上 下
125 / 270

猫の爪痕

しおりを挟む

「ユアンさん、それどうしたんですか?」

 食堂に入った風真ふうまは、ユアンの頬に貼られた大きな絆創膏に驚いた顔をした。

「ああ、猫に引っ掻かれてしまってね」

 アールとトキがぴくりと反応して、ユアンは苦笑した。

「神子君の事なら、神子君自ら話題を振るわけないだろ?」
「……そうだな」
「では、どちらのですか?」
「本物の猫だよ。神子君以外の猫を可愛がる気はないからね」
「神子は犬だろう?」
「犬ですね」
「人間です……」

 さも当然のように犬と言われ、何故か申し訳ない気持ちで訂正した。


「本物の猫にちょっかいかけたら引っ掻かれてしまったんだよ」
「そうなんですか。……猫、いるんですね」
「神子君、猫も好き?」
「はい。犬も猫も好きです」
「結婚したら、どっちも飼おうか」
「ンッ……」

 さらりと言われ、呻いてしまう。

「私もそうするつもりだった。大型犬と小型犬で迷っている」
「俺はどっちも飼うつもりだよ」

 二人はバチッと火花を散らした。

「猫なら教会の裏によく遊びに来ますよ。朝食の後に会いに行きませんか?」
「えっ、行きます」
「トキっ」
「結婚したらなど、悠長な事を仰っているからですよ」
「トキが一番の敵だと忘れていた……」
「言い合いをしてる場合じゃないね」

 言い争いをやめた二人に、トキはにっこりと挑発する笑みを浮かべる。


「……ご飯食べたいです」

 話を終わらせようとそう言うと、使用人がサッと食事を運んできた。

「あっ、ありがとうございます。チーズパンケーキだっ、おいしそ~」

 パンケーキの上にスライスされた白いチーズと野菜が乗せられ、シーザードレッシングが掛かった食事パンケーキだ。皿には色とりどりのベリーが散らされ、今日も手の込んだ朝食だと風真は目をキラキラさせた。

 この顔を見ると、起こりかけた言い争いも一瞬で収まってしまう。いただきます、と手を合わせる風真に、使用人も料理人も皆が頬を緩め、和やかな雰囲気になるのだった。



 食事を終え満腹になった風真は、ユアンの頬をジッと見つめる。

「俺に傷を治す力があればいいんですけど……」
「神子君は優しいね。このくらい何ともないけど、膝に乗って抱きついてくれたら早く治りそうだな」

 斜め向かいに座る風真に、笑顔で答えた。

(冗談かもだけど、抱きつくくらいなら……)

 ユアンが絆創膏を貼るくらいだ。風真に見せたくないくらいには大きな傷なのだろう。
 風真は立ち上がり、ユアンの隣へと移動した。

「……でも、脚、怪我してません?」

 ふと、そんな気がした。

「してないよ? 座って確かめてみる?」
「……なんか、座ったらいけない気がします」

 ユアンは王宮の騎士だ。神子相手だとしても、言えない事もあるのだろう。
 本当は猫ではなく、ユアンが負傷するほどの何かがあったとしても、それが自分に解決出来るものだとは限らない。神子の力は、魔物相手にしか効かないのだから。


「俺に出来ることがあったら言ってください」

 ユアンの隣に立ち、そっと抱きしめた。

「その……えっちなことは駄目ですけど、神子の力とか、話し相手とか、マッサージとかも出来ると思うので」

 姉の肩や腰を揉んでいた技術は、役に立てるはずだ。

「君が俺の事を考えてくれるだけで、充分だよ。ありがとう、フウマ」

 ユアンも風真を抱きしめ、そっと背を撫でた。

「ただマッサージは、誰が相手でもやめておいた方がいいかな。そのまま君がされる側になるからね」

 される側。その意味が分かると、風真はじわりと頬を赤くする。

「冗談言えるなら大丈夫そうですね」
「本気で心配してるんだけどなぁ」

 外も中も気持ち良くされてぐずぐずになってしまう風真が容易に想像出来て、ユアンは苦笑した。

「神子君、もう少しだけ」

 離れようとする風真を抱き寄せると、風真はおとなしく抱きしめ返す。そして橙の髪に唇を寄せ、そっと目を閉じた。

 ユアンは騎士で、自分には倒せない相手とも戦っている。自分では何の役にも立たないかもしれない。それでも……。

(守りたいな……)

 この暖かな体温を、心配させないようにと振る舞う彼を、守りたい。
 神子の力がもっと強ければ。もっと様々な事が出来れば。そう願わずにいられなかった。





 風真がトキに連れられ食堂から出るまで見送って、ユアンは項垂れた。

「アール、神子君に何か言った?」
「言う訳がない」
「だよな……。神子君はどうして気付いたんだろ」
「神の啓示では?」
「話してた感じはなかったけど」
「神子特有の直感でもあるのだろう」
「それは厄介だな……」

 確かにあの見透かすような瞳にはどきりとさせられた。これからも気付くようなら、何か対策を講じなければ。ユアンは苦い顔をした。

 そんなユアンを横目で見やり、アールはそっと息を吐く。
 アールとトキは討伐の報告を受け、ユアンの怪我の理由も知っていた。猫に引っ掻かれた話に乗ったのは、風真が気付かないようにだ。

 ユアンの選択は、風真を極力危険から遠ざけるため。その選択をするには、自らの命を懸けなければならない。それは二人にも分かっていた。

 前線で戦えるのは、ユアンだけだ。
 アールは王太子としての立場と責任がある。風真のために命を投げ出すのは、最後の手段だ。トキは神職で命を奪う事も捨てる事も許されず、剣を持ち戦う事も出来ない。
 風真が戦う相手と機会を、自らを犠牲にして担う事が出来るのはユアンだけだ。自分たちはそれを後方で見守るしかない。


「ユアン。……仕方のない事だったと理解はしているが、極力……」

 そこで言葉を切った。

「……いや、何でもない」

 怪我をしないように、など、自分が言える事ではない。ユアンも騎士も、必死で戦っている。魔物を倒すために命を懸けている。守られる側が何を言えるというのか。

 視線を落とすアールに、ユアンは目を丸くし、そっと目元を緩めた。

「分かってる。神子君を心配させないように、今後はもっと注意深く戦うよ。アールも、心配してくれてありがとな」
「……ああ」

 そう返すアールは、悔しげな顔をしていた。
 アールの気持ちは伝わっている。昔とは本当に別人のようだと、つい顔が綻んでしまった。

「これもそうなんだけど、俺の考える怪我と、神子君やアールの考える怪我は違うんだよなぁ」
「違う、とは?」
「分かりやすく言うと、四肢が胴体に付いてるうちは怪我に入らないとか、血が止まるうちは怪我じゃない」

 アールならこのくらいの表現は平気だろうと、具体的に言う。だが予想に反してアールは珍しく青い顔をした。


「……今日の怪我は、怪我ではないのだな?」
「ちゃんとくっついてるよ。掠り傷とただの打撲だ」
「そうか……」
「アールも剣の稽古で痣作ったことあるだろ?」
「あれは怪我のうちに入らない」
「それと同じだよ」

 同じなわけがない。アールは小さく呟いた。剣の稽古はあくまで稽古だ。

「まあ、これは頑丈な俺の話で、部下たちのことは血が出れば怪我だと考えてるから」
「お前自身もそれを怪我だと思ってくれ」
「アールは心配性だな」

 笑い飛ばすと本気で睨まれ、ごめん、と苦笑した。


 アールは心を落ち着けようとカップに口を付ける。そしてゆらゆらと揺れる液体へ視線を落とした。

「……騎士の数を増やそうと考えている」
「奇遇だな。俺も第二、第三部隊を増員したいと思ってたところだ」
「そうか。ならば、その件はユアンに一任する。父上にも私から話しておこう」
「話が早くて助かる」
「一任するが、第一部隊には他部隊から最低五人の異動を、王太子として命じる」
「……そうくるか」
「五人もいれば、お前が怪我に似たものを負う確率も低くなるだろう?」

 似たものね、とユアンは苦笑した。
 確かに他部隊には昇進させても良い者が数名いる。その中から面談をして、風真と仲良く出来そうで、風真に邪な視線を向けない者を慎重に選ぼう。

「しかし、アールが怪我の心配をしてくれるなんてな」
「嫌味か?」
「そうじゃないよ。騎士は国と王族を守る為に命を懸けるのが当然、ただの捨て駒だ、って態度だったのに、本当にいい王太子になったなとしみじみ思ってさ」

 別人ではないかと思うほど、今のアールは変わった。今更ながら、奇跡のように感じる。

「それは、……あの頃の私は愚かだったと、反省している。騎士だろうと人間で、親がいて、伴侶や子がいる。大切な者を守るために戦っているのだと、今なら分かる」
「アール……」
「想像だけでは理解出来なかっただろうが、神子が騎士たちを、父親のようだと言っていた。神子を通して、血の通った人間なのだと理解出来るようになった」

 風真が話す騎士たちの姿は、人間らしくて親しみが湧くほどだった。だからこそ、彼らは同じ人間なのだと理解出来るようになった。
 その時の風真を思い出し、そっと頬を緩めた。


「アールは本当に神子君が基準なんだな」
「お前は違うのか?」
「俺もそうだけど、俺以上にというか、赤ん坊と母親みたいだな」
「母親か……。神子は、良い母になるな」
「そうだね。神子君が聞いたら、俺は男ですって怒りそうだけど」

 なるなら母じゃなくて父です、と頬を膨らませる風真の顔が思い浮かび、二人でクスリと笑ってしまった。

「俺と神子君の子でも、アールは可愛がってくれるよな?」
「当然だ。私と神子の子でも、護ってくれるだろう?」
「護衛騎士の任命なら喜んで受けるよ」
「ああ。頼む」
「でも神子君が俺の子を産んでくれたら、騎士を引退しようかな」
「どちらにしろ護衛騎士に任命するつもりだが?」
「どっちでも同じか。それなら引退はやめようかな」

 二人は楽しげに笑った。

「でも」
「ああ」
「神子君を共有は、出来そうにないよ」
「私もだ」

 風真がそうしたいと言おうと、こればかりは受け入れる事は出来ない。お互いに嫉妬深く、風真に一心に愛される事を願うからだ。
 選ばれようと、選ばれまいと、互いを恨む事はない。それだけは、二人の中で確かだった。

しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

普通の男の子がヤンデレや変態に愛されるだけの短編集、はじめました。

山田ハメ太郎
BL
タイトル通りです。 お話ごとに章分けしており、ひとつの章が大体1万文字以下のショート詰め合わせです。 サクッと読めますので、お好きなお話からどうぞ。

異世界転生先でアホのふりしてたら執着された俺の話

深山恐竜
BL
俺はよくあるBL魔法学園ゲームの世界に異世界転生したらしい。よりにもよって、役どころは作中最悪の悪役令息だ。何重にも張られた没落エンドフラグをへし折る日々……なんてまっぴらごめんなので、前世のスキル(引きこもり)を最大限活用して平和を勝ち取る! ……はずだったのだが、どういうわけか俺の従者が「坊ちゃんの足すべすべ~」なんて言い出して!?

悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。 ▼毎日18時投稿予定

突然異世界転移させられたと思ったら騎士に拾われて執事にされて愛されています

ブラフ
BL
学校からの帰宅中、突然マンホールが光って知らない場所にいた神田伊織は森の中を彷徨っていた 魔獣に襲われ通りかかった騎士に助けてもらったところ、なぜだか騎士にいたく気に入られて屋敷に連れて帰られて執事となった。 そこまではよかったがなぜだか騎士に別の意味で気に入られていたのだった。 だがその騎士にも秘密があった―――。 その秘密を知り、伊織はどう決断していくのか。

異世界転移して美形になったら危険な男とハジメテしちゃいました

ノルジャン
BL
俺はおっさん神に異世界に転移させてもらった。異世界で「イケメンでモテて勝ち組の人生」が送りたい!という願いを叶えてもらったはずなのだけれど……。これってちゃんと叶えて貰えてるのか?美形になったけど男にしかモテないし、勝ち組人生って結局どんなん?めちゃくちゃ危険な香りのする男にバーでナンパされて、ついていっちゃってころっと惚れちゃう俺の話。危険な男×美形(元平凡)※ムーンライトノベルズにも掲載

仔犬のキス 狼の口付け ~遅発性オメガは義弟に執心される~

天埜鳩愛
BL
ハピエン約束! 義兄にしか興味がない弟 × 無自覚に翻弄する優しい義兄  番外編は11月末までまだまだ続きます~  <あらすじ> 「柚希、あの人じゃなく、僕を選んで」   過剰な愛情を兄に注ぐ和哉と、そんな和哉が可愛くて仕方がない柚希。 二人は親の再婚で義兄弟になった。 ある日ヒートのショックで意識を失った柚希が覚めると項に覚えのない噛み跡が……。 アルファの恋人と番になる決心がつかず、弟の和哉と宿泊施設に逃げたはずだったのに。なぜ? 柚希の首を噛んだのは追いかけてきた恋人か、それともベータのはずの義弟なのか。 果たして……。 <登場人物> 一ノ瀬 柚希 成人するまでβ(判定不能のため)だと思っていたが、突然ヒートを起こしてΩになり 戸惑う。和哉とは元々友人同士だったが、番であった夫を亡くした母が和哉の父と再婚。 義理の兄弟に。家族が何より大切だったがあることがきっかけで距離を置くことに……。 弟大好きのブラコンで、推しに弱い優柔不断な面もある。 一ノ瀬 和哉 幼い頃オメガだった母を亡くし、失意のどん底にいたところを柚希の愛情に救われ 以来彼を一途に愛する。とある理由からバース性を隠している。 佐々木 晶  柚希の恋人。柚希とは高校のバスケ部の先輩後輩。アルファ性を持つ。 柚希は彼が同情で付き合い始めたと思っているが、実際は……。 この度、以前に投稿していた物語をBL大賞用に改稿・加筆してお届けします。 第一部・第二部が本篇 番外編を含めて秋金木犀が香るころ、ハロウィン、クリスマスと物語も季節と共に 進行していきます。どうぞよろしくお願いいたします♡ ☆エブリスタにて2021年、年末年始日間トレンド2位、昨年夏にはBL特集に取り上げて 頂きました。根強く愛していただいております。

美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜

飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。 でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。 しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。 秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。 美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。 秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。

小悪魔系世界征服計画 ~ちょっと美少年に生まれただけだと思っていたら、異世界の救世主でした~

朱童章絵
BL
「僕はリスでもウサギでもないし、ましてやプリンセスなんかじゃ絶対にない!」 普通よりちょっと可愛くて、人に好かれやすいという以外、まったく普通の男子高校生・瑠佳(ルカ)には、秘密がある。小さな頃からずっと、別な世界で日々を送り、成長していく夢を見続けているのだ。 史上最強の呼び声も高い、大魔法使いである祖母・ベリンダ。 その弟子であり、物腰柔らか、ルカのトラウマを刺激しまくる、超絶美形・ユージーン。 外見も内面も、強くて男らしくて頼りになる、寡黙で優しい、薬屋の跡取り・ジェイク。 いつも笑顔で温厚だけど、ルカ以外にまったく価値を見出さない、ヤンデレ系神父・ネイト。 領主の息子なのに気さくで誠実、親友のイケメン貴公子・フィンレー。 彼らの過剰なスキンシップに狼狽えながらも、ルカは日々を楽しく過ごしていたが、ある時を境に、現実世界での急激な体力の衰えを感じ始める。夢から覚めるたびに強まる倦怠感に加えて、祖母や仲間達の言動にも不可解な点が。更には魔王の復活も重なって、瑠佳は次第に世界全体に疑問を感じるようになっていく。 やがて現実の自分の不調の原因が夢にあるのではないかと考えた瑠佳は、「夢の世界」そのものを否定するようになるが――。 無自覚小悪魔ちゃん、総受系愛され主人公による、保護者同伴RPG(?)。 (この作品は、小説家になろう、カクヨムにも掲載しています)

処理中です...