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仮説
しおりを挟む翌日の昼食後から、マナー講座が始まった。
トキは普段風真を微笑ましく見守る使用人たちにも協力を仰ぎ、風真が白いスーツに赤いブローチを付けている時は、高位の貴族として扱うよう指示した。
廊下で会った使用人は、サッと端に避けて頭を下げる。最初こそ戸惑い、寂しいなどと思っていた風真も、数日後には堂々と中央を歩けるようになった。
トキと楽しくお茶をしている時に使用人が現れても、慌てずに背筋を伸ばして優雅にカップを傾けられるようになった。
時には王宮を歩き、時には庭園を歩き。最初はトキの助けが必要だった風真も、貴族と擦れ違っても、挨拶をされても、優雅に微笑み挨拶を返せるまでに成長した。
「フウマさんは、覚えが早いですね」
「ありがとうございます。トキさんのおかげです」
人目のある場所では今までのように明るく笑わず、神子らしく微笑む事が出来るようになり、トキは寂しさを感じながらも風真の成長を褒めたたえた。
だが、風真は複雑な表情でそっと視線を伏せる。
「フウマさん?」
子供相手のように褒め過ぎただろうか。風真が変わったというのに、自分は今まで通りではいけなかった。
寂しげに見つめるトキを、艶やかな黒の瞳がゆるゆると見上げる。
「……離れに戻ったら、今までみたいに褒めてほしいです」
ここでは撫でて貰う事も出来ないから。トキにいい子だと撫でて貰うのが好きだ。我慢をした分、いっぱい褒めて欲しい。
瞳がそう訴え、トキは頬を緩めた。
離れに戻り、風真の頭や頬を撫でて褒めると、今まで通りに「ありがとうございますっ」と元気な声を出し、太陽のような笑みを見せた。
神子らしい仕草が身に付いても、風真の本質が変わる訳ではない。風真が変わらない事に安堵し、このままずっと変わらないで欲しいと願い、そっと腕の中に閉じ込めた。
・
・
・
「ドネリー侯爵とワイマン伯爵は、警戒する家門リストに追加するよ」
夕食後の談話室で、左隣に座るユアンはそう言って二つの家門の名が記された紙を風真に渡した。
「何かあったんですか?」
「婚約式で、君に無理を言ったからね」
「えっ、それで追加ですかっ?」
それで追加なら、すぐに殆どの家門がリストに載ってしまうのでは。
「あのような場で神子に要求を述べるなど、何を考えているか分かったものではない」
珍しく早くに戻ってきたアールが、風真の右隣で眉間に皺を寄せた。
「でもあれ、神子の言葉を聞きたいってみんなが思ってるのを言っただけじゃない?」
「疑わしきは罰する」
「ええっ……」
迷いなく言い切った。横暴アールが出てると言おうにも、本当に疑わしい理由があるならアールを責められない。
「何か怪しい動きがあるとか?」
「調査中だ」
「今のところ、伯爵の方は金儲けに勤しんでるだけで怪しい動きはないよ。侯爵の方は身分が邪魔で、なかなか調査が進まないんだ」
「……それ、俺が聞いていい話ですよね?」
「勿論だよ。君はこの国の神子様だし、情報共有は大事だからね。ちなみに侯爵と伯爵は、数年前の夜会で貿易関連事業の話で意気投合してから、仲がいいらしいよ」
情報を共有する事で風真を護れる。ユアンは隠すつもりはなかった。
「何もなければお節介で迷惑なおじさんたちだった、で済むけど、何かあってからだと遅いからね」
騎士である以上、少しでも疑う要素があれば相手が誰であろうと調査する。そしてアールも、婚約式の後から不確かな疑念を抱いていた。
「仮説の一つは、アールの評価を下げたかった説だね」
「……ああ。神子が祝辞を述べると言わなければ、私が要求を拒否していた。そうなれば、私が変わらず横暴だの、弟たちとの確執は健在だのと言われていただろう」
アールは忌々しげに眉を寄せる。
「そこから色々と手を回して、ロイ殿下を王にする説もあるよ。侯爵はロイ殿下支持派だからね」
「大公領に同行する事を真っ先にロイに願い出ていたのだから、あくまで仮説の一つだがな」
風真が召喚されアールが変わり始めた頃から、侯爵は大公領へ行く事を前提にして自分の後任を決め、仕事の引き継ぎを始めていた。
「それ、やっぱり怪しい人じゃないんじゃ……」
「アール。安心させてどうするんだ」
「……あくまで仮説だ」
しまった、と顔に出して視線を逸らす。そんなアールに、向かいに座ったトキは小さく息を吐いた。
「こちらも仮説ですが。大公領へ向かわれると安心させ、油断した頃にアール殿下を罠にはめて失脚させるか亡き者にしようとしている、かもしれません」
「!」
「ですのでフウマさんは、絶対に近付かないようにしてくださいね?」
「はいっ」
不確かな事をあまり教えたくないはずのアールが仮説を風真に伝えたのは、そういう意図があったのか。風真はコクコクと頷いた。
(仮説……貿易……)
ふと、風真も仮説が浮かぶ。軌道から外れたとしても、このゲームの世界観は変わらないはず。主人公の周囲以外でもそういう要素があるとしたら、どうだろう。
「貿易……、悪い人……。人身売買、とか……?」
ファンタジー系で度々見る設定。この世界でもそういう悪人がいるのではと考えた。
「そんな言葉を知っていたのか」
「わー、久々に馬鹿だと思ってた顔見たー」
「驚いたが、最近は賢くなったと思っている」
「あんまフォローになってないからな」
苦笑すると、アールは何がいけなかったのかと怪訝な顔をした。
「神子君は鋭いね。君の言う通り、君の方を狙ってる可能性も考えて調査してるよ」
ユアンはまだいまいち鈍いアールに苦笑して、話を続ける。
「奴隷のいる国はあるけど、この国では爵位剥奪や無期懲役になるほどの大罪なんだ。あの二人がそんな危険を冒してまで君を狙うかどうか、というところだけど」
「フウマさんはこの国の神子様ですので、買う側もこの国と戦争をする覚悟で買わなければなりません。買い手が国でも、個人でも、争いは避けられないでしょう。戦争を起こす事が目的だとしても、この国が相手では分が悪いのです」
「……そっか。この国って、軍事力も世界一ですよね。戦争してこの国を手に入れられるかどうかの賭に出るより、貿易で外貨を稼いだ方が得ですよね。近くの国はだいたい輸出と輸入、どっちもこの国が一番の取引相手ですし」
今度はユアンとトキが驚いた顔をした。風真がここまで賢くなっているとは。
「私が教えた事をしっかり応用出来ているな。偉いぞ」
「へへ。色々教えてくれてありがとな」
愛犬を褒めるように撫でられ、風真は無意識にアールの方へと引き寄せられていく。
「侯爵と伯爵が奴隷制のある国と連絡を取ってる証拠でも出てくれば、すぐに解決なんだけどな」
アールに撫でられる風真があまりに気持ち良さそうで、ユアンは取り返す事を諦めて、風真の手を取り指を絡めて握った。
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