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おやつと報告
しおりを挟むアールに一日中介抱され、ゆったりと過ごした日の、翌日。
「行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい」
「…………行ってくる」
アールは風真の手を取ったまま、その場から動かない。繋いだ手に視線を落とし、行きたくないと全身で示していた。
風真も離れたくない気持ちは同じ。だが、アールの可愛さがあまりに増して、ここは自分がしっかりしなければと男らしさが頭を擡げた。
「っ……」
アールがするように顎を掴み、背伸びをして唇にキスをする。
「行ってらっしゃい。夜ご飯は一緒に食べような」
ニッと笑い、アールの頭をよしよしと撫でた。
予想しなかった不意打ちに、唖然としたアールの頬がじわじわと染まっていく。
「……ああ。夕食前には、終わらせる」
「うん。待ってる」
ほんのりと赤くなった頬を撫でると、その手を取られて手のひらにキスをされた。
「んっ、こういうの、自然に出来ちゃうのがさぁ……」
今度は風真が赤くなり、アールは愛しげに頬を緩めた。
顔の火照りが収まるまで風真を抱きしめ、アールは後ろ髪を引かれながら部屋を出る。
「……フウマが私も驚くほどに男らしい事を、知っていたか?」
「……存じ上げませんでした」
襲撃事件の時に目の当たりにしていたのだが、優秀な護衛は心を無にして答える。その答えにアールは満足げに口の端を上げ、護衛の肩をポンと叩いた。
「フウマを頼んだ」
「かしこまりました」
礼をする護衛に、「いつもありがとう」などと言うものだから、さすがの護衛も顔を上げてしまった。
だが、その頃にはアールは背を向けていた。廊下の角を曲がり、姿が見えなくなったところで、護衛はそっと息を吐く。
あの王太子をここまで人間らしく変えた神子を、改めて尊敬する。
人々を思いやる王太子は、民からの支持も得られるだろう。それと同時に、腑抜けたと勘違いして利用しようとする輩も増えるはずだ。
娘を殺されるかもしれないと怯えていた家門も、今後は進んで側室に差し出すようになる。王太子妃の座を狙い、風真に危険が及ぶ事も考えられる。
反対に、神子の懐に入れば王太子を操れると考える輩も現れるだろう。慈悲深い神子は、懐柔しやすい。寵愛を受けている神子の言う事なら、王太子も聞き入れるだろうと。
三人の中で、最も危険の多い相手を選んでしまった。だが聡い風真なら、その可能性に気付いているはずだ。
ならば自分は、自分の主を護り通すのみ。出過ぎた真似をしようとも、危険から遠ざけるだけだと、扉を見据えた。
その後。甘い朝の余韻を引きずったアールは、口元に微笑すら浮かべて臣下を震え上がらせた。
恒例の呼び出しを受けたロイには今まで以上の惚気を披露し、遠回しに初夜を迎えたと告げられたロイは、二人への贈り物は何にしようかと笑顔のままで考えた。
そして、風真に会えない事でアンニュイな雰囲気と色気を漂わせ始めたアールに、今日は執務室から出ない方がアールと風真のためだと伝える。こんな顔で王宮を歩かれては、令嬢どころか令息、いや、誰であろうと惚れさせてしまう。
「今の幸せそうなお顔の兄上を見たら、令嬢たちが自分を側室にと押し掛けてくるでしょうから」
「それは困るな。分かった、今日はここにいよう」
ロイは胸を撫で下ろし、ティーカップに口を付ける。
こんな兄を外に出したら、襲われてしまう。自分が襲われる側になるとは考えもしない兄だから、王宮では自分が護らなければ。
風真と同じ思考で、ロイは日に日に護る側の強さを身に付けていた。
・
・
・
着替えを終えた風真は、食堂へと向かう。
朝食は今日もアールの部屋で食べた。アールが出る時間に合わせ、早い時間だった。今ならユアンとトキも食事を終える頃だろう。
トキに、訊きたい事があった。
黒い宝石を調べた後は、どの店でどう注文すれば良いかアイリスに相談しようと考えている。その前に、自分の給料を確認したかった。アールには訊けないため、トキなら知っているかと思ったのだ。
それに、婚約の報告もしたい。一番に二人に伝えたい。そう思っても良いだろうか。
「っ……」
そっと食堂を覗くと、ユアンと目が合った。
「おはよう、フウマ。そんなところでどうしたの?」
「フウマさん? おはようございます」
「おはようございますっ……」
二人の笑顔に迎えられ、風真はトトッと室内に入る。いつものトキの隣に座ろうとすると、こっちだよ、とユアンに手招きされた。
普段アールが座る椅子を引くと、腕を引かれてユアンの膝の上に乗せられる。
「わっ、ユアンさんっ、俺そんなに軽くないですっ」
「チョコアイスとバニラプディング、どっちがいい?」
「うっ……、……プディングに、アイス添えてほしい、です……」
「うちの子は素直で可愛いね」
ちゅっちゅと髪にキスをして、メイドに視線を向ける。微笑ましく見つめていたメイドはコクリと頷き、隣室へと入って行った。
今の会話で、下りるタイミングを失ってしまった。重いはずなのにと思っても、尻の下に敷いてしまったしっかりとした筋肉がそれを否定する。
アールの事を思うと、下りなければ。だが、ユアンは家族としてこのスキンシップを望んでいる。
それでも……。
「あのっ、すみませんっ、今は繊細な時期なのでっ……」
アールは頑張って仕事に行ったのだ。自分が他の人に愛でられるわけにはいかない。
ユアンの方を振り返り訴えると、目を見開いたユアンは、スッと風真を下ろした。
「フウマも、ついに大人になったのか……」
テーブルに肘を付き、組んだ手に額を乗せて項垂れる。
「何だろう……嫉妬と悲しみより、二人がちゃんと大人になれた事に安堵してるよ……」
トキには、二人なら大丈夫だと言われた。二人ともやる時はやる男だから。それでも、まだ駄目かもしれないと思っていたのだ。
まだ、風真を愛している。まだアールだけのものにならないで欲しいと願う気持ちもあった。
だが実際にそうなってしまえば、驚くほどに安堵の気持ちが込み上げた。
「体を重ねる事が全てじゃないし、それぞれのペースがあるのは分かってる。でも……まだ子供みたいなキスしかしてないって聞いて、本当に心配してたんだ」
まさか、手を繋いで唇を触れさせるだけしか出来ていないとは思わなかった。
「もどかしくて大変愛らしいのですが、私も心配していましたよ。心配、というのもおかしいですが……」
「いっそ、結婚するまでしないとか、期間が決まってたら心配しなかったのかな」
「そうですね。今日か明日かと考えていたから心配だったのでしょう」
「……体の繋がりがなくても、心配することないんだけどな」
「ええ……心は繋がっていらっしゃるのですから」
「でも、何か心配だったし、安堵したよね」
「肩の荷が下りた心地です」
テンポ良く話すユアンとトキに、座るべきか、ユアンの隣に立っているべきかと戸惑っていた風真は、ますます戸惑う。
するとサッと使用人が現れ椅子を引き、メイドが風真の前にデザートを置く。
「あっ、ありがとうございますっ」
風真が席に着くと、メイドと使用人は笑顔を残して隣室に消えた。
「……変な事言ってごめんね。今日のプディングは特に美味しいよ」
「そうなんですねっ、いただきますっ」
無理矢理明るく振る舞い、スプーンでプディングを掬う。元の世界より固めのそれを口に入れ、風真は目を見開いた。
「んっ、んん~」
美味しい。バニラビーンズの香りがふわりと漂い、上に掛かったカラメルが香ばしく、舌に触れる甘さとほろ苦さが絶妙だ。
次はチョコレートアイスと一緒に食べる。これもまた幸せなマリアージュだった。
「ん~、頬がとろけて落ちる~」
ふにゃふにゃの笑顔で舌鼓を打つ。
その笑顔を静かに見つめながら、ただただ愛しい気持ちに、ユアンは自分の父親レベルが上がった気がした。
風真が全て食べ終えると、ユアンはナプキンで風真の口元を拭う。
「んっ、付いてましたっ?」
「付いてないけど、父親をしたくなってね」
「……多分それ、年齢一桁くらいの子にしかしないやつです」
「それはごめんね。俺には家族がよく分からないからなぁ」
これはわざとだ。そう思っても、嬉しそうなユアンを見ると何も言えなかった。
「ところでフウマさん。何かお話があったのでは?」
「あっ、そうでしたっ。二つありまして」
つい美味しいおやつに蕩けてしまった。風真はここへ来た目的を思い出し、姿勢を正す。
「あのっ、俺っ、きゅっ……きゅうっ、っきゅ~~っ……」
「何だろう、この可愛い生き物は……」
「絶滅危惧種でしょうか……」
きゅうきゅう鳴き頬を染めて俯く風真を、ユアンとトキは真顔で見つめる。表情を失くすほどに可愛い。飼っても良いだろうか。
「ううっ、すみません……。俺、アールに、きゅ……きゅうっ、ぅ……婚されまして」
それに応えて婚約者になった、と続けるために、風真は一度言葉を切り、深呼吸をした。
たったそれだけを伝えられない風真に、ユアンはクスリと笑い、風真の左側へと回る。そしてそっと風真の手を取った。
「俺の可愛い息子にこれを贈るなら、まあ、婚約者として認めてやろうかな」
ユアンは複雑な気持ちで、風真の指に光る指輪を見据える。
「ユアン様。愛息子をお嫁に出したくない父親の対応は、よく分かっていらっしゃいますね」
「俺がまさにそれだからね」
肩を竦めるユアンに、トキはクスクスと笑った。
「求婚のお返事は、訊くまでもありませんね」
「婚約おめでとう、フウマ」
「っ……、ありがとうございますっ……」
二人に祝われ、ぼろっと涙が零れる。
大切な二人に祝われるのが、何より嬉しい。申し訳ないと思いながら、嬉しくて涙が止まらなくなった。
「フウマ、幸せになってね」
「っ……」
声にならず、コクコクと頷く。そんな風真を抱きしめ、柔らかな黒髪に頬を寄せた。
もう、諦めなくては。風真が、アールが、……皆が、幸せになるために。ユアンはそっと目を閉じ、最後の恋心を込めて、「愛してるよ」と柔らかな声で紡いだ。
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