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公爵令嬢2
しおりを挟む「殿下は今、どのようなお顔をされていますか?」
代わりに返ったのは、変わらず淡々とした言葉だった。
令嬢の望む通りに顔を上げる。どんな顔をしているかなど、アール自身にも分からない。
新緑の瞳がアールを見据える。王太子妃となるべく育てられた令嬢は、凛として背筋を伸ばし、眉一つ動かさなかった。
「私がどれほど傷付いたか、殿下がどれほど愚かな事をなさったのか、ようやく理解されたのですね?」
「……ああ」
資質というものは、天性のもの。令嬢の有無を言わせぬ圧に、アールは初めて彼女を恐ろしいと感じた。見つめ返す事も出来ず、視線を伏せる。
「その結果、あなたの評判は急落し、私とロイ様は世紀の大恋愛として本にもなったのですが」
声色が変わり、咄嗟にアールが顔を上げると、令嬢はにっこりと優雅な笑みを浮かべた。
「ロイ様に婚約者を取られたのではなく、自ら破棄をしたという大義名分が欲しかったのでしょう。ですがそれは、高位の貴族令嬢と家門に恥をかかせる行為です。家門によってはあなたを王太子の座から下ろし、ロイ様を王に据える事を企てる良いきっかけになっておりましたね。我が家門はそのような考えは全くございませんでしたが、事によっては、狭量で横暴な王太子として臣下の信頼を失い、王となっても数年後には王位を剥奪されておりましたよ」
「……令嬢の言う通りだ」
滔々と語られる言葉。アールは唖然として、だがすぐに、そっと笑みを浮かべた。
「夜会で破棄を宣言した理由が、王太子としての威厳を保つ為ではなく、弟君に負けたくなかったからなど……まるで幼子のようですね、アール様」
「まったくその通りだ」
「冷静なようで、いつも感情に流されるのですから」
「そうだな。令嬢の言葉の意味が、ようやく分かるようになった」
「それはよろしゅうございました」
令嬢もそっと目を細めた。
「以前にも増して、流れるような小言だな」
「以前は思うことの半分も口にしておりませんでしたので」
「そうか。あれで半分か」
「そうです。半分以下です」
以前はこんな事を言えば、激昂したアールによって、何かしらの処罰を受けていただろう。婚約者だとしても容赦はなかった。
だが今は、不敬罪に問われても仕方ない言葉を並べても、苦笑するだけ。初めて見る、穏やかな表情で。
「アール様は、変わられましたね。昔の面影がすっかり見当たらないほどです」
「ああ、私もそう思う」
「私には成せなかった事……あなたをこんなにも変えてしまわれた神子様には、少々嫉妬してしまいますが……。神子様は、優しそうなお方でしたもの。きっと私とは違い、包み込むような慈愛に満ちたお方なのでしょう」
他の御使いにも騎士たちにも、慕われていると聞いた。可愛げがないと囁かれる自分とはあまりに違う。
「慈愛、か……。令嬢のものとは確かに違うな」
アールは顎に手を当て思案する。その言葉に、令嬢は目を瞬かせた。
違う、という事は、令嬢にも慈愛を感じていたという事だ。
「神子は何もかも許してしまうが、令嬢が想像している神子より、愛嬌のある犬の方が近い」
「犬? ですか?」
「愛嬌があり、良く食べ良く遊び、良く走る、正義感の強い犬だ」
「いくら何でも、神子様を犬だなど……」
「一度茶会でもすれば分かる」
アールはそう言い切った。そっと、穏やかな微笑を浮かべて。
愛嬌のある犬。一度だけ会った神子は、元気な印象もあった。騒がしい者は嫌うアールにそんな顔をさせるほどの人物など、気にならない訳がない。
「それでは、ロイ様のご予定を伺ってからお誘い致します。アール様もご一緒してくださいますよね?」
「ああ。神子を独りにすると、何を喋り出すか分からないからな」
さらりと続く言葉が、惚気だと気付いているだろうか。令嬢はくすりと笑った。
「私に謝罪されるきっかけも、神子様だったのでしょうね」
「……ああ。神子はその資質がなければ、この世界に喚ばれる事もなかった。元の世界で、幸せなまま暮らせた。資質などいらないと、最初の頃に泣いていた神子と令嬢が重なり……」
そこでハッとする。これでは、風真の為に謝罪したように聞こえるのではないか。
だが令嬢は、優しい瞳でアールを見つめていた。
「神子様には、完敗です。……言葉が届かないことを、私の力不足を悔しく思っていましたが、いつかお心を入れ替えてくださると、いつかを期待して……、……いつかなどと考えていたから、いけなかったのでしょうね」
眉を下げ、そっと笑みを零した。
公の場で婚約破棄などという行動を取らせてしまったことを、ずっと恥じていた。
未来の王の伴侶に選ばれながら、長い時間の中でも何一つ変えられなかった。口煩く言うばかりで、頑なにさせてしまった。
……秘めた想いも、隠し通さなければならなかったのに。表情に、雰囲気に、出てしまったのだ。
それを、あまりに短い時間で変えてしまった。その事を悔しく思う気持ちより、少しだけ、感謝の気持ちが勝っていた。だからこんなにも心が穏やかなのだ。
「私はこれでも、あなたのことを大切に想っていたのです。私の苦言が今、少しでもアール様の為になっていましたら、お側で過ごした時間も無駄ではありませんでした」
悲しむ事はあっても、憎んだ事は一度もない。感情をぶつけられる事はあっても、意図的に傷付けられた事はないからだ。
ただ、感情のままに振る舞っていただけ。まるで幼子のようだったと、今は懐かしく思える。
「それに……あの時があったからこそ、ロイ様は私を壊れ物のように大切にしてくださっているのですもの。想いを告げられなかった年月の分もと毎日愛を告げてくださって、紳士的に格好良く愛してくださるロイ様は、……とても、可愛らしいです」
ほう、と令嬢は溜め息をついた。
情けない姿を見せたがらないところが、スマートでいようと頑張っている姿が、本当に可愛い。
「薄々気付いていたが、令嬢は弟と相性が良いな」
「ありがとうございます。私もそう思います」
令嬢はにっこりと笑った。
こうして話して初めて、令嬢の本当の姿を知る事が出来た。完璧な王太子妃候補の姿より、こちらの方が良い。
ただ、少しだけ、トキと同じ雰囲気を感じた。
ふと気付けば、五分などとっくに過ぎている。ユアンも待たせている。そろそろ、とアールは席を立った。
「邪魔をしたな」
「いえ。……アール様と過ごした中で、一番楽しく有意義な時間でした」
「……私も、楽しかった」
素直に言葉にすると、互いに照れくさくなり視線を逸らす。
「出口までお見送りしますね」
「ああ、すまない」
するりとそんな言葉が出て、令嬢は嬉しそうに頬を緩めた。
「ユアン。待たせたな」
「ちゃんと話せた……みたいだな」
アールの側に寄り添う令嬢に、ユアンは胸を撫で下ろす。令嬢は穏やかな笑みを浮かべ、優雅に一礼した。
扉の外まで見送りに出た令嬢に、アールは向き直る。そして。
「良い婚約式になるよう、私も手を尽くすつもりだ。弟と、……私の、幼馴染の為に」
ずっと大切だと想ってくれた。そんな、大切な幼馴染の為に。
見つめる、晴れ渡る空のように澄んだ瞳。彼に祝われる瞬間を、叶わない未来だと諦めながら、何度夢見ただろう。
令嬢は目元に涙を浮かべ、花が綻ぶように美しく微笑んだ。
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