくアールの頬を拭う。
「ユアンさん。丸一日留守にしますけど、その間は結界が一時的に強化されて、魔物が近付かなくなるそうです」
「それはありがたいな」
「その分、気付かれたら盗賊とかが来るかもしれないんですが……。無茶はしないでくださいね」
「大丈夫だよ。俺はフウマの腕の中で死ぬと決め、……ベッドの上でフウマに看取られて老衰、だったな」
言い直すと、トキが満足げに頷いた。
「こっちは大丈夫だから、ゆっくりしておいで」
「ありがとうございます」
ふにゃりと笑うと、ユアンに頭を撫でられる。横からトキに頬を撫でられた。
「それで、あっちに持って行く物の相談をしたいんですけど」
「別世界に持参出来るのか?」
「このくらいの袋に入るだけならって神様が。金貨五枚分までの値段ならいいんだって」
「金貨五枚分か……」
「そんな小さな袋に、ね……」
アールは突然難しい顔をする。見ればユアンとトキも同じように、そして護衛も深刻な顔をしていた。
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