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アールの本気

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 翌朝。
 顔を合わせるのが気まずくて、風真ふうまは護衛に「夜更かしして本を読んでしまって眠いので……」と心配させない理由と共に、食堂に行かない事を伝えて貰った。
 何度かやってしまった事だ。三人もまたかと笑って許してくれるだろう。

 ベッドに戻り、布団の中に頭まで埋まる。
 三人の事を信頼している。一緒にいると楽しくて、幸せだと笑い合える。
 物理的な意味では三人に痴態という名の全てを見せてしまったし、苦労してもいい、一緒に生きていきたい、一緒に幸せになる道を探せる……と、三人共に対して思っている。

(でも、そうじゃないんだよな……)

 由茉ゆまが言ったのはそういう意味ではないと分かっている。だからこそ、頭で何度考えても答えは出なかった。


 そのまま本当に眠ってしまい、目が覚めた時には数時間経っていた。
 そろそろ昼食時だろうか。そう思うと、ぐう、と素直な腹が音を立てた。
 食堂へ行こうとベッドから下りたところで、ノックの音が響く。

「神子様。アール殿下がお越しです」
「えっ、アールっ?」

 驚いて声を出してしまい、寝たふりが出来なくなった。体調が悪いと言えば心配させてしまう。会いたくないなどとは言えない。

「まだパジャマなのでっ、後でアールの部屋に行くと伝えてくださいっ」

 せめて心の準備を、と考えたのだが。

「開けろ」
「ひぇっ! アールっ!?」

 ガンッとドアが蹴られた。

「今更恥ずかしがる事でもないだろう? 今すぐここを開けろ」
「うええっ! 昨日と態度違いすぎない!?」
「お前が避けるからだ。私は正々堂々と挑むと言ったはずだ」
「そういう意味!?」
「いいから開けろ」
「分かったから! 蹴らないで!」

 いくら物理で壊せない扉でも、ガンガン蹴られては可哀想だ。扉にまで同情してしまうほど、アールの脚癖は治るどころか悪化していた。


「昼食を持ってきてやったぞ」
「……ありがと」

 扉を開けると、木のカゴを手に不遜な顔をしたアールが立っていた。昨夜は別人だったのかと思うほど、すっかり元のアールだ。
 それはそれで、緊張せずに済むけれど。先にソファに座るアールの後を追って、風真も向かいに座る。何だか寂しいような、悲しいような、おかしな気分だ。

 アールはカゴをテーブルの上に置き、立ち上がる。そして風真の隣へ座り直した。

「え? アール?」
「すまない。彼らの前では、昨夜のようには振る舞えず……」

 そう言って風真の髪を撫でた。昨夜のように、優しい仕草で。

(そっか、威厳とかあるし、まだ恥ずかしいのもあるよな)

 人前でイチャつくまではいかなくとも、優しい言葉を掛ける事も人前では恥ずかしいのだろう。アールも、自分と一緒だ。ほんのり目元が赤くなっているアールに、風真はふっと体の力が抜けた。

「気まずさから顔を合わせたくないのは分かっていたが、私は、お前の顔が見たかった」

 だが、こちらの甘いアールにはまだ全く慣れない。一緒に街へ出た時も優しかったが、それと今は状況が違う。


「これはお前に会う為の口実と、押し掛けた迷惑料だ」

 テーブルの上のカゴを手に取り、蓋を開ける。
 そこにはタマゴサンドとローストビーフサンド、コールスローサンド、苺の乗ったプリンと、クッキーが入っていた。

「どれも好きなものだろう?」
「うん、好き」
「私の目を見て言ってくれ」
「好き」
「私もお前が好きだ」
「!」

 優しく微笑まれ、罠だ! と唇を引き結んだ。

「お前は面白いほどに引っかかるな」
「美味しいものを前にしたら、そっちに気がいくんだよ……」
「そうか。それは心配だ」
「俺も心配になってきた……」

 と言ったそばから、アールが口元に触れさせたタマゴサンドに噛み付く。美味しい。この塩加減と白身と黄身のバランスが絶妙だ。

「じゃなくて!」
「タマゴより肉が良かったか?」
「そうじゃなくてっ……、どっちも美味しいけどっ……」
「寝起きは野菜が良かったか」
「タマゴがいいけどっ、そうじゃなくてっ……んぐっ」

 タマゴサンドを口に押し込まれ、もごもごと頬張る。

「最初はタマゴからか。こういう些細な事も、お前の事だと思うと……愛しいな」

(甘さ全開やめて!)

 ユアンなら言いそうで慣れていても、アールの口から出ると叫びたくなる。


 結局その後も、アールの手から食べさせられた。自分で食べると言うと、あまりに寂しそうな顔をするものだから。

(絆されやすいって言われたけど、……そうかも)

 色々なところでガードがゆるゆるだと思い知らされた昼食だった。





 食事を終え、アールは風真の首筋をジッと見つめる。

「お前は、キスマークを付ける意味を知っているか?」

 神妙な声で問われ、風真も真剣な顔をした。

「自分のものの証、ってユアンさんが言ってた」
「……所有印だと知りながら付けさせたのか?」
「それは……付けられてから、これがキスマークか~って……」

 だからそこまで怒らせるものだとは思わなかった、とおそるおそるアールを見つめる。するとアールは、片手で額を押さえ、深い溜め息をついた。

「馬鹿だとは思っていたが……」
「久々に馬鹿って言った!」
「本当に馬鹿だったんだな」
「馬鹿じゃないしっ」

 数分前のアールはどこへやら、辛辣な事を言って呆れた視線を風真に向ける。

「馬鹿ではないなら、しっかり覚えろ」
「おっ、おうっ」

 久々に馬鹿にした上から目線を受け、くるならこい! と謎のやる気を出した。
 そんな風真に、アールはまた呆れた溜め息をつく。そして、風真の首筋の紅い痕をするりと撫でた。


を付けるのは、性行為の一環だ」
「…………へ?」
「性行為だ。これを付ける行為は前戯として行われる事が多いが、最中にも……」
「わーっ!! 分かったっ、分かりました!!」
「本当に理解出来たのか?」
「出来ました! もう付けさせません!」
「それなら良い」

 アールは満足げに笑い、風真の服を掴み引き寄せた。

「いたっ! う、ええっ!?」

 首筋に噛み付かれ、きつく吸い上げられる。この痛みは……。

「これでお前は、私のものだな」
「はっ? えっ?」
「私とも性行為をした事に……」
「ならない! なりません! って、もう付けさせないって言ったばっかなのにっ」
「私以外には付けさせるなという意味だ」
「アールにも付けられたら駄目なやつだろっ、性っ……の一環なんだからっ」
「性行為だ」
「分かってるよ!」

 ワッと怒鳴って両手で顔を覆った。そのまま天を仰ぎ、ソファの背にぐりぐりと後頭部を押し付ける。


「お前は、本当に……」

 どうせ、馬鹿だな、と言われるのだろう。そう思っていると、顔の横でソファの革が軋む音がする。
 なに、と思っている間に、顔を覆う手を掴まれて。

「可愛い奴だ」
「は……ぇ……」

 視界に映ったのは、アールの甘い微笑み。それも、至近距離で。

「はっ……ぅえっ!?」
「蠅がいたか?」

 動揺のあまり謎の声を出すと、アールは楽しげに笑う。

「安心しろ。悪い虫を、お前に近付けさせはしない」
「っ……!」

 頬を撫でられ、唇が近付いて……ちゅ、と目元へと小さなキスが触れた。

「私の神子。私の、……フウマ」

 また名を呼ばれ、真っ直ぐに見つめられて、風真の頬は勝手に赤くなっていく。
 その頬を愛しげに撫で、アールはますます甘さを含んだ瞳で風真を見つめた。

「お前は必ず私が守る。だからずっと、私の傍にいてくれ」

 あまりに美しく、眩しい微笑み。
 風真は何も返せずに、アールが圧倒的王子様、と内心で叫びながら、あうあうと呻く事しか出来なかった

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