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三百年
しおりを挟む「フウマよ。顔を見せてくれ」
両手で頬を包み、顔を上げさせる。
茶色掛かった黒の瞳。その奥から感じる力に意識を集中する。
初代の神子が無茶をしていないかと会う度に確認していたこの方法が、こんなところで役に立つとは思いもしなかった。
「……そうか、その力の対価か」
「え……?」
原因が分かり、ドラゴンはそっと息を吐いた。
「神子はどれほど力を使おうとも、底に少量の力を残している。だがフウマは、自ら邪気を取り込むことで最後の力まで押し出しているようだ」
「押し出してる、って……」
「今も底に邪気が溜まっている。周囲の気配を取り込み、力を押し出してあれほどの結界を張ったのだろう」
「……じゃあ、俺は……」
「神子で間違いない」
「っ……、良かっ、た……」
安堵した途端に、全身から力が抜ける。
「確かめもせず、失言をした。すまない」
「ううん、邪気が溜まる理由が分かってすっきりしたよ」
そう言って笑う風真を、ドラゴンは思わず抱きしめる。落ち込ませちゃったかな、と風真もドラゴンの背に腕を回した。
(そっか……ゲームでは、ケイ君にも邪気が溜まることになってたや)
それを思い出せれば、すぐに解決する問題だった。自分はケイの代わりだからと、今でも不安になっているのだと自覚する。
「溜まった邪気はどうしている?」
「えっ」
「私のお祓いで清めております」
「そうか。確かに強い力を感じるが、……それほどの力が?」
「私は神官も兼ねておりますので、教会の儀式の間で神の光を通して祓えば、不可能ではありませんよ」
トキはにっこりと笑う。だがドラゴンは怪訝な顔だ。
「ご心配でしたら、一度見学に来られますか?」
「……いや、遠慮しておく。神の家など居心地が悪くてたまらん」
「そうですか。残念です」
(あ……これが意地の悪い顔かぁ)
ドラゴンの言っていた意味が分かってしまう。それでも、風真に助け船を出してくれたトキはやはり優しいのだと、感謝を込めて笑顔を向けた。
「邪気が祓えるならば問題はないな。邪気が底に溜まるほどの無茶をする事は感心出来ぬが」
「以後気を付けます……」
何度反省したか分からないが、その時は本当に反省している。しょんぼりと肩を落とす風真に、ドラゴンは愛しげに瞳を細めた。
「結界の件だが、私の鱗を媒体にするなど、考えもしなかったぞ」
「おじいちゃんの鱗だから、絶対いけると思ったんだ。強いドラゴンさんの鱗だし、なんていうか……鱗から、この国を護るって気持ちを感じたんだ」
護りたいという風真の気持ちと呼応するように、力が湧いた。それはやはり、鱗に気持ちが込められていたからだ。
「……私は、あの子の願いを叶えたいだけだ」
金の瞳が細められる。
「だが……私の一部が、フウマを護る力になったのか」
ふわふわとした黒髪を撫でると、風真は嬉しそうに頬を緩める。この神子を護るための力になったのなら、喜ばしいことだった。
そこでまたアールたちの視線を感じ、ドラゴンは手を離す。
「結界を調べたが、穴は完全に塞がり、更に上を覆うように張られていた。あれならば今後三百年はもつだろう」
「三百年!?」
「いやはや、驚いた。私の神子をも凌ぐ力を持つのだな」
「俺も驚いたよ……三百年って……」
でも、俺より初代の神子様の方が強い。そう言い掛けて、言葉を呑み込む。三本の道を護る力が千年も続いたのは……。
(命を捧げた、から……)
ドラゴンは、風真に命を捧げるなと言った。それは、初代の神子の死後ではなく、その意志で鉱石になる事を選んだからではないか。
俯き、ぎゅっと布団を握る。
「一度であれほどの結界を張ったのだ。時間を掛けて強化すれば、千年も夢ではない。焦らず少しずつ、な」
「うん……。少しずつ、頑張るよ」
「そなたはせっかちなところがあるからな。御使いたちにしっかり見張って貰わねば」
「大丈夫だってっ。俺も日々成長してるんだよっ」
頬を膨らませる風真に、ドラゴンは愉しげに笑った。
「……そなたの力で浄化されたならば、鱗一片も残らぬのだろうか」
「うーん、一枚も消せないかな。俺の力が効くのは魔物だけだし」
「そうか。私には効かぬか」
「うん、効かない。そもそも結界通ってここに来てる時点で魔物じゃないんだって」
これには、アールたちの方が納得させられた。
「実は、私も驚いたのだ」
ドラゴンはクスクスと笑う。
「昔は、三本の道にはあの子が結界を張っていた。私の神子の結界は、私を受け入れた。だが、北に張られた次代の神子の結界は通れなかったのだ」
懐かしむように遠くを見つめる。
「それ以来、試した事はなかったが……。結界を通り、この屋敷にも脚を踏み入れる事が出来た。私はもう、鱗一片すら魔物ではないのだな」
それは、喜びと悲しみを含んだ言葉だった。
魔物であった頃に、神子と出逢った。魔物として過ごし、魔物として北の山を護った。長い時を、思い出と共に過ごした。
変わったからこそ、風真とこうして過ごせている。それでも、愛された記憶の中の自分は、魔物の姿だったのだ。
だが、あの子は……。
魔物でも人間でも神様でも関係ないと、きっとそう言って笑顔を見せてくれる。
そういう子だ。
「フウマよ。そなたの力で、北以外へも結界を張って貰えぬだろうか」
「北以外……」
「あの子の力も永遠ではない。そうなる前に、基礎を作っておくべきだろう。私が去った後に、鱗を媒体として強化すれば良い」
「……うん」
「あの子の傍に埋める鱗だけは、残しておいてくれ」
心臓の一番近くの鱗。出来ればその心臓も、一緒に埋めて貰いたい。今の風真に願うには、過酷なことだろうか。
「……その時まで待たなくても、今、会いに行けばいいじゃん」
風真の手が、ぎゅっと布団を握る。
「結界の中に入れるんだよ。すぐに会いに行こうよ」
酷いことを言っているのかもしれない。それでも、死んでからしか会えないなど、悲しすぎる。
俯き、涙を堪える。もし自分が初代の神子の立場だったら、生きている姿を見せて欲しい。まだ愛してくれているのだと、忘れていないのだと、その姿で、声で、感じたい。
もし忘れて欲しいと思っていたなら、自分の代わりにこの国を見守って欲しいなど願わない。忘れないで。愛していて。そう願ったからこそ、この国の行く末を託したのだ。
(俺の、身勝手な考えだけど……)
ドラゴンの気持ちを考えない発言だっただろうか。小さく震える手で、ますます布団をきつく握り締めた。
「……そうだな」
長い沈黙の後、静かな声が零れた。
「また来る」
「えっ、でもっ……」
「駄目だ」
ドラゴンは立ち上がり、風真に背を向ける。
そして。
「……千年ぶりだ。あの子に何を話すか、決めてから来る」
振り返らずに、ぼそりと呟いた。
「その時は、一緒に来てくれるのだろう?」
「うんっ、もちろんっ」
ぶんぶんと首を縦に振る。その気配だけで、ドラゴンは頬を緩めた。
また来る。そう言い残し、部屋を出て行った。
「……おじいちゃん、照れてた?」
「照れていましたね」
「千年ぶりに想い人に会うならば、完璧な姿を見せたいのだろう」
「それには同感かな。……本当に建国の神子様の伴侶だったのか」
「あの様子では、一方的な感情ではなかったのだろうな」
「そうですね。殿下もすっかり人の気持ちが分かるようになられましたね」
「ああ。フウマの方は、いつまでも鈍感のようだが」
「いきなりとばっちり!」
三人の視線を受け、俺も成長してます! と主張した。
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