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アールの噂

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 寝室の扉を開け廊下に出ると、護衛が驚いた顔をする。しっかり護っていたはずの扉の中に、入った覚えのない主がいたのだ。
 気付かない間に居眠りでもしてしまったのか。護衛は顔を青くして震える。

 風真ふうまは咄嗟に「神子の力でこの部屋に飛ばされてしまって……」と口から出任せを言った。するとアールが「この事は口外せぬよう」と重々しい声を出す。
 護衛はビシッと敬礼し、風真は胸を撫で下ろした。いくらあるだろうと思われていようと、本当に秘密の通路がここにある事を知られる訳にはいかない。


 秘密は無事守られた。廊下を歩きながら、ふう、と息を吐く。

「あれ? アールが嘘ついた?」
「私たちを見た事を口外するなと言っただけだ」
「あ、そういう。頭いいな~」

 口から出任せを言ったのは風真で、アールは否定も肯定もしていない。

「ユアンやトキと頻繁に話すようになってから、使を学んでいる」
「なるほど。色々と上手だもんなぁ」

 よく口車に乗せられている風真は、苦笑しながらしみじみと頷いた。
 嘘を卑怯な事だと思っている節のあるアールが、妥協と上手い抜け道を覚えた。これはますます最強の王様になりそうだ。

 将来が楽しみだ、と横目でアールを見ながら歩いていると、遠くからアールを見つけた立派な髭の男性が、紙の束を抱えて走ってきた。


「殿下っ、恐れながら……少々お時間宜しいでしょうかっ」

 今日は神子の案内だと聞かされていたのか、隣にいる風真を見るなり「神子様、申し訳ございませんっ」と深く頭を下げる。
 この慌てよう、神子といる時に話しかけてくる度胸、相当重要な内容だろうと、アールは溜め息をついた。

「神子、少し待っていてくれ」
「うん。いってらっしゃい」

 風真から言い出す前に、アールが同じ事を言う。成長したアールをにこにこと見つめていると、髭の男性は涙目で風真を見つめ、また頭を下げた。
 アールが廊下の角へと視線を向けると、護衛が姿を現す。護衛はこの時間にここで待っていろと伝えられていた。

「あっ、毎度ご迷惑をおかけします」
「いえ、仕事ですので」

 いつもの会話。いつものコミュニケーション。
 護衛を見上げると、護衛も風真を見る。護衛が風真を近くのソファに座らせるのを見届けて、アールは少し離れた場所にある部屋へと入って行った。


「王宮の廊下って、真っ直ぐで長いですね」
「はい」
「あのシャンデリア、何で出来てるんでしょう?」
「……硝子です」

 護衛は上を見上げ、律儀に答える。

「キラキラして綺麗ですね~。ガラス以外のシャンデリアもあるんですか?」
「王宮内に、宝石のみで作られた物がございます」
「それは……すごいです」
「小国が買える程の値が付くそうです」
「すっ、すごっ……さすが王宮ですね……」
「殿下に仰られれば、神子様でしたらご覧いただけるかと」
「……見るのも恐れ多いので、心の準備が出来たらお願いしたいと思います」

 小国が買えるシャンデリア。物に対しても震える風真に、護衛は目を瞬かせる。常々思っていたが、王族と同等の地位があるというのに、控えめで変わった神子だ。

 傍に立ち見下ろす護衛の視線に気付き、風真はへらりと笑う。たかが護衛にもこのような笑顔を向けるなどやはり変わっている、と思いながらも、アールが心を開いた理由が分かる気がした。


 そこでアールの入った部屋から、数人の男性が出てくる。

「殿下はお人が変わられて……」
「以前ならば、氷のような視線で一蹴されていたでしょう」
「神子様のお力は素晴らしいですな」
「ご婚約者様でも成し得なかった事を、このように短期間で」

 護衛の陰になり、風真がいる事には気付いていない。

「ご婚約者様は、お美しく聡明なお方でしたがねぇ」

 この流れ、公爵令嬢を悪く言うのでは。風真はムッとして彼らのいる方向を睨む。
 だが。

「もしやとは思っておりましたが……殿下は、男性がお好みだったのですかな……?」
「そうやもしれませんな。ご婚約者様は気性はお強いですが、それすらも気にならないほどにお美しい。それで靡かないのでしたら……」
「何より、男性の神子様に求愛されているそうですし……」

(予想外の方向に誤解されてる!?)

 ボソボソした話し声も、風真の耳にはしっかりと届いた。バッと立ち上がり、護衛の陰から姿を現す。

「あのっ……、……初めまして、神子です。申し訳ありませんが、お話が聞こえてしまい……」
「は……、神子様っ!?」

 神子らしくしなければと勢いを抑え、両手の指を腹の前で緩く組む。


「一つ訂正させていただきたい事が……。アール殿下は男性がお好きということではなく、恋愛に……いえ、誰かと仲良くすること自体に、全く興味がなかっただけなんです」

 ゆったりとした口調で、誤解を訂正する。

「噂が届いているようですが、お……私は神子なので、男女の基準には当てはまらないのかと……」

 わざと困ったように笑い、ケイのような儚さを演じる。

 アールは、この世の美を集めて創られたように美しい。服を着れば細身にも見える。だから風真は、懸念しているのだ。
 男性が好きだと噂されれば、血迷ってアールを襲う輩が現れるかもしれない。実際、アールを押し倒して見下ろすのは気分が良かった。自分でさえそう感じたのだ。
 いくらアールでもきっと、薬を盛られれば逃げられない。アールの身を守る為にも、これだけは誤解されてはならなかった。

(アールは俺が守るっ)

「きっと殿下のお耳に入ると、とても怒ってしまわれる内容ではと……」

 みなさんが怒られないか心配、と神子らしく皆を心配するように眉を下げてみせる。

「っ……、申し訳ございませんでしたっ!」
「つい出来心であのような戯れ言をっ……」
「神子様っ、何卒っ……何卒この事は、殿下にはっ……」
「ええ、勿論です。誰にも言いません。こちらこそ余計なことを言ってすみません。これからも殿下の事を、よろしくお願いいたしますね」

 脳裏をよぎった聖女の口調と微笑み。うっかり真似してしまい、それが風真の予想外に、彼らの目には神々しく映ってしまった。
 胸に手を当て深く礼をする彼らに、風真は内心ではビクつきながらも笑顔で「お顔を上げてください」などと口にしていた。

(聖女のイメトレが完璧すぎる俺……)

 読んでいた時は、そんなつもりはなかった。視点は聖女ではなく、その光景を眺めるモブか壁だった。それなのに。

(権力者の立場に慣れていくのが恐ろしい……)

 彼らは国の重鎮か何かだろう。その彼らの前で、堂々と聖女を……いや、神子を演じてしまった。
 に感動しながらもう一度礼をして離れて行く彼らの背を見送ってから、ぽすっとソファに沈む。


「あー……申し訳ない……」
「神子様が謝罪される事はございませんでしたが」
「いえ……訂正できて良かったですけど、知らないふり出来なくて怖がらせたのと……神子様を演じて、騙したので……」

 周囲に誰もいない事を確認してから、風真は苦笑した。だが護衛は訝しげな顔をする。

「あのような無礼な言動、王族に対する不敬罪で処罰されても当然でした。見過ごすなど不要です。神子様がご判断されて行動を変えられようとも、全て神子様のお言葉に変わりありません」

 罪悪感を抱く理由が分からず、護衛は淡々と返した。

「寛大なご処置と、最善のご対応でした」

 普段あまり喋らない護衛が、ここまで言ってくれる。罪悪感など抱く必要はないと。

「ありがとうございます。そう言って貰えてホッとしました」

 安堵と嬉しさで満面の笑みになる。それを向けられた護衛は「仕事ですので」とぶっきらぼうに返した。

(あ、今のは照れたのかな?)

 いつもの口癖とは違う。それに視線を逸らされた。礼を言われると照れるのかもと思うと、距離が縮まったようで嬉しくなった。

 その後は思いつくままに話しかけ、護衛はそれに淡々と答えるいつもの心地よい時間が続いた。



「すまない、遅くなった」
「あ、おかえり~。もう大丈夫なの?」
「ああ」

 おとなしく待っていた風真が愛しく見えて、そっと頭を撫でる。

「何もなかったか?」
「うん、ないよ」
「何か変わった事は」
「ございませんでした」

 護衛は淡々と答える。
 令嬢に嫌味を言われた時とは違い、今はなかった。ただ神子が、いつものように下々の者に気さくに声をかけ、慈悲を与えただけだ。

「……ならば神子は何故、お前を見て嬉しそうな顔をしている?」
「え、してないよ?」
「今は此奴に訊いている」
「恐れながら。王宮の廊下の長さやシャンデリアの素材をお答えしたところ、このように恐れ多いご尊顔を」
「神子。誰彼構わず愛想を振り蒔くな」
「普通に話してただけですけど!?」

 呆れた顔をされ、ワッと文句を言う。

「お前の普通は普通ではない。これ以上周囲を惚れさせるな」
「させてないしっ、てかそんなの言われても護衛さんが困るだろっ」
「困るか?」
「恐れながら、仕事の領分を越える感情を求められましても」
「ほらっ、護衛さんは完璧な護衛さんなんだよっ」

 仕事ですので、がその証拠だ。困らせるなと風真がムッとすると、アールは驚いたように風真と護衛を交互に見遣った。

「このような神子に惚れないとは……」
「アール、人の好みはそれぞれなんだよ……」

 もうそう言うしかない。
 元々はユアンも風真を好みじゃないと暗に言っていた。第一部隊の騎士たちも子供のように可愛がってくれるが、惚れることなどない。
 この世界で風真は、正しい評価を得ていると思う。今現在の、使いの三人以外には。


「よし、次行こ」

 風真は立ち上がり、アールの腕を掴んだ。

 ……後に、心正しく勇気もあり慈悲深く寛大な神子様、という噂がアールの耳に入り、何をしたのかと問い詰められる事を、風真はまだ知らない。

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