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道の話
しおりを挟むその手は一度離れ、今度は髪を撫で始める。
「先程の道の話だが、最後に白い扉のある空間に出ただろう?」
「え? うん」
「あの壁には、他に二つの扉がある」
「そうなのっ?」
「父と母の部屋に続いている。本人たち以外は開けられない扉だ。ここへの扉も同じだが、神子なら全ての扉を開けられる」
「……間違えて王妃様の部屋に行っちゃったら、大変なことに……」
「心配するのはそんな事か」
「大事なことだろ。女性の部屋だぞ?」
それも着替え中に遭遇などしては、腹を切って詫びるしかない。
「お前なら子犬が迷い込んだと思うだろう」
「無理がある!」
「良く吠える犬だ」
「ワンワンッ!!」
噛みつくぞ、と怒った顔をするが、両手で頬を掴まれ撫で回された。
「王太子以外の王族には、別の道がある。お前がそこへ迷い込む事がなくて安堵している」
「俺もそうだよ……」
ロイなら話せば分かってくれそうだが、突然神子が自室に現れるなど、セキュリティ上とてもよろしくない。
「私と両親の部屋から外までの通路は、共通だ。あまり地下を掘っては、上が崩れるからな」
今の状態なら決して崩れないと、風真を安心させた。
「そこから先は、神子の使いしか知らない。神官であるトキだけが、神から道順を教わった。それを私とユアンが覚えた」
「ユアンさんも覚えたのっ?」
「勉強は苦手なところもあるが、記憶力は良い。行きと帰りで全て覚えたそうだ」
「すご……天才しかいない……」
「私の方が天才だ」
張り合ってくるアールが可愛く見えて、そうだな、とくすくすと笑った。
「ここから外の扉までは、覚えるための歌がある。神子に教えて貰えるよう、母に頼んでおこう」
「えっ、いいのっ? 恐れ多いけどめちゃくちゃありがたいっ」
元の世界でも、歌になれば歌詞はすんなり覚えられていた。風真は両手を合わせてアールを拝んだ。
「あ。アールが歌って教えてくれたりは」
「私は歌が苦手だ」
「へ? まじで? 声いいのに」
低すぎず高すぎず、涼しげで気品のある声だ。怒ると人を震わせる恐ろしさがあるが、普段はとても心地よい。
不意打ちで声が良いと褒められ、アールはパッと目元を赤くして顔を逸らす。
「声と歌は別物だ。歌うという行為自体が好きではない」
「そっか。好きじゃないなら仕方ないよな」
そういう理由なら、無理に歌って欲しいとは言わない。
「てか、なんか、アールがバラードとか歌ったら世界中の人が惚れて大変なことになりそう」
元の世界なら、友人がふざけてアップした動画が大変なバズり方をして、一気に世界中に拡散されて文字通り世界が惚れるという。
それが実は世界有数の大企業の御曹司だった、というようなストーリーを完成させる男が今、目の前にいる。とんでもない世界だ。
「バラードとは、恋歌か?」
「うん、そうだよ」
「……歌えば、お前も惚れるか?」
「は……」
しまった、と風真は固まった。アールは、風真に選ばれる為なら何でもしようとするのだ。
サークルや合コンのカラオケであからさまなアピールをする男は痛いと言われるが、アールのこの顔面と声では、本人ではなく聞いた者たちの心臓を痛める。
例えこの状況で突然歌い出す展開になっても、雰囲気を無理矢理作り出すだけの強さがあった。
「えっと、俺にバラードは刺激が強くて、惚れるどころじゃないかな」
「そうか。ならば、何なら良い?」
「……………………子守歌、とか?」
一番穏やかなやつ、と考えて出てきたのがそれだった。
「練習しておこう」
アールは小さく吹き出し、子供にするように風真の頭を撫でた。
「だが、道順の歌は母から教わってくれ」
「うん……」
子守歌と言った事が恥ずかしくなり、アールに頭を撫でられるのは嫌いではなくて、複雑な気持ちで俯く。
確かにアールの声で教えられても、覚えるどころではなくなりそうだ。
「ん……? 外までの道は、人の手で掘ったんだよな?」
「そうだが?」
「じゃあ、そこから離れまでの道は、誰が作ったの?」
作り手がいるなら、道順をトキだけが神から教わったというのもおかしい。
「神だろうな」
「神様?」
「使いが選ばれるまでは、地下通路にあの道はなかった。離れの入り口も、ただの壁だった」
「え……完全に神様じゃん」
ファンタジーを感じた。
「ああ。あれを見た時に、神は本当にいるのだと目の前に突きつけられたようで、……落胆した」
過去の事だが、と苦く笑う。
「神託の前にある日突然、自分は神子の使いだと知らされる感覚があった。声ではなく、自覚と確信が無理矢理植え付けられるように。最初は、私が誰かの使いという事実が受け入れられなかった」
少年だった頃の肖像画を眺め、そっと目を細めた。
「だが、召喚には王族である私の血が必要だった。私の血を媒介にして呼び出した神子は、私の眷属のようなものだ。私の道具として使ってやろうと、そう思う事で、この役目を受け入れる事が出来た」
それがまさか、こんなにも愛しい存在になるとは思わなかった。あの頃の自分に教えても、決して信じないだろう。
穏やかな顔をするアールの横顔を見つめ、気持ちは風真にも伝わった。だが。
(眷属……血で呼び出す……)
違うところで、風真の記憶が刺激される。
床に謎の魔法陣。ローブを着た神官。媒介にするものは、血。
(悪魔を呼び出す儀式じゃないよな……?)
ポンッと現れた映像は、映画で見た悪魔召喚の儀式だった。
だが、この国に住んでいるのは人間。街には世界中から人や物が集まり、賑やかだった。それはこの世界が平和で、この国が良い国だという証拠。
そもそも、魔物を倒す為に悪魔を召喚するはずがない。呼び出すなら、善い属性のものだ。
(今更疑うまでもないよ)
恐ろしい魔物に囲まれた勇者に、私の眷属を倒せるとでも? と言う魔王の絵が思い出され、これのせいかと苦笑した。
「どうした?」
「あ、ごめん、ちゃんと聞いてたよ? なんかちょっと、俺ってちゃんと神子として召喚されたんだなって、改めて思って」
「……今はもう、魔物を倒すための道具だなどとは」
「うん、それは分かってるよ。あの頃が懐かしいくらい、すごい大事にして貰ってるし」
ニッと笑った。
「これも今更だけどさ、アールが俺を神子として認めてくれて、嬉しいよ。ありがとな」
柔らかくなった青の瞳を見つめ、太陽のような笑みを浮かべる。その瞳がどこか驚いたように、風真を映して。
「へ……?」
唇の端に、暖かいものが触れた。
「……危なかった」
風真の肩に、トン、とアールの頭が乗せられる。
「このような時に、口付けたいと思うのだな」
「は……ぇ……?」
「胸がいっぱいになるとは、こういう感情か」
専門書で読んだ、と呟き風真を抱きしめた。
(で……デレが、すごい……)
カァ、と顔が熱くなる。
特に胸をいっぱいにさせるような事を言った覚えはない。この場所か。この場所がそうさせるのか。風真は視線を彷徨わせた。
幼い頃からの思い出が詰まっているこの部屋は、アールの感情をいつもより揺さぶってしまうのかもしれない。
「あ、あの、そろそろ次のとこに……」
そっとアールの服を引っ張ると、そうだな、と名残惜しそうに離れて行く。
だが顔を真っ赤にしている風真を見ると、寂しげな顔がすぐに嬉しそうなものに変わった。
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