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独り
しおりを挟む二人の足音が聞こえなくなるまで見送り、出て行った扉を閉めて鍵を掛ける。
そしてソファに座り、貯蔵庫から取り出したパンをもそりと食べた。少し固いが、噛むと良い塩梅の塩味がして美味しかった。
(静かだな……)
それは、敵が塔に入り込んでいない証拠。
(護衛さんと騎士さん、大丈夫かな……)
二人は強い。風真を逃がすために囮になっても、あれだけの敵と戦っても、怪我ひとつ負っていない。
騎士が強いのは知っていたが、護衛があれほど強いとは知らなかった。風真は水を飲み、そっと息を吐いた。
自分も戦うと言ってついて行ったところで、足手まといにしかならない。狙われているのが自分ならなおさら、ここに隠れているのが最善だと己に言い聞かせた。
弱点なら、せめて上手に逃げて、隠れて、邪魔にならないようにしたい。今日、身に染みて感じ、学んだ事だ。
(……姉ちゃんには、言えないな)
こんな話をしたら、泣かせてしまう。
これは言わない。この世界では魔物以外に危険なことはなく、皆に大事にされて毎日楽しく生きていると、それだけを伝えようと決めた。
(……アールは執務室だろうけど、ユアンさんとは合流出来るかな……)
朝食の時に、侯爵や伯爵と懇意にしている貴族に探りを入れに行くと言っていた。あまりにも普段通りの貴族が何人かいると。風真にはどういう事か分からないが、ユアンは経験や直感で何かを感じたのだろう。
アールもユアンの報告を聞き次第、衛兵や騎士の宿舎を視察に行くと言っていた。
慎重に事を進めていたのは、刺激すれば強硬手段に出る恐れがあったからだ。だがまさか、門の警戒を強化しただけで決行するとは、風真でさえ思わなかった。
(……トキさんは神職だから、剣を持てないんだっけ)
息を吐いて視線を動かすと、ここまで持ってきた剣が、入り口の床に転がっていた。
トキが持てないなら、神の子である神子も持ってはいけないのだろうか。
(でも、誰も何も言わないし、神子は特別なのかな)
剣の稽古までつけて貰っている。誰も咎めないなら、これからもまた稽古をお願いしたい。
皆に筋が良いと、上達が早いと褒めて貰うのが好きだった。父親や兄がいっぱい出来たようで嬉しかった。だから、ここまで上達出来たのだ。
しっかりとかんぬきの掛かった扉を見つめ、ぱたりとソファに横になった。
『薬漬けにして可愛がってやるのも……』
ふと侯爵の言葉が蘇り、ぎゅっと護衛の掛けてくれた上着を握る。
やろうと思えば、そういう事が出来てしまう世界。もし相手がもっと油断も隙もない人物だったなら、本当に奴隷として他国に売られていたかもしれない。
触られた感触まで思い出し、ぎゅっと目を閉じた。
(でも、最強の解毒剤持ってるしな……)
丸裸にされても隠し持っておける、手を縛られても使える解毒剤。最強の武器を持っている。
そう考えて、懸命に心を落ち着けた。
(……薬漬けも、トキさんにされるならいいや)
本来のエンドなら、そういう事もあったかもしれない。今なら、それでトキが喜ぶなら良いかと思える。実際に生姜と唐辛子は盛られたなと、くすりと笑ってしまった。
(服破られるのも、アールになら……今のアールは、しないか)
それでも、アールにされるなら怖くない。最近のアールは嫌われないかと心配してばかりだから、もう少し以前のように偉そうでいいと、我慢しなくていいと、帰ったら言ってみよう。
(屋敷で飼われるのも、ユアンさんになら……)
きっと外へ出られない事を嘆く暇もないほど、大切にして甘やかしてくれる。甘やかされすぎてすぐに太りそうだなと、それだけは心配してしまった。
「ハッピーバッドエンドかぁ……」
今ではもうそれは、ただのハッピーエンドだ。
それでも、アールとユアンにとってはバッドエンドだろうか。きっと、そうだ。
あんなに自分を選んで欲しいと願い、一心に愛してくれる二人に、失礼だった。
どちらかを選ばなくては。
それでも、二人の、……三人の顔を思い出すと、皆に抱きしめて貰いたくてたまらなくなる。
侯爵から逃げられて、良かった。
何もされなくて良かった。
帰ったらきっと、皆が抱きしめてくれる。
まだ、少し触られただけだから。何も、されていないから。
「っ……、ぅ……」
逃げられて、良かった。
怖かった。怖かった……。
叫び出したくなる気持ちを必死に抑える。
溢れる涙までは堪えきれずに、ソファの上で身を丸くし、声を殺して涙を零した。
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