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結界
しおりを挟む「ここだ」
「いっ、意外と大きい……」
「人の姿で見るとそうだな」
目線の高さに空いた穴は、風真がよじ登れば余裕で通り抜けられる大きさだった。その下の地面に高さを調整するために土が盛られ、艶のある濃紺の鱗がしっかりと刺さっている。
鱗は穴を綺麗に塞げる大きさだ。もし鱗を置いてくれなかったらと思うと、ゾッとした。
「本当にありがとう……。ドラゴンさんがいなかったら、魔物が入ってきてた……」
「おじいちゃん、だろう?」
「あっ、……おじいちゃん、ありがとう」
見上げると、ドラゴンは目元を緩めて風真の頭を撫でた。
「私の鱗には大抵の魔物や人間は近付かぬ。だが人間の中には、平気で倒してしまう者もいるからな。置いているだけでは心配だったのだ」
(ドラゴンの姿で置いてくれたんだ……)
盛られた土の傍には、鋭い爪跡が残っている。
ドラゴンの姿で土を掘り、よいしょ、と鱗を置く姿を想像して、不謹慎ながらとても可愛いなと思ってしまった。
「立て掛ければ良いかと思ったが、鱗もここを擦り抜けてしまうのだ」
結界からするりと手を伸ばし、鱗に触れる。
それはもう、魔物ではないという証拠。いつの間にか、そうなっていた。白く長い指がそっと鱗を撫でる。
「フウマよ。どうだ? 人の姿と同様、鱗も美しいだろう」
風真の方を振り向き、ドラゴンは自慢げに笑った。
「うん、すごく綺麗。海を閉じ込めた宝石みたいだ」
素直な感想が零れ、黒の瞳はキラキラと輝く。
「……神子というものは、皆そのように口が上手いのか」
「えっ、なんでっ?」
「考えもせず口にするからそうなる。あの子もそうだった。人タラシ、といったか。御使いも気が気ではなかったようだが、今代の其奴らも苦労するな。あの子は魔物まで落としたのだが、そなたも例外では……」
(ドラゴンに説教される異世界体験……)
そんな体験、レア中のレアだろう。これに関しては、トキも、ユアンでさえも止めない。
(それな、みたいな顔してるし……)
今の今まで警戒していたのに、と思う気持ちと、仲良くなってくれたら嬉しい気持ちで、風真は静かに惚気混じりの説教を聞き続けた。
「だが、その表現は気に入った。褒めてやろう」
「えっ、あれっ? もしかして今のって照れ隠しっ?」
「何の事だ?」
「ンンッ……」
(可愛いおいじちゃんじゃん!)
また説教をされては困るため、心の中だけで叫ぶ。知れば知るほど可愛く思えてきた。
「まあ良い。無駄話などせず穴を塞げ、フウマよ」
「説教始めたのドラゴンさ、……おじいちゃんじゃん」
拗ねてみせるが、ドラゴンには嬉しそうに頬を緩める効果を与えてしまった。
「……てか、鱗、ごめん……。痛かったよな」
「自ら抜く分には痛みはない。気にせずとも良いぞ」
「そうなの?」
「ああ。人ならば、髪を一本抜く程度だ」
「地味に痛いじゃんっ」
「そなたは痛みに弱いのか。どれ、転ばぬよう手を繋いでやろう」
「子供扱い~っ、孫だったっ」
本当に手を繋がれ、風真はワッと声を上げる。
祖父母は早いうちに亡くなってしまったが、こうして手を繋いでくれた事もあったのだろうかと思うと、じわりと胸が暖かくなった。
「事情は分かったけど、他の男には触れさせないで欲しいな」
「わっ、ユアンさんっ。大丈夫ですよ、ドラゴンさんはおじいちゃんですし」
空いた方の手を繋がれ、風真はへらりと笑う。
「嫉妬深い男は嫌われるぞ?」
「余計なお世話だ」
そう言いながらも、ドラゴンの手を離させないユアンに、優しさを感じる。風真は両手の暖かさにますます笑みが零れて仕方なかった。
「あれ……ここって、ワイバーンが攻撃してきたとこ?」
ふと気付いた。
「稀に知性の高い魔物がいるが、毒で一時的に弱まった箇所を突いたのだろうな。その程度で空くほど、脆くないはずだが……」
ドラゴンは結界を見据える。
風真が神子として喚ばれるほど、結界は弱まってはいない。
最近になって魔物たちが頻繁に国を襲い始めたのは、抑止力となっていた自分の力が弱ってきたからだろうとドラゴンは考えていたが、それも違うのだろうか。
「……ここには、あの子の一部が眠っていないからだろうか」
三本の道とは違い、ここには初代の神子の欠片がない。
歴代の神子の力も、初代ほど強い者はいなかった。もう感じ取れないだけで、本当は弱まっているのだろうか。
やはりこの国を強く護っているのは、鉱石となった神子の……。
「……元の姿を見せる約束だったな」
ドラゴンは風真の手を離し、結界の外に出て、人の姿を解く。
濃紺の翼がバサリと広がり、長い尾が地面を叩いた。鋭い眼光が三人へと向けられる。
『私だ。ドラゴンだ。……と言っても聞こえないか』
「ユアンさん、トキさん、聞こえます?」
「聞こえないけど、何か言ってるの?」
「私だ、ドラゴンだ、と」
「そうですか。見れば分かりますね」
トキはにっこりと微笑む。どうやら本当にあのドラゴンだとは理解して貰えたようだ。
『まったく、神職はどの時代も意地が悪いな』
「そうなの?」
『良い者もいるが、大抵は意地が悪く、胡散臭い』
風真は思わず吹き出してしまい、いい人なのに、と結界から出てドラゴンの鱗に触れた。
「フウマさんっ」
『こらこら、結界から出るな。私が神父に消される』
「神子君、それはさすがに軽率だよ?」
「ごめんなさい……」
『ほら、私の首が斬られる前に戻れ』
金の瞳を細める。
「でも……」
(でも、寂しそうに見えたんだ……)
ドラゴンの姿になったのは、涙を見せないため。何故か、そう思えた。だから、触れた手を離せない。
「その姿でも中に入れるよね?」
『翼が枝に引っかかるな。今、人の姿に……』
「何故、魔物がフウマと?」
遅れて到着したアールが、目の前の光景に顔をしかめた。
それに何故、結界の外に出ているのか。ユアンが傍にいるという事は、飛び出した風真を追って出たのだろうか。
『厄介な者が増えたぞ。フウマ、中に戻れ』
そう言ってドラゴンは人の姿になる。ユアンが風真を連れて結界の中に戻ると、ドラゴンも続いて脚を踏み入れた。
「何故……」
「王太子よ、説明は後だ。先にこの穴を神子に塞いで貰わねばならぬ」
穴、とドラゴンの視線を追い、アールは顔色を変えた。
「何故結界に穴が……、これを神子が塞ぐのか? 結界を張るなど、浄化するより負担が大きいのでは」
「ええっと……出来るか分かんないけど、やってみるよ。多分浄化と同じ感じでいけそうだし。穴のことは俺も後で話すから、……トキさん、先に説明お願いしてもいいですか?」
「ええ、こちらはお任せください」
トキは快諾してにっこりと笑った。
ドラゴンが魔物ではなく、風真に邪な感情を抱いていない事も理解出来た。出逢ってすぐに風真がこれほど懐いている事は気に食わないが、利用するには有益。トキはそう判断しての笑顔だ。
ユアンはまだ納得しきれていないものの、結界の穴の応急処置をしてくれた事には感謝したい。タイミングを逃してしまったが、それだけは後できちんと礼を言おうとそっと息を吐いた。
「フウマよ。そなたは優しい子だな」
「そっ、そうかな……」
「特別な事と思っておらぬところが、そなたの素晴らしいところだ」
「へへ、ありがと。なんか照れくさいなぁ」
本当に特別な事はしていない。優しいとも思っていない。だが、褒められるのは嬉しくてへらりと笑うと、ドラゴンは風真の頭をポンポンと撫でる。
「っ……」
「殿下。あの件に関しましても、ご説明しますので」
「俺も同じ気持ちだけど、先に聞いてくれ」
駆け寄ろうとしたところをユアンにまで止められ、アールは渋い顔で思いとどまる。
それに気付いた風真は、慌てて結界の方を向いた。
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