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独りにして欲しい
しおりを挟むケイが泣きやんでから、護衛にケイには何も訊かずに大切に送り届けるようにと頼み、風真は部屋の扉を閉めた。
そしてのろのろとベッドへと向かい、横になって体を丸める。
自分がこの世界に喚ばれたのは、彼が神子の役目から逃げたから。
このゲームを、知っていたから。
(逃げる……)
自分もゲームの世界だと知っていた。それでも、逃げるという考えはなかった。元の世界に返して欲しいと願っても無駄だと知ったから、立ち向かう事にした。
(立ち向かう、なんて選択肢……なかったんだろうな)
顔を見て話して、理解した。ケイと自分は、根本から違う。
アールと幸せそうで安堵したと、この世界で幸せになれて良かったと、心から思っていたのだ。それは、元の世界には何もなかったから。
(ずっと、死ぬ方がマシな目に遭ってきたんだ……)
空腹にも耐え、衰弱して死ぬ事を選ぶなど、自分には出来ない。それほどの扱いを元の世界ではされてきたのだろう。
彼が主人公なら……実の、親に。
(幸せに……ならなきゃいけないよな……)
初めて知った幸せ。それを奪う事は、例え神でも許されない。そう思う気持ちは、嘘ではない。
だが……。
ケイが神子になっていれば、この世界を知らずに元の世界で生きていられた。
姉と義兄が幸せになった後の姿を、もっと幸せになる姿を見守って、いつか子供が生まれたら、その子の成長を……。
「っ……」
それはもう、二度と訪れない未来。奪われてしまった幸せ。
(でも……、アールたちには出逢えなかったんだ……)
捨てられないほど、大きくなってしまった存在。それでも、知らずにいれば何も感じなかった。ただ、あの世界で幸せでいられた。
「っ……、ふ……うぇっ」
知りたくなかった。
でも、知ってしまった。
「うあっ、っ……」
帰りたい。帰りたくない。
憎みたいのに、憎みたくない。
幸せになって欲しい。許せないのに、誰よりも幸せになって欲しくて。
胸が張り裂けそうなほどに痛い。息が苦しい。涙が溢れて、抑えきれない嗚咽が漏れた。
外に聞こえてしまうと冷静に考える頭はあるのに、感情がぐちゃぐちゃでもうどうしていいか分からない。
「ふっ、う……うえっ、っ……」
体を丸め、ただ声を殺して泣き続ける以外、何も出来なかった。
・
・
・
「神子君はっ……」
ケイを送り届けたユアンが、離れの応接間へと駆け込んでくる。
ケイが風真の部屋から出た時、風真は護衛にだけ話をした。顔は見えなかったが、様子がおかしい事は分かっていた。
だが、風真の頼みと、ケイの情報を得る為に、他の騎士ではなくユアンが自ら送り届けたのだ。
アールとトキは、そっと視線を伏せる。
「……独りにして欲しいと言い、酷く泣いている」
「あのケイという奴のせいか?」
何も訊かずに大切に送り届けて欲しいと、風真の頼みだから従った。だが、風真を傷付けたならば……。
「危害を加えられたとは限らない。神子は、ケイの顔を見て驚愕していた」
「まさか……知り合い、なのか?」
「あちらの世界で顔見知りの者かもしれない」
「あちらの世界って……」
「髪も瞳も、黒ではなかった。だが……二人で元の世界の話をしたいと、他の者に聞かれては神子の不利益になると、ケイはそう言っていた」
なんだそれ、とユアンが力なく零す。
「ケイはこの国に関して、私でも知らない事を知っていた」
魔物の目的や、北からのみ襲ってくる理由、建国時の神子の力。同じ神子でも風真は鉱石にならずに人としての死を迎える事。どれも記述にも残っていない事だった。
語られる内容を、ユアンとトキは信じられない思いで聞く。
「偶然知った事にして欲しいと言われた。神子が聞く神の声が、ケイにも聞こえたのかもしれない」
だからこそ、王太子である自分でも知らない事を知っていた。それに、もしかしたら……。
「あの方がフウマさんと同じ世界からきたのでしたら……神子様である可能性も、あるのでは?」
「私もそう考えた。炎を操る力で魔物を討伐しているからな。だが……」
「そうですね。例えそうだとしても、私たちにとっては何も変わらないですね」
トキはそっと笑みを浮かべる。アールも静かに頷いた。
例えケイが神子だとしても、風真が神子である事も、仕えるべき相手が風真である事も変わらない。アールたちの心は何も変わらなかった。
「彼は、神子君が元の世界に帰る方法を、知っているんだろうか……」
ユアンが力なく呟く。
「神子君が泣いてるのは……帰れると知って、嬉しくて……?」
帰りたいと迷いなく言った風真を思い出し、グッと拳を握る。
出来れば行き来したいほど、皆の事も大切に思っている。そう言っていた風真は、今でもきっと元の世界へ帰る事を選択するのだろう。
大切な家族と、世界。
それに勝てるものが、この世界にあるとは思えなかった。
「違う、と……私は信じたい」
「……アールが憶測でものを言うなんてな」
「憶測だが、根拠はある。ケイが部屋を出る際に垣間見えた神子の顔は、沈んでいた。……泣いている声も、以前に帰りたいと泣いていた時と同じ、悲痛なものだった」
アールだけが聞いた声。あの頃とは違い、今はただ、胸の痛みと焦りが湧き起こる。
「……こんな時、どうしたら良い?」
こんな感情は初めてだ。
「独りで泣かせたくない。だが神子は、独りにして欲しいと言った。どちらが正しい?」
「アール……」
「今は独りにしてあげましょう。独りで考える時間も必要でしょうし……フウマさんは、私たちに泣き顔を見せたくないでしょうから。朝が来たら、一緒に会いに行きましょう」
「……そうだな」
こうして話していなければ、どうして良いか分からず、風真の部屋に向かっていただろう。先程も何度も扉を叩いて、困らせてしまった。
『ごめん。少し、独りにして欲しい』
扉の向こうから聞こえた声を思い出し、そっと息を吐く。あの淡々とした声は、何かを耐えていたからだ。
「俺も、今すぐにでも抱きしめたいけどね。神子君は、それを望まないだろうな」
冷静になって考えれば、今はそっとしておくべき時だ。
たくさん泣いて、泣いたらきっと泣き疲れて眠ってしまう。そうして何もかもを洗い流して、ゆっくり眠って……そんな時間が、今は必要なのだ。
「……独りで泣かせたくは、ないけど」
「私も同意見だ」
「私もです」
三人は深く息を吐いた。
「ところで、元凶のケイだけど」
ユアンはあからさまに敵視した言い方をする。
「家だという場所で馬から下ろしたら、急に走り出して、角を曲がった瞬間に消えてしまったよ」
「消えた?」
「何もない場所でね。火の匂いがしたから、彼の特殊な力の一つかもしれないな」
「……彼が魔物で、神子を誑かそうとしている可能性は?」
「真意は分かりかねますが、あの方は人間でした」
トキには魔物は人間と違う気配に感じられる。風真を召喚してからは、その力が顕著になった。だからこそ、遠目でもケイは人間だと判別出来た。
「神子が無理をするからと神が遣わした協力者なら良いが、彼が新たな神子だとしたら……」
アールが小さく呟く。
「代わりに神子……フウマを元の世界へ返すという話なら、私は神に反逆する覚悟もある」
「アール、お前……。……俺と同じ考えか」
「私も同じです」
「トキは神に仕える者だろう?」
「信仰というものは、それを越える不信感を抱いた時点で終わりを迎えるものです。幸いまだ、信仰の方が勝っていますが」
「ありがたい話だな」
ユアンは苦笑した。
「フウマさんが帰りたいとおっしゃるなら……私も考えますが」
「神子が帰ると言えば、私は地下牢に繋いででも引き留めるだろう」
「うわぁ……。今のアールならやりそう」
「お前も私の事を言えないだろう?」
「俺はきちんと神子君と話をするよ? 帰らないで欲しいって伝えてね」
「ユアン様はお優しいですね。帰さないと決まりましたら、教会の地下牢もお貸し出来ますよ」
トキがとても良い笑顔で言う。最近整備した個人所有のものです、と。
「気持ちだけ受け取っておくよ」
ユアンはまた苦笑しつつ、今後風真をトキに近付けて良いものかと本気で考えてしまった。
「俺たちの想いは、神子君にこれからも傍にいて欲しい、で一致してるけど、それを神子君は少しでも嬉しいと思ってくれるかな……」
「どうだろうな……」
「私たちの想いは、今もフウマさんにとってはただ残酷なだけのものかもしれませんね……」
皆、口を噤む。
そのまましばし沈黙が流れ、ふとユアンは思い出した。
「神子君が泣いている本当の理由は、何だろう」
帰れる事による嬉し泣きではなさそうだとアールは言った。ケイが代わりの神子だとも限らない。
それなのに、帰る帰らないで討論するのは……。
「……不安なあまり、先走ったな」
「そうですね……」
原因も突き止めずに憶測で物を言うなど、今までの三人にはなかったこと。
三人はそっと視線を合わせ、それぞれの想いを抱いたまま、朝に風真の部屋を訪れる事を約束して部屋を出た。
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