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好きなもの
しおりを挟む風真が落ち着くまで、躊躇いながらも背を撫で続けた。
その間に、風真の言葉の意味を考える。そして、正しく理解した。
「……酷い事をした。すまない……傷付ける気は……」
どう言えばと考えるほど、言葉が出なくなる。
あの風真が、怖かったと言って泣いた。あんなにも泣いて、謝りながら。それほどまでに怒らせたのだと、そう思ったのだろう。
「私以外の奴に触れさせた事は……腹は立ったが、お前がそこまで謝る事はない」
こんな時、ユアンなら上手く言えるのだろう。それ以前に、ユアンなら己の感情を制御出来る。風真を傷付けるような事はしない。
ユアンなら。
だから、ユアンを……。
また溢れそうになるどす黒い感情を、風真をきつく抱きしめる事で抑え込む。
艶やかな黒髪に頬を寄せると、おず……と風真の手がアールの背に回った。
「アール……俺のこと、嫌いになってない……?」
「嫌う訳がない」
すぐに返すと、小さく安堵の溜め息が聞こえた。
「お前の方こそ……私を、嫌いになってはいないか?」
「うん……」
悪かったのは自分だから。風真はもう一度、ごめんなさい、と声にした。
「……でも、アールは……もっと自分を大事にしてほしい……」
「……それは私が言いたい」
ユアンに付けられた痕をただの鬱血と言い、アールに痕を付けられても慌てるだけで嫌がる素振りはなかった。お前の貞操観念はどうなっている、と言いたい。
「ごめん……。でも、苛々したから突っ込もうとするとか、駄目だからな。ソレはもっとちゃんと、好きな人のために使ってほしい」
口調こそ弱いが、しっかりと咎めているのだと伝わる。普段の風真なら、ワーワーと怒鳴っているのだろう。
「お前は……私の為に、怒っているのか?」
アールは唖然とした。
「うん……その場の勢いであんなことしたら、好きな人が出来た時に思い出して後悔するのはアールだから……」
アールに経験があるという話は聞いた事がない。今までのアールが、誰かと関係を持つとは思えなかった。
「……年寄り共の説教のようだな」
「それ元の世界でも言われた……」
大学でも、お堅いだとかピュアだとか言われていた。いいなと思ったらひとまず寝てみて相性を確かめるという人もいた中では、古臭い考えだったのだろう。
年寄りと言われようと、その考えを変えるつもりはないが。
「だが、お前らしい」
アールは、どこか吹っ切れたように声を零した。そして風真から離れ、深く頭を下げる。
「私が間違っていた。すまない」
「えっ、アールっ?」
「あいつに抱かれていると知って、頭に血が上った」
恋人になったとは聞いていないが、体だけの関係を風真が受け入れるとは思えない。
気付けなかっただけで、二人はいつの間にか想いを通わせていたのだろう。
「待って、ユアンさんとは、えっちはしてないっ……ていうか誰ともしたことないからっ」
誤解、と風真は慌てた。
「それでも、こんなものを付ける関係なのだろう?」
「それはっ、…………俺のガードがゆるゆるだから、なんか、こうなって……」
どう説明して良いか分からず、思いつくままに素直に答える。
するとアールは一瞬動きを止め、深く息を吐いた。
「お前は……もっと自分を大事にしろ」
先程言った事をそのまま返され、風真は慌てて「ごめん」と返す。
相手が女性ではないから、すんなりと受け入れてしまったところもある。同性の友達同士の悪ふざけというか。
(同性でも、ユアンさんは好きって言ってくれてるんだよ……)
そこに男女も何もない。
アールの反応で、キスマークの本当の意味を、そう簡単に付けさせてはいけないものだと、ようやく理解した。
しょんぼりする風真を見つめ、アールは思案する。
風真の言い方からすると、思っていた関係とは違うのでは。
「……確認したい。ユアンとは、恋人ではないのか?」
「違うよ」
「それなら何故、男のお前がそこまで感じる?」
「それは……、その……」
「怒りはしない。正直に話せ」
「……悪いのは俺なんだけど、…………ユアンさんに、開発……? されて……」
もごもごと呟く。
アールの眉間に皺が寄り、怒らないって言ったのに、と風真は表情で伝えた。
「……怒ってはいない、が……理解出来ない。何故拒否しなかった? どのような状況で、何があって、そんなところを開発させた?」
疑問しかない。恋人でもない相手と、何故そのような事になるのだ、と。
「ええっと、ユアンさんのこと嫌いじゃないし、なんか、いつものイタズラというか、じゃれ合いの延長みたいな……」
「……お前の貞操観念はどうなっている」
ついに言葉にした。ついでに深く溜め息もついた。
いくら相手が性に奔放なユアンでも、それをじゃれ合いの延長と捉えてされるがままなど、ますます理解出来なかった。
「ごめん……」
「いや、……そうだな。その身体が他人に開発されたのは、正直面白くない。怒ってはいないが、苛立っている」
「怒ってんのと一緒じゃんっ」
わっ、と文句を言う風真に、つい小さく笑ってしまった。しおらしくされるより、こちらの方が良い。
「その痕を見て、何故あんなにも苛立ったのか、憎さすら覚えたのか、何故かと……ようやく理解が出来た」
「アール?」
清々しい表情。瞳が優しくなり、風真は戸惑う。
「お前がユアンのものなら、体だけでも手に入れられればなど……卑怯な考えだった」
「え、っと……あの……」
アールの言葉も、そっと頬を撫でられる優しさも、その理由が今の風真には分からなかった。
「私は、お前が好きだ」
「へ……」
「その雰囲気のない間抜けな声も、察しの悪いところも、色気のないところも、警戒心がなく貞操観念が壊れているところも、騒がしいところも……」
(え、これ、貶されてるんじゃ?)
確か好きだと言われたはず。風真は顔いっぱいに疑問符を浮かべ、アールを見つめた。
「その間抜けな顔も、……お前の全てが、愛しい」
初めて聞く甘い声に、びくりと震えた。
(今の、アールの声……?)
優しい声とも違う。柔らかく、全身が震えるような甘さ。
戸惑いに揺れる黒の瞳に、美しく微笑む整った顔が映る。
(わ……笑っ、た……)
アールが笑った事と、あまりに綺麗な微笑みに、じわりと頬が熱くなる。熱を持ったそこを、アールの両手が包み込んだ。
「私の好きなものは、お前だ。部屋に飾るなら、お前の好きなものが良い」
自分の好きなものと考えると、途端に何も浮かばなくなった理由。好きなものは、風真だけだからだ。
「私は、もっとお前の事が知りたい」
「っ……」
風真の頬が、耳までが、真っ赤に染まる。
きっと自分にだけでなく、ユアンにも、トキにも同じ反応をするのだろう。
「私はお前に愛されたい。今後は感情に流されず、正面から、正々堂々と挑んでお前の心を手に入れてみせる」
柔らかさの中に、普段の堂々とした声と表情が混ざり、風真は視線も逸らせずにただ見つめた。
拒絶も嫌悪もされていない。アールはそっと目を細め、風真の手を取る。
「覚悟していろ、……フウマ」
揺れる瞳を射抜くように見据えて宣言し、指先に唇を触れさせた。
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