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公爵令嬢

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「おはようございます!」

 元気に挨拶をして食堂に入り、もりもりと美味しい朝食を取って、食後のデザートに舌鼓を打つ。目をキラキラさせながら頬袋を膨らませる風真ふうまを、使用人たちは癒されながらそっと見つめた。

「勉強してきますっ」
「頑張ってね、神子君」
「はいっ、ありがとうございますっ」

 にぱっと元気に笑って、風真は食堂を後にした。

「ふふ、元気ですねぇ」
「元気だねぇ」
「一時間後に神子の元へ茶と菓子を。昼食は十二時。脳の栄養を切らさないよう、それ以降は二時間毎に摘める程度のものを。何かあれば些細な事でもすぐに報告をしろ」
「過保護ですね」
「過保護だね」

 使用人に指示を出すアールを、二人はのんびりと見つめた。だがアールが言わなければユアンが言っていた。風真は夢中になると頑張りすぎて知恵熱を出してしまうのだから。

「最近落ち込んで見えたけど、元気になって良かったよ」
「そうですねぇ」
「勉強の邪魔はしたくないし、今日はおとなしくしておくかな。アールもね」
「分かっている」

 風真のやる気に水を差したくないのはアールも同じだ。


「アール。予定が空いてるなら、元婚約者殿のところへ行こうか」
「……いつか、と言った」
「もう言いたい事は決まってるんだろ? それなら早い方がいい」

 忙しい、と言わなかった事で、空いている事を肯定してしまった。今日に限って時間の自由になる書類仕事しか入れていない。

「彼らの婚約式前に片付けておいた方がいいと思うけど?」

 ユアンの言う通りだ。関係性がどうでも王族として、王太子として、そして兄として、参加しない訳にはいかない。だが今の状態で参加しても、確実に雰囲気が悪くなる。

 以前なら、雰囲気がどうなろうと構わず、義務だからと参加していただろう。祝いの言葉も掛けず、式さえ終われば会場を後にして。
 だが、長い年月慕い続けた相手との婚約式だ。
 諦めていた想いが叶い、将来を共にする相手として、王と国、そして神に約束する大事な式。

「……そう、だな」

 大切な相手との、一生の思い出。その大切さが、今なら分かる。

「二人の式を、良いものにしたい」

 令嬢が被害者だろうと、兄が駄目なら弟と。そう悪く言う者もいるだろう。それを黙らせるのは自分の役目。その為にはまず、二人との関係を改善しなければ。そう決心し、しっかりと顔を上げた。





 アールを連れてユアンが真っ直ぐに向かったのは、王宮の室内庭園だった。
 その中央、小さなテーブルと椅子二脚が置かれた場所に、令嬢はいた。何故令嬢の居場所を、と問うまでもない。ユアンには優秀な部下がいる。

「っ……、殿下……?」

 突然現れたアールに、令嬢は目を見開く。だがすぐに立ち上がり、優雅に一礼した。

「お寛ぎのところ申し訳ありません。婚約式当日の警備について、直接お伝えしたい事がございまして」

 ユアンが仕事用の表情と仕草で告げると、アールが人払いをした。周囲に人の気配がなくなった事を確認して、ユアンはふっと緊張を緩める。

「警備には万全を期しますのでご安心ください。本日は殿下が、……アールがご令嬢にお話ししたい事があるとのことで、少々お時間をいただけないでしょうか」

 騎士としてではなく、アールの従兄弟としてこの場に来た。その立場を、令嬢はすぐに察する。それは同時に、王族の命ではないということ。

「申し訳ございません。私にはお話することは……」
「十五分、いえ、五分で済ませます」
「……ですが」
「これは、婚約式にも関わる事です。どうかお時間を」

 穏やかな表情のまま、令嬢の瞳を真っ直ぐに見据える。
 ユアンが説得するすぐ背後で、アールはどうして良いか分からないといった様子で視線を彷徨わせていた。
 長く婚約者として過ごした令嬢でも、アールが誰かの後ろに隠れている姿など見た事がない。それに、話がしたいなら呼びつけていた。こうして自ら訪ねて来るなど……。


「……五分だけ、でしたら」
「ありがとうございます」

 ユアンは柔らかな笑みを浮かべ、立ったままになっている令嬢を慣れた仕草で椅子に座らせた。

「アール。俺は入り口にいるから、何かあったら呼んでくれ」
「……ああ」
「五分だからな」
「分かっている」

 アールは頷き、一度躊躇ってから令嬢の向かい側の椅子に腰を下ろした。大丈夫か、とユアンは心配しつつ、その場を離れる。
 アールと令嬢が二人きりで会ったとなれば良からぬ噂が立つだろうと、警備の話の為にアールに同行して貰った体で、ここを訪れた。
 人払いをしたらさっさと離れるつもりだったが……覚悟を決めたアールが、まさかこんなにも尻込みするとは予想もしていなかった。

「手の掛かる弟を持った気分だな」

 入り口近くで待機しながら、そっと笑みを零した。



 二人きりになったアールは、ようやく視線を上げて令嬢を見つめる。
 緩く波打つ、柔らかな銀糸の髪。透き通るように白い肌。紅を引いた艶やかな桜色の唇。水面に映る木々のように柔らかく澄んだ緑の瞳。花々に囲まれた令嬢は、女神のように美しかった。

 彼女が美しいと、今まで気付く事もなかった。
 優しい色合いの赤い服。そんな色を、今まで着ていただろうか。
 髪は、頭上で髪飾りのように結っていただろうか。
 皿に乗せられたケーキは、クリームのないシフォン。テーブルの上に紅茶用のシュガーポットはない。
 何もかもが、知らない事。今まで彼女の事を何も見ていなかった、見ようともしなかった証拠だ。


「……私といた長い時間を、弟と過ごせていればどんなに幸せだったかと、最近よく考えるようになった」

 長い沈黙の後、アールの口から零れたのはそんな言葉だった。
 令嬢は家柄も良く、幼い頃から聡明で、未来の国母としての資質は充分過ぎるほどだった。更には王の忠臣の子。本人たちの知らないうちに、婚約は結ばれていた。

 もし、彼女に国母の資質などなければ。
 最初から、ロイの婚約者に選ばれていれば。
 自分が、想い合う二人を一緒にさせて欲しいと、父に願い出ていれば……。

「すまなかった。私が謝ったところで、時間は取り戻せない。だが、……謝罪をさせて欲しい」

 言葉を選び、彼女に届くようにと紡いだ。

「令嬢は、私を良き王とする為に苦言を呈してくれた。その気持ちを無碍にし、冷たく当たった。令嬢が弟を慕っていると気付きながら、……何年も、婚約破棄を提案しなかった」
「気付いていらしたのに、すぐに破棄をなさらなかったのは、何故でしょう?」

 令嬢の声に感情はない。淡々と問われ、アールはそっと視線を伏せた。

「……弟に、負けたくなかった」

 王となる者が、弟に負けるなど有り得なかった。王太子としての威厳と、そして、個人的な感情だ。

「それで、あのように婚約破棄宣言をなさったのですね?」
「っ、すまなかったっ……」

 アールは迷いなく頭を下げた。
 令嬢の息を呑む気配。王となる者が軽々しく頭を下げるなと、あの頃ならそう窘めてくれただろう言葉はもう聞こえない。

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