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お出かけ2

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 そうこうしているうちに、早くも小腹が空いてきた。
 周囲を見渡すと、黒と白と銀が基調のシックな外観のカフェが目に入る。男性客も入って行くところを見て、風真ふうまはあそこに行きたいと言おうとして、己の格好に視線を向けた。


「アール。あのカフェって、この格好で入れる?」
「あれは、……中流階級の店か」

 満足そうな顔で出てくる客を見て、アールは背後を振り返り軽く顔を動かす。そして風真を連れ、路地裏に入った。
 すると。

「お呼びでしょうか」
「えっ、護衛さん?」

 路地裏に入って来たのは、離れにいるはずの風真の護衛と、アールの護衛の一人だった。

「私とお前が護衛無しに出歩ける訳がないだろう?」
「そ……、それもそっか……」

 旅人を装っていたとしても、王宮の外を、王の後継者と異世界の神子を二人きりで歩かせる訳がない。

「二人きりだって思ってたから、普通にめちゃくちゃ浮かれてたけど……。見られてたんだ……」
「気にするな。お前は普段から浮かれている」
「言い方!」

 気にするなだけで止めておいて欲しい。
 そんな遣り取りをする二人を、少しの驚きと微笑ましさを持って護衛たちは見つめる。アールがレンガに座り、城下の物を口にした時が、驚きのピークだった。それ以降は穏やかなものだ。


 護衛は櫛とワックスを取り出し、二人の髪を手早く整える。そしてマントを受け取り、スッと姿を消した。

「……護衛さん、有能すぎる」

 王宮でユアンに遭遇した時の演技の上手さにも驚いたが、繊細な事も出来る。あまりに有能だ。

「行くぞ」
「え、あ、服はこれで大丈夫?」
「ああ。地味だが、品自体は私たちが普段着ている物と変わらない」
「えっ……待って、もしかして俺がいつも着てるのも……」
「全て王宮に出入りしているデザイナーが作った物だ」

 ひえっ、と悲鳴を上げた。高いだろうとは思っていたが、アールほどではないと思っていた。
 そこで気付く。今着ている服も、アールが着れば高級品に見える。つまりこれも、間違いなく高級品だ。

「これで食べるの怖くなってきた……」
「先日スープを零した服も同等だが?」
「やめて! 追い打ちかけないで!」
「零さなければ良いだけだ。行くぞ」

 正論を言って路地裏から出るアールを、慌てて追う。この堂々とした風格。元の世界の量販店の服でもブランド物になる男、と風真は完敗した気持ちになった。





 店内も外観の通り、シックな雰囲気だった。
 元の世界では……いや、この世界でも一人では尻込みして入れない、高級感溢れる店だ。

「っ! 王太子殿下!!」

 店員が驚いた声を上げる。店内の客から入り口は見えないが、側にいた店員は皆、驚きに目を見開いていた。

(あ……、顔を出したら……)

 その為のマントとフードだった。それなのに。

「ごめん、アールっ、出ようっ……」

 考え無しな事をして、アールを困らせてしまった。慌ててアールの腕を掴むが、逆にその手を取られ引き止められる。

「今日はプライベートだ。席は空いているか?」

 アールは平然として店員に問いかけた。

「は、はい……。ですが当店には、お部屋のご用意が……」

 貴族を通す為の個室はない。店員の顔が青ざめる。

「それは分かっている。空いているなら、席は選べるのか?」
「勿論でございますっ」

 慌てる店員の隣を抜け、アールは店内を見る。外から見えた通り、広々とした空間にゆったりとテーブルが並べられた、居心地の良い店だった。

「どこが良い?」
「え? えっと、窓際が……、あっでも……」

 外からアールの姿が見えるとまた騒ぎに、と他の席を探す。すると離れた場所で見守っていた女性店員が、こちらへと歩み寄ってきた。

「恐れながら。奥のお席でしたら片側に壁がございますので、外からお姿を拝見する事は難しいかと」
「そうか。ならば、その席を頼む」
「畏まりました」

 その店員は綺麗に礼をして、メニューを手に取り席へと案内した。


「お、王太子殿下……?」
「殿下が、何故……」
「お隣のお方は……?」

 華やかな室内はシンと静まり返り、ヒソヒソと囁き声が響き始める。
 今までのアールなら気にも留めなかった。だが、風真が気にしているかと隣を見れば、思っていた以上に落ち込んだ顔をしていた。

 ここに入りたいと言ったばかりにアールにもみんなにも迷惑を……。そんな分かりやすい顔の風真に、アールは思案する。そしてホールの中央で脚を止めた。

「驚かせたようだな。場の雰囲気を壊した詫びに、この場にいる者の支払いは全て私がしよう。好きなだけ食べ、楽しんでくれ」

 出来る限りの穏やかな声で告げる。それでも、しっかりと伸びた姿勢と堂々とした風格が、尾鰭が付いたアールの噂が、皆を余計に萎縮させる。
 アールとしては、皆が喜び、風真も安堵し、和やかな雰囲気になると予想していた。だが余計に静かになってしまった。

 つい最近まで平民を蔑んでいた。まだ風真相手のように接する事は出来ないが、今はもう、彼らも同じ人間なのだと思えている。だから楽しい場を邪魔した事を詫びた。
 状況から判断し、考え、最良と思える行動を取った。それが上手くいかず、アールはそっと風真に視線を向ける。


「……どうしたら良い?」
「え? ええっと……俺も名乗っていい?」
「……神子とだけなら。名は名乗るな」
「うん、分かった」

 風真はアールに頼られた事が嬉しくて、ピンと背筋を伸ばす。

「初めまして。お……僕は、先日召喚されました、アール殿下の神子です」

 神子らしく。風真は精一杯の穏やかな笑みを浮かべた。

「神子様っ?」
「異世界から来られたという……?」
「知り合いの騎士から、神子様が恐ろしい魔物を退治してくださったと……」

 神子の噂は正しく広がっていたようだ。風真は安堵した。これできちんと話を聞いて貰える。
 アールも微かに口の端を上げた。皆の反応に、ではなく……“アール殿下の神子”と皆の前で名乗った事に対し、満足げに。

「神子様……あの華奢なお身体で、魔物を……?」

 華奢ではない。風真は内心で強く否定した。

「こちらのお店に入りたいと、殿下に我が儘を言ったのは僕です。驚かせて申し訳ありません」

 風真はペコリと頭を下げる。その仕草に優雅さはなく、あれ? と一部の者が首を傾げた。

「殿下は、まだ不慣れな僕に街を案内してくださっていて……。なので、今日は完全プライベートです」

 これはただ言いたかっただけ。芸能人になった気分だ。
 満足げな声と表情に、今度はほぼ全員が首を傾げた。


 ――神子様は、大変親しみ深いお方では……?


 お辞儀もどちらかと言えば可愛さが強く感じられた。
 容姿も、美麗で儚げだとされる歴代の神子とは違い、言ってしまえば平凡だ。平凡の中でも顔立ち自体は整っているのだが、纏う雰囲気がどこか愛らしい印象を与える。

「プライベートではありますが……。このお店初めてなので、みなさんのオススメを教えていただけたら嬉しいです」

 皆の緊張が解けた雰囲気を感じ取り、風真はニコッと笑った。

 風真は穏やかな笑みのつもり。皆の目には太陽のような明るく親しみのある笑顔に映った。


 スッと席の近い女性客が手を挙げる。

「神子様。恐れながら……私のオススメは、アフタヌーンティーセットと、ローズティーです」
「今食べていらっしゃるものがそうなんですね。とても美味しそうです」

 わあ、美味しそう! と言ってしまいそうな気持ちをグッと抑える。

「神子様。季節のフルーツタルトもこの時期限定で……」
「カマンベールチーズのパンケーキも美味しく……」
「こちらのケーキが……」

 風真が目をキラキラさせ「美味しそう……」と呟くものだから、皆緊張が解けて次々にお勧め商品を口にする。

「私は甘い物があまり得意ではないのですが、スコーンセットはクリームもジャムも美味しいと思っております」
「スコーンセット……。私はそれにしよう」

 アールがテーブルの上に視線を向けると、発言した者はビクリと肩を震わせた。だが、勇気を出して口を開く。

「種類が選べますが、中でもオレンジとレーズンのスコーンが有名です……」
「そうか。では、それを選ぼう。……オレンジとレーズンは私も好きだ」

 好みを伝えれば冷たくならないかと思い、付け加える。すると、光栄です! とテーブルに頭が付くほどに頭を下げられた。

 人懐っこい風真は勿論、ユアンやトキのように接する事も難しい。アールはどうしたものかとまた風真を見たが、もう料理しか見えていないようだった。


「みなさん、ありがとうございます。どれも美味しそうで……悩みますね」

 風真がにっこりと笑う。それは、心からの笑顔で。

「全て頼むか?」
「いくら俺でもそんなに入らない。それに、今度来た時の楽しみも取っておきたいしさ」

 ヒソヒソと話し、ニッと笑うと、アールは僅かに眉間に皺を寄せた。

「それは、また私と共に、という意味か?」
「そうだけど?」
「……そうか」

 ふ、と笑みが零れる。近くの席の者はその表情に、目が落ちるほどに驚いた。あれは本当に、アール王太子殿下なのかと。

「全部殿下がお支払いしてくださるそうなので、ご遠慮なくお好きなものを注文されてくださいね」

 最後に風真はそう告げて一礼し、待っている店員にも「すみません」と頭を下げた。

 神子に頭を下げられ恐縮するものの、店内は元のように和やかな雰囲気に戻り、安堵する。噂で聞いていたより親しみ深さと慈悲深さを持つ神子に、つい笑みが零れてしまった。
 それを見たアールは、また満足げに頬を緩めたのだった。

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