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ケイの真実

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 風真ふうまは応接室ではなく、神子の私室にケイを連れてきた。そして声が外に聞こえづらいよう、バスルームへと二人で入る。

 ここに着くまで風真は一言も話さなかった。緊迫した空気に、ケイはずっと震えたまま。それでも、気遣う余裕がなかった。

「どういう事?」

 あれから初めて発した言葉は、風真自身も驚くほどに淡々としたものだった。

「……このゲームを、知って……いたんですね」
「じゃあ、やっぱりケイさんは……」

 このゲームの、この世界の、主人公……。

 ケイはそっと視線を伏せる。
 長い睫毛が目元に影を落とし、アンニュイな雰囲気を漂わせる。肌は白く滑らかで、頬と唇はほんのりと桜色をしていた。

 小さな鼻と薄い唇、綺麗な二重の瞳は憂いを帯びて、そこに掛かる……元は艶やかな黒だった、さらりとした薄い茶色の髪。
 思い出してしまえば、こんな綺麗な顔立ちを見間違えるはずがない。


「僕は……一度、神子として召喚されていたんです」

 柔らかな唇から紡がれたのは、想像もしていなかった言葉だった。

「僕は、このゲームを知っていました。だから、召喚されてすぐに部屋にこもって、神子にはならない、討伐はしないと神様に言い続けたんです」
「っ……でも、アールたちはそんなこと……」
「……召喚されなかった事に、なっているんです」

 ケイはぎゅっと服を握り締める。

「知って、いたから……。この世界でも酷い目に遭うくらいなら、……死のうと思ったんです」

 その小さな声は、力強く室内に響いた。

「……何も食べずに数日経った頃、神様が僕を呼び寄せてくださったんです」

 だがすぐに元の弱々しい声に戻る。そしてそっと笑みを浮かべた。

「神様は、この髪と瞳の色と、炎の力を与えてくださいました。この力で魔物を討伐するなら、神子の役目はしなくていいと。僕がそれを承諾すると……召喚される前の、森の中に転移させてくださったんです」
「森、って……」
「森の中で僕は、ジェイに出逢いました」
「じゃあ、最初からジェイルートに……?」

 ケイは静かに頷いた。

「ジェイは、この力と役目を理解してくれました。僕には魔物の気配が感じ取れたので、騎士たちが訪れる前にジェイが僕を馬で送ってくれて……」

 時間が許す限り、魔物を倒した。彼らが気付かないよう、魔物の体を焼き尽くして。だからこそ騎士たちでも楽に倒せる程度の数しか残っていなかった。


「それなら、俺が召喚された理由は……? 魔物を倒せていたなら、俺は……」

 必要なかった……?

 呆然と立ち尽くす風真に、ケイはそっと視線を逸らす。

「……きっと、僕の力が足りなかったから……僕には、みんなを救いたいという気持ちがなかったから……」

 最近になって新たな神子が召喚されたと聞き、その力を、皆と仲良く話す姿をこの目で見て、神様が新たな神子を呼んだ理由が分かってしまった。

「神子の力も、この炎も、誰かを救いたいという気持ちで使うものだと聞きました……。でも僕には……神子の役目から逃げた、罪悪感しかないから……」

 他にあるとすれば、倒さなきゃ、救わなきゃ、という強迫観念。

「ケイ君は、主人公なのに……力が足りないなんて、そんなこと」
は、ジェイの事を……ただ穏やかな幸せがある事を、知らなかったんです。だから神子になるしかなかった。だから、みんなのために戦うことが出来たんです」

 ケイはそう言い切った。

「全てを知ってる僕じゃ、バッドエンドにしかならない……。ジェイ以外のルートは、絶対に嫌だったんです……」

 想像しただけでも恐怖で震えてしまう。ジェイと出逢った今でも、この部屋に入るのは恐ろしかった。
 最初に召喚された時に、死を選んだ部屋だから……。

「でも神子様……風真さんは、知っていながら困難を乗り越えられたんですよね。アール殿下があんなに優しげな顔をされていて、ホッとしました。まだ四回目の討伐時点なのに、心から尊敬します」

 バスルームへ入る前に見た、部屋の壁に飾られた綺麗なガーランドや、クッションカバー。テーブルの上に積まれた本。開きっぱなしの料理本は、生きる気持ちが溢れている証。
 この部屋はもう、あの時の冷たい牢獄ではない。


 本当は、自分も元の世界からきた事を伝えて、これからも手助けをすると伝えようと思っていた。
 きっと彼はゲームの事を知らない。身代わりに召喚されたとあえて伝える必要はないと思っていた。心苦しくはあっても、知らない方が彼の為だと。

 知っていた事は、想定外だった。そして、憤っている事も。
 だが、この世界に召喚されたなら、彼もきっと自分と同じだ。酷い目に遭っても今は幸せなはず。

「僕が逃げたせいで酷い目に遭わせてしまったこと、心から申し訳ないと思っています。本当は、ずっと黙っていようとも思っていました……」

 話そうと思ったのは、このまま黙っている罪悪感もある。そして何より、アールと風真の仲睦まじい姿を見たから。

「でも、風真さんもこの世界で幸せになられていたので、お祝いをお伝えしたくて」
「っ、俺は違う!!」

 風真の悲痛な叫びがバスルームに響き渡った。

「違う、んですか?」
「俺はっ……」

 グッと拳を握る。

「俺はっ……姉ちゃんと、引き離されたんだ」

 爪が手のひらに食い込み、血が滲む。そうしていないと、今にも殴り掛かってしまいそうだった。

「たった一人の家族なのに、俺はもうっ……二度と、会えないんだっ……」

 声が震える。怒りと悲しみと、様々な感情がごちゃまぜになって、涙が零れそうになる。

「父さんと母さんのお墓にも、もう……」

 皆の笑顔が脳裏をよぎり、ぎゅっと目を閉じた。


「家族……?」

 どうして、とケイが力なく呟く。
 どうして、家族がいるのに?
 どうして、この世界に……。

「っ……、ごめ……なさい……」

 どうして、会いたいと思える家族のいる彼が呼ばれたのかは分からない。それでも。

「僕のせいだ……僕が……」

 神子の役目から、逃げたから。
 彼は違った。元の世界に未練などない自分とは違う。

「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……!」

 二度と会えないと悲しむ相手がいる。愛してくれる家族がいる。ずっと、欲しかった……自分にとっての、ジェイのような存在が。
 そんな人と引き離してしまった。大切な人がいる幸せを知ったから……彼の気持ちが、痛いほどに分かる。


「ごめっ……なさい……」

 その声が、風真にはどこか遠くに聞こえた。

(……綺麗、だな)

 ケイを見つめ、ふと心が不思議なほどに凪いだ。
 綺麗な泣き顔。涙。
 きっと攻略対象たちは、この綺麗な儚さに惹かれたのだろう。大切に抱きしめて、守ってあげなければ、すぐに壊れてしまう。

 主人公の……ケイの世界には、暴力と絶望しかなかった。
 この世界に来て、ジェイと出逢って、初めて優しさを知った。きっと、初めて生きる幸せを知った。

(幸せ、か……)

 ゲームの内容を知らなければ、彼は主人公としてのルートを生きられただろう。だが、何が起こるか知っていては、恐ろしくて逃げ出してしまっても……。

(仕方ない……なんて、思えないけど……)

 それで済ませてしまうほど軽いものを、あの世界に残してきていない。
 同情で許してしまえるほど、聖人君子でもない。
 彼が神子の役目から逃げなければ、皆を救いたいという気持ちを持ってくれていれば……。

 ……自分に、神子の素質などなければ。

 風真はきつく目を閉じ、胸の内に渦巻く感情を吐き出すように細く息を吐いた。
 簡単に納得出来るものでも、諦められるものでもない。許せるものでもない。それでも、……やはり、諦めに似ているのかもしれない。

 握っていた拳をそっと開くと、ぽたりと朱い雫が落ちた。
 ゆっくりと目を開けると、泣きじゃくりながら座り込んでしまった主人公がいた。
 風真もその場に屈み、ケイを見つめる。


「……君は今、幸せ?」
「っ……、ごめんなさいっ……」
「もう謝らなくていいよ。ただ、教えて欲しいんだ。君は今、幸せ?」

 元のような優しい声で、問いを紡ぐ。

「……はい」
「本当に?」
「はいっ……、とても……幸せ、です……っ」
「ジェイのことが、好き?」
「……好きです」

 少しだけ躊躇い、ほんのりと目元を染めて答える。
 どんな時でも思い出すだけで幸せになれる。そんな相手が、今のケイにはいる。

 またぼろぼろと涙を零すケイを、静かに見つめた。
 この弱々しい彼にはきっと、ハードなイベントは耐えられない。お漏らしイベント連発など、あまりに可哀想だ。きっと抵抗出来ないほどに怯えて……死を、願うのだろう。


「……これから、もっと幸せになって」
「っ……」
「俺も幸せになるから。だから、俺が羨むくらい、幸せになって」
「風真、さん……」

 呆然として涙も止まったケイに、そっと笑ってみせる。
 そうでなければ、身代わりに喚ばれた意味がない。あの世界から引き離された意味を与えてくれなければ、許さない。

(だから、仕方がないって思えるくらい……、幸せになって……)

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