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逃走
しおりを挟む「ハヤカワ様……!」
(騎士さんっ?)
生け垣の向こうでそう呼ぶ名に、風真は脚を止めた。
神子や風真は、知られている名。早川は、最初の頃しか名乗っていない。もし敵が聞いても風真の事だとは思わないだろう。
必死に呼ぶ声。きっと避難した人々の中に姿が見えず、ずっと探してくれていたのだ。
じわりと浮かぶ涙。だが今は泣いている場合ではない。グッと目元を拭った。
「騎士さんっ、そっちに行きます!」
「っ、ハヤカワ様!!」
周囲を見渡し、誰もいない事を確認して騎士の声に答え、走り出した。
一つ目の角を曲がると、騎士が倒したと思われる男たちが転がっていた。
命を失い、ただの物体のように無機質さを感じる体。血溜まりの中でこちらを見ている瞳。背筋が震え、脚の力が抜けそうになる。
「っ……、ごめんなさいっ……」
敵側に付いたとはいえ、自分がいなければ命を落とさなかった人々。ここにいる彼らは、侯爵に従うしかない理由があったのかもしれない。
彼らの命を奪った原因は自分だと、痛む胸に刻む。こんな事、もう二度と起こさせてはいけない。
ごめんなさい、ともう一度震えた声を零し、そっと剣を拾った。この状況で、丸腰ではいられない。剣の稽古も受けたのだ。きっと、命を奪わずに相手を撃退する事も出来るはずだ。
自らを鼓舞し走り出した瞬間、目の前に男が現れた。
「っ……」
実際にその場になると、剣を持つ手が震える。だが。
「来ないでください!」
風真は剣をしっかりと構え、男を睨み付けた。
玄人のように隙のない構えに、男は一瞬怯む。それを見逃さず、風真はスッと瞳を細めた。
「私の護衛が、黒幕の名を陛下に伝えに行きました」
静かな声で告げると、男は目を見開く。
「黒幕はすぐに捕らえられます。あなたが私に危害を加えれば、あなたと親族の極刑は免れないでしょう。さあ、どうしますか?」
もうすぐ陛下の命を受けた騎士たちが到着する。それでも侯爵に従うか、こちら側について逃げるか、選べ。
そう告げる鋭い瞳に、男はすぐさま踵を返し、逃げ出した。
(トキさんにハッタリ教えて貰ってて良かった……)
どっと力が抜ける。これで逃げてくれなかったら、剣を使うしかなかった。
だが、今まで人を斬った事はない。命を守るためでも、実際に人を斬るのだと思うと躊躇い、その隙に剣を弾かれていたかもしれない。
相手にどんな理由があろうと、自分が捕らえられる訳にはいかない。いざという時の覚悟が、足りなかった。風真は剣を見つめ、グッと唇を噛みしめた。
「ハヤカワ様!!」
風真が顔を上げると、向かいから騎士が駆けてきた。敵を威嚇した風真の声で居場所を特定したのだ。
「騎士さんっ!」
風真も騎士に駆け寄り、思わず抱きつく。安堵のあまり溢れそうになる涙を慌てて抑えて、騎士から離れた。
「っ……、お護り出来ずっ、申し訳ございませんっ!!」
「えっ、あっ、俺は無事ですよっ?」
「ですがっ……」
「あっ、これっ、破られましたけど、逃げてきましたっ」
騎士の視線が服に注がれ、風真は何もされていないとパタパタと手を振る。
「神子様をお一人にした私の責任ですっ……」
「いえ、あんな数いたんですから、俺がいたら二人とも逃げられなかったですよ。俺を探してくださって、ありがとうございます。騎士さんは怪我してませんか?」
「っ、はいっ……」
破れて汚れた服と、赤い瞳。涙に濡れた頬。酷い目に遭った事は明白だというのに、他人の怪我を心配する。明るい笑顔まで見せる風真に、騎士は込み上げるものを堪えた。
「今度こそ、無事に王宮へお連れしますっ……」
「お願いしますっ。俺も頑張って戦いますっ」
風真はグッと剣を握る。そんなものを持たせた事に、騎士は泣き出しそうに顔を歪めた。だが、ここで泣く訳にはいかない。
今度こそと風真の側を離れず誘導し、庭園の出口へと向かった。
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もうすぐ出口というところで、数名の令嬢が衛兵に囲まれて座っていた。
令嬢の表情に恐怖はなく、この場で待機させられている事への不安と不満が浮かんでいた。
「っ……まさか、人質にする気でっ……」
風真のその言葉で、衛兵の中にも敵がいる事を騎士は悟った。
「神子様、こちらへ」
風真が姿を見せれば、令嬢たちに危険が及ぶ。風真が現れなければ、衛兵はいつまでも待機するしかない。
その間に騎士団の救助がくる事を願い、そっとその場を後にした。
王宮には戻れない。それなら。
「あの塔に行きます」
「……承知しました」
風真の真っ直ぐな視線に、騎士は何も言わずに頷いた。あの塔が王族の避難場所だと、第一部隊に所属する騎士は知っている。風真もすでに聞いているのだろう。
王宮に送り届ける事が出来ず、騎士は己の不甲斐なさに顔を歪める。それに気付いた風真は、騎士の傍に身を寄せ「敵が現れたら離します」と言って騎士の服の裾をそっと握った。
頼りにしていると、優しく見上げる黒の瞳。
失態をした騎士を責める事なく、怖い目に遭ったというのに、他人を気遣う優しさと強さがある。
神子に仕える誓いはすでに捧げた。そして今、一生の主として、風真というその人に仕える事を、騎士は固く心に誓った。
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「神子様、私の後ろに……」
誓い通り風真を護りながら敵を倒してきた騎士は、風真を背後へと隠す。
庭園の出口の前に、道を塞ぐように立つ人陰。堂々としたその後ろ姿に、風真は既視感を覚えた。
「なんか、見覚えが……」
「神子様?」
「あれ……? えっと……護衛さんっ?」
「神子様!?」
振り返ったのは、風真が言う通りの彼だった。
一瞬意識が逸れたところで、二人の男が横から現れ、剣を振り下ろす。だがその攻撃を軽々と弾き、護衛は風真の傍へと駆け寄った。
護衛は庭園内に敵が入り込まないよう、ここで足止めをしていた。だが風真たちが戻ってきたという事は、すでに内部にも敵が配置されていたのだろう。
風真の姿と騎士の表情、そして向かう先を悟り、何も問うことなく、立ち上がった敵たちにまた剣を向ける。
「私の後について来てください」
「はいっ」
護衛の言葉に風真は頷き、騎士は察して風真の後ろを護る。
二人に護られながら、風真はただ、護衛の後を追って走り続けた。
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