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知恵熱

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 翌日、風真ふうまは熱を出した。

「知恵熱じゃん……」

 昨日、勉強が終わった頃には夕食時だった。ヘロヘロのまま食事をして、風呂に入った形跡はあるが、ほぼ記憶がない。そして目が覚めたら熱が出ていた。

(今までの疲れも一緒に出たかなぁ……)

 突然異世界に召喚され、攻略キャラには冷たく当たられ、魔物を目の当たりにして、神子の力など使って、何やら大人で刺激的なイベントが乱発して……。
 頭より体を使う方が得意な身には、大分堪えたのだろう。


 ――知力-10。

 ――知力が50になりました。


「うあー……詰め込んだのが出てったぁ……」

 いくら寝ても体力の変化はないというのに、知力は容赦ない。一気に10も下がりショックで更に熱が出そうだ。

「でも大丈夫、アールが書いてくれたメモと、選んでくれた本があるもん……」

 子供のような言い方をして、ぐしぐしと目を擦る。
 熱が下がったら覚え直そう。全部完璧に覚えて、またアールに撫でて貰うんだ。

「う~……しんどい……。寂しいよ……」

 シンと静まり返った室内。窓はなく、壁に取り付けられた、時間に合わせて光量の変わる灯りだけが虚しく朝の訪れを告げていた。


 幼い頃は両親が看病してくれた。亡くなってからは、由茉ゆまか義兄が。学校でも具合が悪いと友人が心配してくれた。
 今までずっと、周りに愛されていたのだと改めて気付かされる。だからこそ、この静かな部屋が寂しくて涙が溢れる。胸が痛い、悲しい。

「ねえちゃん……父さん、母さん……」

 布団を頭まで被り、体を丸める。頬を伝う涙が枕を濡らした。

「帰りたいよ……」

 両親の生きていた頃に。あの頃に、帰りたい。
 ずっと一緒にいられると、信じて疑いもしなかった、幸せだったあの頃に……。







 カタリと小さな物音がした。
 ひた、と額に冷たいものが触れる。
 濡れた感触がして、頬にも冷たいものが触れた。

(きもち、い……)

 ひんやりとした感触に、すり……と頬を擦り寄せる。
 しばらく触れたそれは頬から離れ、髪を撫でる。もっと、とねだると望む通りに頭を撫でられた。

(アール……?)

 ぼんやりとした視界に、眩しい金色が映る。
 何故ここに、と考え、神子に何かあった時は扉が開くのだと辛うじて思い出した。

「昨日は、……悪かった」

 アールだと思った者の口から、そんな言葉が零れる。アールではないのだろうか。風真はぼんやりと見つめた。

「まさかあの程度で熱を出すほど、頭の容量が少ないとは」

 いや、これはアールだ。確実に。
 でも、具合が悪い時くらい優しくして……とそっと目を閉じた。

「……お前は良く頑張った。今日はゆっくり寝ていろ」

 また願った通りに優しい言葉が掛けられ、頭を撫でられた。それから側で水の跳ねる音がして、額の上の物が冷たい物に替えられる。
 これは、夢だろうか。そうでなければ、アールが素直に謝罪してこんなに優しく撫でてくれるはずがない。こんな、看病のようなことを。

「ここに、いて……」

 椅子から立ち上がる音がして、手探りでアールを探す。

「やだ……ひとりは、やだ……」

 独りは寂しい。悲しい。……こわい。
 伸ばした手がアールを掴めたか分からないまま、意識は泥に沈むように深く暗い場所へと落ちていった。







 アールが部屋を出ると、ユアンがこちらへ向かって来ていた。

「神子君は?」
「寝た」
「具合は?」
「熱だけだ。侍医に解熱剤を打たせたからじきに下がる」
「疲れが出たかな」
「そうだろうな」

 アールが私室に戻ろうとすると、ユアンもついてくる。容態が分かれば特に顔を見なくても良いのだろう。


 風真の不調に一番に気付いたのは、アールだ。
 早朝に目が覚めたアールは、神子の使いとしての力だろうか、妙に気になり風真の部屋を訪れた。

 室内からは帰りたいと泣く声が聞こえ、ドアノブに手を掛けると、開くはずのない扉が開いた。そこには、高熱に魘されている風真がいた。
 護衛に侍医を呼びに行かせ、その間に知識として覚えた看病方法で、水に浸したタオルを風真の頭に乗せた。

 ひとりは、やだ。

 さみしい。

 こわい。

 譫言のように呟き、必死に伸ばすその手を……気付けば掴んでいた。大丈夫だと言い、頭を撫でて。
 すぐに眠ってしまった風真の記憶に、その出来事が残っていない事を願うばかりだ。

「……あいつはまだ、元の世界に帰りたがっている」
「そうだろうね」
「何故そう言い切れる?」
「ここは神子君の世界じゃない。向こうには家族もいる。この世界にあるのは魔物討伐の使命と、その力を使いたい俺たちだけだ。どう考えても帰りたいだろ?」

 並べられるのは事実。アールは視線を落とした。

「代わりになるにしても、俺は神子君を面白くて可愛いとは思うけど、家族のようには接してあげられない。神子君の言う家族の形なんて、俺には分からないしね」

 家族仲が悪いわけではない。ただ、互いにいてもいなくても構わない程度の関係でしかないだけで。

「可能性があるとしたら、アールだけだ」
「私は……」
「トキのところも、子供を男爵家に売るような親だ。そもそもすぐ神殿に預けられて家族なんて分からないだろ」

 幼い頃に神官としての才能を見出され男爵家の養子に迎えられ、一年も経たずに神子の使いの神託を受け、神殿に預けられた。
 アールだけは、弟とは多少不仲だが、両親や使用人からの溢れんばかりの愛情を受けて育った。家族から与えられる愛情を知るのは、使いの中ではアールだけだ。

「……私より、お前たちの方が」

 風真は、ユアンの事を大好きだと言った。トキの事を優しくて好きだと言っていた。可能性があるなら、二人の方だ。


「アール、お前は……」
「殿下、ユアン様っ、フウマ様の容態はっ……」

 ユアンの声を遮るように、トキが慌てて駆けてくる。
 やはりトキの方が、と呟いたアールに、ユアンはただ肩を竦めた。

「疲れから熱が出たそうだよ。解熱剤を打ったからすぐ下がるって」
「そうですか……。熱など、お可哀想に……」

 眉を下げ、胸元で指を組む。本気で心配している様子のトキに、アールはそっと息を吐いた。

「あいつに付いていてやれ。寝惚けるとベッドから転がり落ちるらしいからな」
「っ、落ちっ……」
「酔った時だけじゃないかな? でも、何度も寝返りしてると思ったら急に転がり落ちるから、気をつけてあげて」
「はい……」

 トキは二人に会釈をして、ベッドから落ちる前にと風真の部屋へ急いだ。







 数時間後――。

「ん……」
「フウマさん、目が覚めました?」
「……トキ、さん?」

 ぼんやりとした視界に映ったのは、安堵した様子のトキの顔だった。

「お医者様は、疲れから熱が出たのだろうと仰っていました。解熱剤で下がったようですが、まだ安静にしていてくださいね」
「はい……、ありがとうございます……」

 水差しからグラスに注がれる水を、またぼんやりと見つめた。
 灯りはオレンジ色で、あれから夕方まで眠ってしまったのだと気付く。

「あの……アールは、来てました?」
「朝に食堂の前でお会いしましたが、こちらにお越しだったかは……」
「そうですか……」

 やはりあれは、都合の良い夢だったのだろうか。
 傍にいて欲しいと弱音を吐いた人間に優しい言葉を掛け、頭を撫でて、額のタオルまで替えてくれた。そんな事をしてくれるアールは、ゲームの終盤になってからだ。


 トキは絞ったタオルで風真の顔や首元の汗を拭い、桶の水を替えようと立ち上がる。

「トキさん。ご迷惑をおかけしてすみません……」
「迷惑だなどないですよ。私が好きでしている事ですので。フウマさんはそんな事お気になさらず、回復にだけ専念してくださいね」

 柔らかな声と優しい笑顔を残し、トキはバスルームへと消えて行った。

(……トキさんエンドって、そんなに危ないのかな)

 一番優しくて、きちんと人として扱ってくれる。看病など面倒だろうに、気を遣って好きでしている事だと言って。

(一緒にいて、落ち着く……のに……)

 ウト、とまた眠気が襲う。
 トキと話したい気持ちも、重くなる瞼には抗えずに。だが今度は、ふわふわとした優しい夢の中へと落ちていった

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