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お出かけ4
しおりを挟む「良い席だった。礼を言う」
「ありがたきお言葉……。身に余る光栄にございます」
席を提案し、案内から注文から、最後まで専属で付いてくれた店員に、アールは礼を言う。
「これからも励め」
「お心遣い感謝、っ……」
手のひらに何かを渡され、途中で店員は固まった。
その店員が持ったままの伝票を、これか、と言い受け取る。
王宮に請求するのも手間だろうとこの場での支払いを頼んだのだが、予想より安く、やはりこの場払いにして良かったと思う。
「店の者たちにも手間を掛けたな。釣りは取っておけ。神子からの礼だ」
風真が、急に注文が増えて大変そう……と呟いたから気付けた。
えっ、と驚いた顔をする風真に一度視線を向け、アールは全員分の支払いと手間賃をコイントレイに置く。
「神子。行くぞ」
「う、うん……。ありがとうございました。とても美味しかったです」
唖然とする店員にペコリと頭を下げ、皆にも笑顔で頭を下げ、店を出た。
(大きい方の金貨が十枚だから……、……一千万!?)
風真は勉強して知っている。金、銀、銅貨があり、小さい金貨は一枚十万。大きい金貨は一枚百万だ。
付きっきりだった店員にも大きな金貨を渡していた。
「アール……。帰ったら国民の給料調べた方がいいと思う……」
「そうか。私もそう思っていたところだ」
中流階級の店とはいえ、あまりにも低価格だった。考えていたよりも、国民の給金は少ないのでは。そう考えていたのだ。
風真は理由が違うなと気付きながらも、アールが国民の生活に興味を持ったのはとても良い傾向、とそれ以上何も言わない事にした。
店への手間賃が自分の給料から出ているかだけは、後でしっかり聞こうと思いながら。
・
・
・
「楽しかったぁ。ありがと、アール」
カフェの後も店を見て回り、日が落ちる頃に離れに戻った。今日一日、本当に楽しい事ばかりだった。廊下を歩きながら風真はへらりと笑う。
「私も楽しかった。……これで合っているか?」
「あ、それもどっかで勉強したんだ。ちょっとびっくりしたよ」
「……楽しかったのは、本当だ」
「えっ、嬉しいっ」
素直に嬉しいと言った風真に、アールは目を瞬かせる。だが、風真は誰かが喜ぶと自分も嬉しいと言う。その気持ちは、カフェでアールも感じたものだった。
「今でも少し、戸惑っている。まるで私ではない誰かの感情を体験しているような……不思議な気分だ」
今日一日、苛立つ事がなかった。部屋で過ごしている時でも些細な事を思い出して苛立つというのに、今日は気持ちが凪いだように穏やかだった。
胸が暖かくなり、高鳴る、これが風真の感じている“楽しい”という感情かと納得する。それと同時に、他人の感情のようで戸惑いも感じる。だがそれは、嫌なものではなかった。
「そっか。じゃあ、これからもっと体験して、自分のものにしていこうな。また一緒に出かけよう」
へらりと笑う風真にアールもそっと目を細め、ああ、と答えた。
「次は何処へ行きたい?」
「えーっと……街が見渡せるとことか、夕焼け綺麗だったから、夕日が見えるとこもいいなぁ」
「先程言えば、戻らずに連れて行けたというのに」
「あ、そっか。ごめん。でももうなんか満足しちゃってて」
今日が楽しくて、夕食前には戻るか、と言われて素直に頷いていた。いつまでも街にいたかったが、それは次の楽しみにしようと思って。
「ならば次は、夕日と……星も見るか?」
「うんっ」
嬉しそうな風真に、早急に防寒着を用意させようとアールは決めた。
「へへ、アールが俺の意見聞いてくれるようになって、すごい嬉しい」
「……そういえば、そうだな」
「今までは決定事項伝えるだけだったもんな。こうしろ、ああしろ、って」
「……そうだったな」
「今なら命令口調で言われても、言い方が優しいから全然気にならないや」
今なら私の為に働けと言われても、何かして欲しい事があるんだな、くらいにしか思わない。他の人にはそれでは駄目だが、きっともう横暴な言い方にはならないだろう。
アールは目を瞬かせ、風真を見つめる。そして何事か思案して。
「神子。これを飾るのを手伝え」
壁飾りの入った袋を持ち上げて見せた。
「ぷはっ、命令が優しいっ。じゃあ、後で俺の部屋のも手伝え?」
「お前は命令しない方が良いな。威厳の欠片もない」
「わざとだよっ」
「そうか」
「あっ、その馬鹿にした感じは変わってないっ」
「馬鹿にはしていない。強がっているなと思っているだけだ」
「同じじゃんっ」
わあわあ言う風真を、アールは楽しげに見下ろす。わざと馬鹿にしたように。それは、暖かな気持ちから零れそうな笑みを隠す為だった。
きっと今なら、風真が望む“笑顔”が作れるのだろう。だがそれはまだ、見られるのは恥ずかしかった。それも初めての感情。
「これはソファから見える方の壁に飾るのが良いだろうか」
感情を誤魔化すように話題を逸らす。
「え、あ、そうだなぁ……仕事の机もあるし、気分転換する時に見えるとこでもいいかも」
「そういう使い方もあるのか」
「アールの部屋って何もないもんな。今まで置かなかった理由とかあるの?」
「置く理由がなかった」
「そっかぁ」
アールらしい理由だ。
「必要ないものを置く理由が分からなかった。だが、これは今日の記念だ。皆、その日を思い出す為に、物を飾るのだな」
そう納得して、そっと目元を綻ばせる。
(今日のことは、思い出したい記憶になったんだ……)
嬉しくて、じわりと頬が熱くなる。アールの中に、それほどまでに強い感情を与えた。自分ばかりが楽しんでいたのではなく、アールも楽しいと思ってくれた。
「俺もこれ飾って、今日のこと思い出すよ。次はアールの好きなものも買って、横に飾りたいなぁ」
「好きなもの……」
アールがぽつりと呟く。
好きなもの。飾りたいほどに、好きなもの。
「……思いつかない」
昔飼っていた犬は、好きだったと思う。だが、もういない。
「そっか。じゃあ、今度一緒に探しに行こうな」
風真はそう言ってニッと笑った。好きなもの一つ思いつかない事に、驚きも面倒臭がりもせずに。
初めての感情ばかりを知った今日を忘れないよう、壁飾りは執務机の側と、ソファから見える位置と、扉の側に飾った。
広い部屋に分けて飾ると、ぽつぽつとして寂しげに見える。何もなかった頃には感じなかった感情に、アールはまた不思議な感覚を覚えた。
ソファに置いたクッションも一つでは足りない気がする。次出掛けた時に幾つか買い足そうと風真に言うと、驚いた後で嬉しそうに頷かれた。
犬の置物を机の上に置き、風真は満足そうな顔をする。その顔が、置物の犬とどこか似ていた。
風真の部屋には、ベッド脇とソファから見える位置に飾った。
思いのほか壁の空白が広く、次は大量に買うかと思ったのだが、出掛ける度に少しずつ増やしていくのも楽しいかと思い直す。
そう話すとアールは、そんな楽しみ方もあるのかと目を丸くした。
夕食後。アールは部屋に戻り、寝室の扉を開けた。
灯りをつけ、見渡し、執務机の上から犬の置物を持ってきてベッド脇の棚にそっと置く。ベッドと棚とクローゼット以外、何もない部屋。寝室にも飾る物が必要かもしれない。
寝室も一緒になっているのは、神子の部屋だけ。何かあった時に扉の外から異変に気付けるようにだ。
もし寝室もあれば、風真は何を飾るのだろう。星に興味を示していたから、星を模したものだろうか。それとも夢に出てくるよう、食に関するものだろうか。
「……好きなもの、か」
風真の事ではなく、自分なら何を飾るか。そう考えると途端にイメージが湧かなくなる。
全てを知った気になっていた。必要なものならすぐに思いついた。それなのに、好きなもの一つ分からない。
そんな自分に、苛立ちや焦りより、空虚感が襲う。自分が空っぽになったような、虚しさ。
……だが、風真は、今度一緒に探しに行こうと言った。彼といればいつか、好きだと思えるものが見つかる。そう考えただけで虚しさは消え、不思議な感覚にそっと視線を落とした。
自分が自分ではない感覚。それも、嫌なものではなかった
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