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来訪者2

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「……護る為に、そなたの命を捧げる事はない」
「えっ……」

 意志の強い黒の瞳に、ドラゴンはそっと視線を伏せた。
 今までどのような神子が現れても、こんな気持ちにはならなかった。
 魂の色が、同じだからだろうか。国を護る覚悟が、似ているからだろうか。


(そっか……最初の神子様は、鉱石になって……)

 風真ふうまも視線を落とす。
 いつ、何があってそうなったのかは知らない。寿命を迎えて石になったのか、それとも……。

「うん、命は捧げないよ」

 風真は顔を上げ、ニッと笑った。

「そのくらいの覚悟ではいるけどね。でも俺、体力と気力には自信があるんだ。どうしても無理な状況になっても、絶対諦めない」

 それは、ドラゴンを安心させるための言葉だった。
 足掻いても方法がなく、自らの命を捧げれば救えるという確信があるなら、その時はどうなるか分からない。

(でも、そんなこと、出来ないよな……)

 死んで守ろうとするな。生きて守れ。そう言っていたアールは、言う事を聞かなかった風真を怒りながら、止められなかった自分を責めて泣き暮らすのだろう。
 ユアンは風真が命を捧げる前に、自らを犠牲にするかもしれない。トキだけは、二人分の人生を生きることで菩提を弔ってくれそうだ。
 そんな人たちを残して、足掻く事をやめるなど出来そうもない。そして何より、姉の為に。そう考えられても、もしもの可能性は捨てられずにいる。


 風真の言葉の意味に、ドラゴンは気付いていた。

「体力と気力か……。出逢ったばかりだが、何ともそなたらしいな」

 だからこそ、その言葉に乗る事にした。目元を緩め、褒めるように風真の頭を撫でる。

 風真は初代の神子とは違う。今の御使いたちも、国の状況も、世界も、何もかもが違う。
 歴代で最も安定した世界情勢の中で喚ばれた神子に、その命を捧げるしかない状況が訪れる可能性は極めて低いと言えた。


「……ならば、伝えても問題ないか」
「ん? なに?」
「北の森に、結界があるだろう?」
「うん」
「小さいが、穴が空いている」
「えっ!?」
「ワイバーンの毒で空いたのだろう。今は私の鱗で塞いでいるが、早めに張り直した方がいい」
「鱗万能っ! てか貴重な鱗っ……、ありがとうっ。でも張り直すって、どうしたら……」
「あれは、あの子の次の神子が張り、歴代の神子が強化してきたものだ。そなたも張れるのでは?」

 まだ山があった頃は、北の山に棲むドラゴンを恐れ、他の魔物は近付きもしなかった。
 数百年後に山がなくなってから現れた神子が張り、薄れる度にまた神子が現れて補修してきた。

「張れるかな……」

 風真は自らの手に視線を向ける。
 この力は、目の前に画面が現れなければ使えない。戦う以外に使えるだろうか。不安が襲う。だがすぐに顔を上げた。

「やってみなきゃ分かんないよな。うん、やってみる」

 やる前から諦めるなど、自分らしくない。
 画面が現れなくとも、力が使えるようになっているかもしれない。考えれば、何か方法が分かるかもしれない。
 真っ直ぐに前を見据える強い瞳に、ドラゴンは懐かしむようにそっと瞳を細めた。


 そこで、風真の背後から声がした。

「フウマさん、その方は?」

 音もなく風真の傍に立ち、警戒した様子でドラゴンを見据える。
 突然聞こえた声に風真はびくりと跳ね、慌てて振り返った。

「トキさんっ、いつの間にっ。この人は、あの時のドラゴンさんですっ」
「あの時のドラゴンだ」

 どんな紹介だ、とドラゴンは愉しげに笑う。見上げる金色の瞳に、トキは顔色を変えた。

「っ、何故この場所に魔物が入れたのですか?」
「言葉を返すようだが、魔物なら入れないのではないか?」

 テーブルに肘を付き、薄く笑みを浮かべる。

「歴代の神子の住処であったこの屋敷には、清浄な気が満ちている。そもそも魔物は近付く事すら叶わないのでは?」

 トキはグッと言葉を呑む。確かに彼の言う通りだ。
 風真は、このドラゴンは守り神だと言った。本当に、そうなのだろうか。魔物としか思えない姿をした、このドラゴンが。


「そなたの部屋は特にそれが濃い。掃除をせずとも埃も溜まらぬだろう?」
「埃……溜まったことない!」

 不在時に使用人が掃除をしてくれているかと思っていたが、神子の許しがなければ入れない場所だ。

「私も以前は入れなかったが、あの子に聞いた。掃除をしなくて良いなど夢のようだと喜んでいたぞ」
「ほんとだよ神子様~っ、窓ないのに空気もすっきりしてるよ~っ」

 今更気付いた事実に、瞳をキラキラさせる。異世界、最高だ。

「……何故あなたが、それをご存知なのですか?」
「あっ、ドラゴンさんは、初代神子様のお知り合いなのでっ」
「初代の神子は、私の伴侶だ」
「伴侶!?」
「伴侶、ですか?」

 想い合っている事までは知っていたが、伴侶だったとは。風真は驚きに目を見開く。トキはますます訝しげな顔をした。

「添い遂げる事は叶わなかったが、私たちは互いに慕い合っていた。あの子と同じ魂の色をしたこの子は、……曾孫のようなものだ」

(曾孫……)

 金の瞳が愛しげに細められ、風真は胸が締め付けられる心地がした。そんな風に、想ってくれていたのかと。


「……おじいちゃん」

 本当の孫に注ぐように暖かな瞳を向けられ、言葉は素直に零れ落ちた。

「そう呼ばれるのも、良いものだな」

 ハッとして口元を押さえる風真の手を、ドラゴンはそっと離させる。
 初代の神子の子孫と呼ぶには、姿形は似ていない。もう忘れてしまいそうなあの声とも、似ていない。それでも、魂の色が、明るい笑顔が、あの子を思い起こさせた。

「これからはそう呼んでくれ」
「うん、……おじいちゃん」

 泣き出しそうな金の瞳を見上げ、風真は太陽のような笑みを浮かべた。

 その姿を、トキは静かに見つめる。
 この離れで平気な顔をしている事が、魔物ではない証拠。魔物の気が感じられない事も証拠になる。神官の力が衰えていなければ、だが。
 そして、風真がこれほど懐くなら、悪い者でもない。残りの懸念は……。


「人の姿をしていますが、あなたは本当にドラゴンなのですか?」
「己の目で見たもの以外信じないか。ならば、本来の姿を見せてやろう」
「えっ、待ってっ、ここで戻ったらっ」

 ドラゴンは風真の頭をポンと撫でた。

「戻るのは、外に出てからだ」
「えっ、あっ、そっ、そうだよなっ、ごめんっ」
「早とちりをするところは、本当にあの子の曾孫のようだな。いや、夜叉孫か? ……孫で良いか」

 夜叉孫でも足りないかと考え、もう孫で良いかという結論になる。人間の寿命は短く、いっそドラゴンの年齢で考えてしまおう。

「穴を塞ぎがてら、本来の姿に戻ってやろう」
「あっ、はい!」

 ドラゴンに続いて立ち上がる。

「穴、ですか?」
「森の結界に小さな穴が空いてるって教えてくれたんです。今は鱗で塞いでくれてるそうで」
「意図的に空けたのでは?」
「神官よ。どうすれば信じて貰えるのか」

 ドラゴンは苦笑して肩を竦める。だが風真が脳天気な分、御使いはこのくらい警戒心が強い方が安心だ。

「失礼ながら、フウマさんに近付く方の大半を信じておりませんので」

 躊躇なく言い切られ、ドラゴンは吹き出した。

「愛されているな」
「へへ。すごい大事にして貰ってるよ」
「そうかそうか。そう感じているならば、私は何も言うまい」

 ククッと笑いながら風真の頭を撫でる。このふわふわとした手触りは癖になりそうだ。





「……その男は?」

 知らせを受けて離れへと戻ったユアンは、風真の隣に立つ見知らぬ男に訝しげな顔をした。

「この人は……」

 あの時のドラゴンです、と言ってから何故離れに入れたのか、トキに話した一連の事を説明する。

「後は私の姿を見せれば良いだろう」
「うん……」
「騎士というものは警戒心が強いが、歴代一だな。そなたとの浮気を疑われれば、弁解する間もなく首を刎ねられそうだ」
「んんっ、笑い事じゃない……」

 愉しげに笑うドラゴンだが、風真からすれば冗談にならない。今もユアンは射抜くような視線を向けている。

(アールより容赦ないの、ユアンさんかも……)

 そう考えていると、ユアンに背後から抱きしめられた。

「愛されているな」
「……ものすごく大事にされてます」

 からかうドラゴンに苦笑して視線を逸らす。大事にされているが愛は重い。重いままに手を繋がれ、離れから出る。
 前に乗った風真を、背後から包み込むようにして馬を走らせるユアンに、ドラゴンは「愛が重いな」と苦笑を禁じ得なかった。


(馬に乗るドラゴン……)

 そんなドラゴンを、風真は横目で見る。ドラゴンに乗る人間の絵をよく見ていただけに、不思議な気持ちになった。

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