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ユアンとお勉強
しおりを挟む離れの図書室へと入り、神子専用スペースに風真を座らせたユアンは、上機嫌で椅子を側に置いた。
「そういえば、王宮の勉強をしてたのは本当?」
「え、いえ、その……」
「王宮についてお勉強しましょうか、ってトキに言われたのかな」
「……その通りです。でも、本より実際に見た方が早く覚えられるのは本当でした。貴族社会の体験も出来ましたし」
「君は、どんな時でも前向きだね」
「それが俺のいいとこだって姉ちゃ……姉にも言われました」
にこにこと笑う。
「君をこんなにも素直で純粋で元気な、とても良い子に育ててくださって……神子君のお姉さんは、素晴らしい人なんだね」
「っ……、はいっ、自慢の姉ちゃんですっ」
暖かな瞳で見つめられ、風真は太陽のような笑みを見せた。
姉を褒められると、自分が褒められる以上に嬉しい。それも、大事なユアンが褒めてくれるのだ。顔が緩んで仕方なかった。
(姉ちゃんのことも、ユアンさんのことも、自慢したかったなぁ)
風真は視線を落としかけ、すぐに上げる。
「姉ちゃんが心配しないように、俺はここで元気に生きてくって決めたんです。そのためにも、あまり得意じゃない勉強も頑張ろうって思えて、……得意じゃない、ので……すみません、どうか俺に、勉強を教えて貰えないでしょうか……」
勉強が苦手だった事を思い出し、頭を抱えた。
アールに教えて貰った時に、自分一人では理解するまでに何倍時間が掛かっただろうと震えたのも記憶に新しい。分野にもよるが、この世界の知識に関しては、助けが欲しかった。
「君から頼られるなんて、嬉しいな。じゃあまずは、新しい家族の作り方から……と言いたいところだけど、神子君は何の勉強がしたい?」
「え……?」
「ん? 家族の作り方からにする?」
「あ、いっ、いえっ、てっきりそのまま押し倒されたりするかと……」
机に倒されるか抱きしめられて、えっちな悪戯が始まるのではと思っていただけに拍子抜けしてしまった。
「期待には応えようかな」
「いえ! してないので大丈夫です! 普通の勉強がしたいです!」
「そっか。神子君がいいなら、真面目に先生だけしようかな」
(こんな色気ある先生、姉ちゃんの好きな本にありそう……)
姉が隠し通してきた「風真には見せられない」展開が、今なら理解出来る。
「ここで体に覚えさせると、一人で勉強する時に思い出しちゃうかもしれないからね」
「!」
意地悪な笑みが浮かび、風真はびくりと跳ねた。
「それ言われたら、思い出しそうです!」
「へぇ、何を思い出すの? 俺はまだ何もしてないけど」
「~~っ! 今までに蓄積されたあれこれです!」
開き直って言い返す。
「そっか。ごめんね」
「顔がにやけてますけど」
「君の中に俺とのあれこれが蓄積されてるなんて、嬉しいなぁって」
今度は嬉しそうに微笑まれ、風真はテーブルに突っ伏した。
「勉強……勉強を……、……この国の貴族の家門と、関係性などを……」
「いいよ。社交は俺の得意分野だ」
ピンと閃いたのは、ユアンに教わるに相応しいものだった。
アールは今まで社交界に出る事も稀で、生きた交流に疎い。これを教えられるのはユアンしかいなかった。
「家同士の関係性も、王家との関係も、全て頭に入ってるよ。何より一番神子君に大事な……手の早い男の情報も、ね」
「……俺も男なんですが」
「女性相手なら、押し倒されても勝てるだけの体術を君はもう会得してるよ」
「え、あれってそういう」
「敵はアールとトキだけじゃないからね」
「どっちも敵じゃないですけど……」
「資料を持ってくるから、少し待ってて」
爽やかな笑みを残し、ユアンは本棚の間に消えて行った。
・
・
・
引き出しから紙を出し、以前勉強したものを復習していると、ユアンがブックワゴンに大量に本を載せて戻ってきた。
どれもA4サイズのハードカバーで分厚い。さすがのユアンでも、抱えれば前が見えなくなる量だった。
その中の一冊がテーブルに載せられる。開かれたページには、家の名と家紋の挿し絵が描かれていた。
隣のページには家系図だ。個人の家の事情が本に載るなんて、と思うが、歴史の資料集にも偉い人のものは載っていたなと思い出す。
「まず覚えて欲しいのは、この家だよ」
「ミュラー公爵家? って……ユアンさんの家ですかっ?」
内容をざっと読み、驚きに声を上げる。
「え、待って、公爵家の中でも一番強いって……」
古い家柄で、財力も他の家とは比べものにならない。所有する領地も広く上手く治められている為、この国は勿論、世界でも有数の豊かな領だ。
(ユアンさん、思ってた以上にすごかった……)
「見て欲しいのはここだよ。ここから……ここまでは、近付かないようにね?」
「ユアンさん以外全員なんですけど」
家系図の上をスーッとなぞり、自分以外を示した。
「この本は部屋に持ち帰って、しっかり顔を覚えてね」
「え、あの」
「俺と結婚してからも、全く関わりのない人たちだから」
「でも……ユアンさん、お家を継ぐんじゃないんですか?」
家系図を見れば、ユアンは正妻の子で長男だ。この世界は基本的には長男が家を継ぐ。ユアンほどの人物なら、現公爵が継がせないという選択をする事はないだろう。
ジッと見つめる風真に、ユアンは困ったように笑う。
「後から知って誤解されないように、教えておこうかな。今は俺が後継者だけど、弟に譲れるように手を回してるところだよ」
「えっ、なんでですか?」
「俺はあの家が好きじゃないし、神子君の家族にも相応しくないからね。それに当主よりも、騎士の仕事をずっと続けていたいから。その話を弟にしたら、継承権を放棄したら教えてくれと快諾されたよ」
弟は、互いに干渉しない、興味も薄いあの家が居心地が良いらしい。家の名に泥を塗らなければ、何をしようと構わないからだ。
「じゃあユアンさんは、地位的にはどうなるんですか?」
「公爵家を継がない俺は、嫌?」
「嫌じゃないですよ。ユアンさんはユアンさんですし。ただ、貴族社会の構図? 構造? が俺にはよく分からなくて」
後継者以外の子がどういう地位になるのか、爵位は与えられるのか、令嬢側の話しか読んでこなかった風真には分からなかった。
地位など気にしないと即答する風真に、「君ならそう言ってくれると思った」と嬉しそうに目を細めた。
「貴族の子供は実力や功績によって、何らかの爵位を与えられるんだ。俺は騎士としての功績があるから、陛下から伯爵位は与えて貰えるかな」
「んっ、やっぱり偉い人だっ」
「神子君の方が偉い人だけどね」
「へ? あ、そっか、王族と同じでしたね」
忘れがちになるが、現時点でユアンよりも上だった。
「神子自体がそうだけど、神子君はアールの血を媒介にして召喚されたから、地位はもっと上。アールの兄弟みたいなものだね」
「兄弟っ……更に地位が上がってしまいました……」
「そうなんだよね。だから君が結婚した相手は、王子の親族という扱いで、公爵位が与えられるんだ。特例だから爵位のみで、土地は与えられないけどね」
「えっ、じゃあ、平民の人もですか?」
「そうだよ。君は常に護衛が必要で、平民にはなれないから」
平民になろうとしてもなれない。以前にトキが、平民出身の騎士と結婚するのも気が楽かもしれないと言っていたが、二人きりの時か里帰りの時以外は今と変わらなかった。
「誤解して欲しくないのは、この部分。君と結婚したいのは、家を出ても爵位を保つ為じゃないからね。君を愛してるから家族になりたいんだ」
真っ直ぐに黒の瞳を見つめる。そんなユアンに、風真はすぐにニッと笑った。
「これだけ溺愛されてるのに、誤解なんて出来ませんよ」
「そっか……。神子君には、俺の想いはちきんと伝わってたんだね」
ユアンは嬉しそうに頬を緩めた。
「俺は、もし君に選ばれなくても、爵位が与えられなくても、君の傍にいられて、騎士として生きられたらそれで充分なんだ」
風真の頬を撫で、愛しげに見つめる。
家柄も、容姿も良く、地位もあり、剣の腕もある。全てが願う前に与えられていた。本気になる事もなく生きてきたつまらない人生が、風真に出逢って初めて楽しいと思えた。
暖かい家庭など、望みもしなかったというのに……今は、喉から手が出るほど欲しかった。
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