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塔3

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 階段の終わりには扉があった。それを押すと、音もなく開く。
 眩しい光が溢れて、風真ふうまは目を細めた。

「ここが、連れて来たかった場所だ」

 目が明るさに慣れると、そこは円形の広い空間だった。白い壁。白い床。正面には空が広がっている。

「えっ、ガラスっ? 外から見た時はなかったよな? あ、これって入り口の反対側?」

 白い壁の中央に、両手を広げた大きさの、どう見ても窓がある。

「入り口と同じ方角だ。この部分は、片側から透けて見える希少な石で造られている」
「すごっ、マジックミラーみたいっ。あ、マジックミラーは外が鏡か」

 異世界すごいとはしゃぐ風真に、アールは愛しげに目を細めた。

「触ってもいい?」
「ああ。これも石だ。割れたりはしない」

 そう言いながらも、窓に触れる風真の腰に腕を回し、しっかりと掴まえる。感覚的に風真が落ちそうで心配。隣でそんな顔をするアールに、落ちないよ、と笑った。


「階段そんなにしんどくなかったのに、けっこう高いんだな。街が見えるし、いい景色~」

 大きな窓から、城壁と街が見える。日本とは違う石造りの建物が並ぶ景色は、ミニチュアのようで可愛かった。

「この景色で、先程の事は許されるか?」
「さっき? あっ、あれ、もう許してるって」

 俺も頭突きしたし、と明るく言う。

「ほんとはこれを見せたいと思ってくれてたんだよな。すごい嬉しいよ」

 ここが目的地で、塔の隠し通路を教えたかったのも本当で、えっちな展開になってしまったのは予想外の出来事だ。アールは何も悪くない。

「見せたかったのは、この後だ」
「後?」

 首を傾げていると、空が徐々に朱く染まり始める。間に合った、とアールは安堵の声を零した。

「わあ、綺麗……」

 茜色の空が溶けるように街中を染め、幻想的な風景に変わる。自然と感嘆の溜め息が零れ、視線はそこから逸らせなくなった。


「一緒に夕焼けを見られたな」

 目を輝かせる風真に、アールはそっと目を細めた。

「約束していた場所ではないが、ここは……私が幼い頃から、良く訪れていた場所だ。いつかお前を連れて来たいと思っていた」

 アールも窓に触れる。

「ここは静かで、煩わしいものは何もない。あの頃はそれが訪れる理由だと思っていた。だが今思えば、この景色も気に入っていたのだろうな」

 アールの表情は、懐かしむように穏やかだ。
 横暴で冷酷な王太子と恐れられていた頃も、アールの本質は変わらなかった。素直で優しくて、それがただ隠されてしまっていただけだと、風真には思えた。

「アールにとって、大事な場所なんだな。俺もここが好きになったよ。連れてきてくれて、ありがとな」

 心から嬉しそうに笑う。アールは眩しげに目を細め、吸い寄せられるように風真の額にキスをした。
 肩を抱き寄せられ、風真は慣れない体勢と甘い雰囲気にソワソワしてしまう。それでも、不思議と離れようとは思わなかった。


 空が徐々に紫に染まり、星が見え始める。
 この空の先が元の世界に繋がっていればと、感傷的になった事を思い出す。今もその気持ちがなくなったわけではない。
 それでも、神子で良かったという気持ちが、アールたちの優しさが、心を癒してくれる。

 神子で良かった。

 それなら、神子じゃなくなったら?

 またふと、余計な考えが浮かんだ。
 神子だからこの場所にいられる。優しくして貰える。それなら……。

「……俺に、神子の力がなくなったら」

 ぽつりと、音になって零れ落ちた。

「っ、なんてなっ」

 声にした事に気付き、慌てて笑ってみせる。この後、何を言えば誤魔化せるだろう。戸惑っている間に、アールが先に口を開いた。

「そんな事を気にしていたのか」
「へ……?」
「もしそうなれば、そうだな……騎士団をもう一、二部隊増やすか」
「んん?」

 騎士団? と首を傾げた。

「神子の力がないとなれば国の防衛としては痛手だが、元は自国の護りは自国で行うものだ。神子に頼りきっている現状の方に疑問を感じるべきだった」
「えっ、俺は頼ってほしいよっ?」
「分かっている。だが、騎士団への志願者は多いと聞いている。この機会にひとまず騎士の数を増やす方向で検討しよう」
「……俺、もういらない?」
「言い方が悪かったか……。第二、第三部隊の人員を増やす。どこかの神子が遠隔討伐などで邪気を溜め込まないようにな」
「どこかの神子って、誰だろ」

 身に覚えがあるな、と苦笑した。

「神子に命を救われた者は多い。力がなくなろうと、責める者もここから追い出そうとする者もいない」

 風真の髪を撫で、頬に触れる。


「私個人の感情としては、ユアンや騎士共にお前を取られる事もなく、心が穏やかでいられると思っている。お前がお前なら、肩書きなど気にはしない」
「アール……」
「……いや、私の伴侶という肩書きには固執するが」
「んんっ……」

 真顔で言われ、風真は呻いた。

「これもどうせ不安になるだろうが、お前が子を成せずとも、世継ぎに関しては考えがある。何も憂う事はない。安心して私を選べ」
「考え、って……」
「今はまだ、秘密だ」

 ふ、と悪戯っぽく笑う。

(わ……綺麗、だな……)

 初めての笑い方。朱い陽に照らされた金の髪が透けて、この世の者ではないほど美しくて目を奪われる。

「綺麗だ、フウマ」
「っ……」
「天に輝く太陽だけでなく、沈む陽もお前に似ている」

 あまりに綺麗な表情で、そんな事を言った。
 両手で風真の頬を包み、愛しげに見つめる。

「会えない時間が、寂しい」
「っ……」

 どく、と心臓が鳴った。
 寂しいと、アールの口から紡がれた。沈む陽を、朝に太陽が昇るまでを、会えない時間に例える。こんな高度な技をどこで覚えたのだろう。
 専門書か、とそこまでを一瞬で考え、風真の顔は赤くなっていく。

 夕焼けのせいだと言い訳したくても、唇は動いてくれない。朱を映す瞳に真っ直ぐに見つめられ、目を逸らす事も出来なかった。





「……結局、あんまり景色見れてない」

 アールの顔の方が記憶に残っている。
 あの後、気付けば暗い空に星が幾つも輝いていた。今度は約束していた場所で、とアールが額にキスをして、一緒に階段へと向かった。
 夕食も王宮の方でとったのだが、味もいまいち覚えていない。

「いや、あれは動揺するって……」

 風呂から上がってようやく落ち着き、深く息を吐いた。
 あの景色とあの笑顔と、あの言葉のコンボは効いた。

(あんなの溺愛系小説の王子様みたいじゃん、……ここもそうだった)

 ジャンルが違うだけで、アールは溺愛エンドだ。エンドを迎えていないが、溺愛が過ぎる。
 ベッドに横になり、はー……と息を吐いたところでノックの音がした。


「神子様。アール殿下からの贈り物をお持ちしてよろしいでしょうか」
「え、あ、お願いします」

 てっきりアールかと思った。苦笑しながら、ベッドを下りる。
 贈り物とは、貸して欲しいとお願いした肖像画だろう。朝ではなくこんな時間に届けるのは、先程の事を忘れないようにという事だろうか。

 扉を開けると、使用人が運んだ荷物を護衛が室内に入れる。綺麗にリボンの掛けられた、大量の箱だった。

「めちゃくちゃプレゼント貰った人みたいになってる!」
「そうですね」
「これは違うんですっ、いえ、違わないんですけどっ」

 風真は慌てるが、アールが大量の贈り物をしたところで護衛は驚かない。それだけのものをこの目で見てきたのだ。

「開封も致しましょうか」
「……いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

 開けたらアールの幼少期の肖像画ばかり。それはいくら口の堅い護衛にも見せられない。

「御用の際はお呼びください」

 護衛はそう言ってパタリと扉を閉めた。その淡々としたところに救われる。
 風真は一度深呼吸をしてから、一番小さな箱を開けた。


(んあ~、やっぱり天使だ~)

 赤ん坊の頃のアールだ。聖母に抱かれた天使がここにいる。
 持ち合わせていないはずの母性を盛大に擽られながら、しばらく見つめて、次の箱を開けた。また次の箱、と開けながら、一枚ずつ眺めて癒される。
 アールの寝室の棚にあった六枚以外にも、幼い頃のアールの肖像画が数枚贈られていた。控えめに言っても全て天使だ。

「いやいや、大人のアールもいるけど?」

 腰までの高さがある一番大きな箱には、王太子として正装をしたアールの絵が入っていた。

「これをどんな感情でどこに飾れば……」

 街で買った壁飾りの隣は、ベッドから起き上がった時に見える。寝ている姿を見守られてしまう。
 その横の壁は、入り口から見える。これは一番いけない。
 その横は……ベッドの隣で、バスルームの扉の横だ。トイレの隣でもある。王太子を飾るには申し訳ないが、ここしかないなと頷いた。残る壁は、ソファから常に見えてしまうから。

 だが壁に飾る為の道具がない。飾るのは明日にしようと、ソファの上にそっと立て掛けた。隣に座っているようで変な感じだが、王子を下に置くのは申し訳ない気がした。


「……王様になるんだよな」

 ソファに座りちらりと隣を見ると、肩章や勲章の付いた白い服を着たアールがいる。腰には細身の剣を帯び、前髪を上げ、鋭い瞳でこちらを見据えている。もう、充分すぎるほどに王の風格だ。

「こんな天使が、王様に……」

 テーブルの上に並べた肖像画と見比べる。王妃の腕の中でころころぷにぷにしている幼児が、堂々とした王太子になり、次は王様に。

「王様、か……」

 もし、アールを選んだら。
 もし、アールの子を産めたら。
 その子も同じように成長して、王になるのだろう。

(……知能だけはアールに似て欲しい)

 体力と社交性なら自信がある。だが、頭だけは自分に似ないで欲しい。それは、誰との子だとしてもだ。

(アールもユアンさんも、トキさんも頭いいじゃん……)

 どうか頭だけは彼らに似て欲しい。ソファの背に体重を預け、天井を見つめていた視線は、とろりと暗闇に溶けていった。

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