120 / 270
塔3
しおりを挟む階段の終わりには扉があった。それを押すと、音もなく開く。
眩しい光が溢れて、風真は目を細めた。
「ここが、連れて来たかった場所だ」
目が明るさに慣れると、そこは円形の広い空間だった。白い壁。白い床。正面には空が広がっている。
「えっ、ガラスっ? 外から見た時はなかったよな? あ、これって入り口の反対側?」
白い壁の中央に、両手を広げた大きさの、どう見ても窓がある。
「入り口と同じ方角だ。この部分は、片側から透けて見える希少な石で造られている」
「すごっ、マジックミラーみたいっ。あ、マジックミラーは外が鏡か」
異世界すごいとはしゃぐ風真に、アールは愛しげに目を細めた。
「触ってもいい?」
「ああ。これも石だ。割れたりはしない」
そう言いながらも、窓に触れる風真の腰に腕を回し、しっかりと掴まえる。感覚的に風真が落ちそうで心配。隣でそんな顔をするアールに、落ちないよ、と笑った。
「階段そんなにしんどくなかったのに、けっこう高いんだな。街が見えるし、いい景色~」
大きな窓から、城壁と街が見える。日本とは違う石造りの建物が並ぶ景色は、ミニチュアのようで可愛かった。
「この景色で、先程の事は許されるか?」
「さっき? あっ、あれ、もう許してるって」
俺も頭突きしたし、と明るく言う。
「ほんとはこれを見せたいと思ってくれてたんだよな。すごい嬉しいよ」
ここが目的地で、塔の隠し通路を教えたかったのも本当で、えっちな展開になってしまったのは予想外の出来事だ。アールは何も悪くない。
「見せたかったのは、この後だ」
「後?」
首を傾げていると、空が徐々に朱く染まり始める。間に合った、とアールは安堵の声を零した。
「わあ、綺麗……」
茜色の空が溶けるように街中を染め、幻想的な風景に変わる。自然と感嘆の溜め息が零れ、視線はそこから逸らせなくなった。
「一緒に夕焼けを見られたな」
目を輝かせる風真に、アールはそっと目を細めた。
「約束していた場所ではないが、ここは……私が幼い頃から、良く訪れていた場所だ。いつかお前を連れて来たいと思っていた」
アールも窓に触れる。
「ここは静かで、煩わしいものは何もない。あの頃はそれが訪れる理由だと思っていた。だが今思えば、この景色も気に入っていたのだろうな」
アールの表情は、懐かしむように穏やかだ。
横暴で冷酷な王太子と恐れられていた頃も、アールの本質は変わらなかった。素直で優しくて、それがただ隠されてしまっていただけだと、風真には思えた。
「アールにとって、大事な場所なんだな。俺もここが好きになったよ。連れてきてくれて、ありがとな」
心から嬉しそうに笑う。アールは眩しげに目を細め、吸い寄せられるように風真の額にキスをした。
肩を抱き寄せられ、風真は慣れない体勢と甘い雰囲気にソワソワしてしまう。それでも、不思議と離れようとは思わなかった。
空が徐々に紫に染まり、星が見え始める。
この空の先が元の世界に繋がっていればと、感傷的になった事を思い出す。今もその気持ちがなくなったわけではない。
それでも、神子で良かったという気持ちが、アールたちの優しさが、心を癒してくれる。
神子で良かった。
それなら、神子じゃなくなったら?
またふと、余計な考えが浮かんだ。
神子だからこの場所にいられる。優しくして貰える。それなら……。
「……俺に、神子の力がなくなったら」
ぽつりと、音になって零れ落ちた。
「っ、なんてなっ」
声にした事に気付き、慌てて笑ってみせる。この後、何を言えば誤魔化せるだろう。戸惑っている間に、アールが先に口を開いた。
「そんな事を気にしていたのか」
「へ……?」
「もしそうなれば、そうだな……騎士団をもう一、二部隊増やすか」
「んん?」
騎士団? と首を傾げた。
「神子の力がないとなれば国の防衛としては痛手だが、元は自国の護りは自国で行うものだ。神子に頼りきっている現状の方に疑問を感じるべきだった」
「えっ、俺は頼ってほしいよっ?」
「分かっている。だが、騎士団への志願者は多いと聞いている。この機会にひとまず騎士の数を増やす方向で検討しよう」
「……俺、もういらない?」
「言い方が悪かったか……。第二、第三部隊の人員を増やす。どこかの神子が遠隔討伐などで邪気を溜め込まないようにな」
「どこかの神子って、誰だろ」
身に覚えがあるな、と苦笑した。
「神子に命を救われた者は多い。力がなくなろうと、責める者もここから追い出そうとする者もいない」
風真の髪を撫で、頬に触れる。
「私個人の感情としては、ユアンや騎士共にお前を取られる事もなく、心が穏やかでいられると思っている。お前がお前なら、肩書きなど気にはしない」
「アール……」
「……いや、私の伴侶という肩書きには固執するが」
「んんっ……」
真顔で言われ、風真は呻いた。
「これもどうせ不安になるだろうが、お前が子を成せずとも、世継ぎに関しては考えがある。何も憂う事はない。安心して私を選べ」
「考え、って……」
「今はまだ、秘密だ」
ふ、と悪戯っぽく笑う。
(わ……綺麗、だな……)
初めての笑い方。朱い陽に照らされた金の髪が透けて、この世の者ではないほど美しくて目を奪われる。
「綺麗だ、フウマ」
「っ……」
「天に輝く太陽だけでなく、沈む陽もお前に似ている」
あまりに綺麗な表情で、そんな事を言った。
両手で風真の頬を包み、愛しげに見つめる。
「会えない時間が、寂しい」
「っ……」
どく、と心臓が鳴った。
寂しいと、アールの口から紡がれた。沈む陽を、朝に太陽が昇るまでを、会えない時間に例える。こんな高度な技をどこで覚えたのだろう。
専門書か、とそこまでを一瞬で考え、風真の顔は赤くなっていく。
夕焼けのせいだと言い訳したくても、唇は動いてくれない。朱を映す瞳に真っ直ぐに見つめられ、目を逸らす事も出来なかった。
・
・
・
「……結局、あんまり景色見れてない」
アールの顔の方が記憶に残っている。
あの後、気付けば暗い空に星が幾つも輝いていた。今度は約束していた場所で、とアールが額にキスをして、一緒に階段へと向かった。
夕食も王宮の方でとったのだが、味もいまいち覚えていない。
「いや、あれは動揺するって……」
風呂から上がってようやく落ち着き、深く息を吐いた。
あの景色とあの笑顔と、あの言葉のコンボは効いた。
(あんなの溺愛系小説の王子様みたいじゃん、……ここもそうだった)
ジャンルが違うだけで、アールは溺愛エンドだ。エンドを迎えていないが、溺愛が過ぎる。
ベッドに横になり、はー……と息を吐いたところでノックの音がした。
「神子様。アール殿下からの贈り物をお持ちしてよろしいでしょうか」
「え、あ、お願いします」
てっきりアールかと思った。苦笑しながら、ベッドを下りる。
贈り物とは、貸して欲しいとお願いした肖像画だろう。朝ではなくこんな時間に届けるのは、先程の事を忘れないようにという事だろうか。
扉を開けると、使用人が運んだ荷物を護衛が室内に入れる。綺麗にリボンの掛けられた、大量の箱だった。
「めちゃくちゃプレゼント貰った人みたいになってる!」
「そうですね」
「これは違うんですっ、いえ、違わないんですけどっ」
風真は慌てるが、アールが大量の贈り物をしたところで護衛は驚かない。それだけのものをこの目で見てきたのだ。
「開封も致しましょうか」
「……いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
開けたらアールの幼少期の肖像画ばかり。それはいくら口の堅い護衛にも見せられない。
「御用の際はお呼びください」
護衛はそう言ってパタリと扉を閉めた。その淡々としたところに救われる。
風真は一度深呼吸をしてから、一番小さな箱を開けた。
(んあ~、やっぱり天使だ~)
赤ん坊の頃のアールだ。聖母に抱かれた天使がここにいる。
持ち合わせていないはずの母性を盛大に擽られながら、しばらく見つめて、次の箱を開けた。また次の箱、と開けながら、一枚ずつ眺めて癒される。
アールの寝室の棚にあった六枚以外にも、幼い頃のアールの肖像画が数枚贈られていた。控えめに言っても全て天使だ。
「いやいや、大人のアールもいるけど?」
腰までの高さがある一番大きな箱には、王太子として正装をしたアールの絵が入っていた。
「これをどんな感情でどこに飾れば……」
街で買った壁飾りの隣は、ベッドから起き上がった時に見える。寝ている姿を見守られてしまう。
その横の壁は、入り口から見える。これは一番いけない。
その横は……ベッドの隣で、バスルームの扉の横だ。トイレの隣でもある。王太子を飾るには申し訳ないが、ここしかないなと頷いた。残る壁は、ソファから常に見えてしまうから。
だが壁に飾る為の道具がない。飾るのは明日にしようと、ソファの上にそっと立て掛けた。隣に座っているようで変な感じだが、王子を下に置くのは申し訳ない気がした。
「……王様になるんだよな」
ソファに座りちらりと隣を見ると、肩章や勲章の付いた白い服を着たアールがいる。腰には細身の剣を帯び、前髪を上げ、鋭い瞳でこちらを見据えている。もう、充分すぎるほどに王の風格だ。
「こんな天使が、王様に……」
テーブルの上に並べた肖像画と見比べる。王妃の腕の中でころころぷにぷにしている幼児が、堂々とした王太子になり、次は王様に。
「王様、か……」
もし、アールを選んだら。
もし、アールの子を産めたら。
その子も同じように成長して、王になるのだろう。
(……知能だけはアールに似て欲しい)
体力と社交性なら自信がある。だが、頭だけは自分に似ないで欲しい。それは、誰との子だとしてもだ。
(アールもユアンさんも、トキさんも頭いいじゃん……)
どうか頭だけは彼らに似て欲しい。ソファの背に体重を預け、天井を見つめていた視線は、とろりと暗闇に溶けていった。
32
お気に入りに追加
840
あなたにおすすめの小説

異世界転移して出会っためちゃくちゃ好きな男が全く手を出してこない
春野ひより
BL
前触れもなく異世界転移したトップアイドル、アオイ。
路頭に迷いかけたアオイを拾ったのは娼館のガメツイ女主人で、アオイは半ば強制的に男娼としてデビューすることに。しかし、絶対に抱かれたくないアオイは初めての客である美しい男に交渉する。
「――僕を見てほしいんです」
奇跡的に男に気に入られたアオイ。足繁く通う男。男はアオイに惜しみなく金を注ぎ、アオイは美しい男に恋をするが、男は「私は貴方のファンです」と言うばかりで頑としてアオイを抱かなくて――。
愛されるには理由が必要だと思っているし、理由が無くなれば捨てられて当然だと思っている受けが「それでも愛して欲しい」と手を伸ばせるようになるまでの話です。
金を使うことでしか愛を伝えられない不器用な人外×自分に付けられた値段でしか愛を実感できない不器用な青年

異世界で王子様な先輩に溺愛されちゃってます
野良猫のらん
BL
手違いで異世界に召喚されてしまったマコトは、元の世界に戻ることもできず異世界で就職した。
得た職は冒険者ギルドの職員だった。
金髪翠眼でチャラい先輩フェリックスに苦手意識を抱くが、元の世界でマコトを散々に扱ったブラック企業の上司とは違い、彼は優しく接してくれた。
マコトはフェリックスを先輩と呼び慕うようになり、お昼を食べるにも何をするにも一緒に行動するようになった。
夜はオススメの飲食店を紹介してもらって一緒に食べにいき、お祭りにも一緒にいき、秋になったらハイキングを……ってあれ、これデートじゃない!? しかもしかも先輩は、実は王子様で……。
以前投稿した『冒険者ギルドで働いてたら親切な先輩に恋しちゃいました』の長編バージョンです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる
クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。

親友と同時に死んで異世界転生したけど立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話
gina
BL
親友と同時に死んで異世界転生したけど、
立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話です。
タイトルそのままですみません。

女神の間違いで落とされた、乙女ゲームの世界でオレは愛を手に入れる。
にのまえ
BL
バイト帰り、事故現場の近くを通ったオレは見知らぬ場所と女神に出会った。その女神は間違いだと気付かずオレを異世界へと落とす。
オレが落ちた異世界は、改変された獣人の世界が主体の乙女ゲーム。
獣人?
ウサギ族?
性別がオメガ?
訳のわからない異世界。
いきなり森に落とされ、さまよった。
はじめは、こんな世界に落としやがって! と女神を恨んでいたが。
この異世界でオレは。
熊クマ食堂のシンギとマヤ。
調合屋のサロンナばあさん。
公爵令嬢で、この世界に転生したロッサお嬢。
運命の番、フォルテに出会えた。
お読みいただきありがとうございます。
タイトル変更いたしまして。
改稿した物語に変更いたしました。
平凡な俺が双子美形御曹司に溺愛されてます
ふくやまぴーす
BL
旧題:平凡な俺が双子美形御曹司に溺愛されてます〜利害一致の契約結婚じゃなかったの?〜
名前も見た目もザ・平凡な19歳佐藤翔はある日突然初対面の美形双子御曹司に「自分たちを助けると思って結婚して欲しい」と頼まれる。
愛のない形だけの結婚だと高を括ってOKしたら思ってたのと違う展開に…
「二人は別に俺のこと好きじゃないですよねっ?なんでいきなりこんなこと……!」
美形双子御曹司×健気、お人好し、ちょっぴり貧乏な愛され主人公のラブコメBLです。
🐶2024.2.15 アンダルシュノベルズ様より書籍発売🐶
応援していただいたみなさまのおかげです。
本当にありがとうございました!

転生したら魔王の息子だった。しかも出来損ないの方の…
月乃
BL
あぁ、やっとあの地獄から抜け出せた…
転生したと気づいてそう思った。
今世は周りの人も優しく友達もできた。
それもこれも弟があの日動いてくれたからだ。
前世と違ってとても優しく、俺のことを大切にしてくれる弟。
前世と違って…?いいや、前世はひとりぼっちだった。仲良くなれたと思ったらいつの間にかいなくなってしまった。俺に近づいたら消える、そんな噂がたって近づいてくる人は誰もいなかった。
しかも、両親は高校生の頃に亡くなっていた。
俺はこの幸せをなくならせたくない。
そう思っていた…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる